戒具の使用に正当な理由があるのを知らないのか?
Column~№8
8月15日に大阪の西成警察署で戒具を使用した被疑者が死亡したという新聞記事を目にしたが、新聞社は何を伝えたくてこれを報じたのだろうか?
警察官の拳銃使用もそうだが、新聞記事にいつも責任者の「正当な使用であった」というコメントが掲載されている。そして掲載内容を読むと「こんな悪い奴がいた」というのではなく、「警察官が拳銃を使った」ことを報じている。今回の報道もそうだが「戒具を使用した結果、死亡した」と戒具の使用に問題を提議しているような内容だ。
ネットニュースなどで数多くのニュースを目にする現在、こんな記事を掲載するのであれば他に掲載すべき記事があるのではないかと感じている。警察を擁護する記事を掲載すべきだとは思わないが、その正当性を問うのであればきちんと根拠を示して報じるべきである。
報道関係者は「掲載内容は事実であり、読者がそれをどう受け止めるかは強要すべきではない」と言うが、不安を煽ったり疑念を抱かせたりする権利があるわけではない。したがって「書きっぱなし」、「伝えっぱなし」の報道機関が社会性や公共性を主張することに違和感を覚える。報道機関を自負するならば事実だから報道するのではなく、その影響までも踏まえて報ずべきではないだろうか。それこそが社会に情報を伝える組織としての責務だと私は思っている。
話を戻すと戒具は被疑者だけではなく、酒に酔った者など保護対象者にも使用する。保護施設は留置施設とは別の場所に設置され、留置施設内にも暴れた場合の留置施設を完備している。だが双方が近くにある警察署は少なくない。そこで大声を上げ、または暴れれば多くの留置人に迷惑が掛かる。そして暴れている本人も自傷するため戒具を使用する。
戒具を使用する際は大勢で取り押さえて拘束するが、過去に過剰な暴行を加えて死亡させた事案があった。このようなことは絶対に許されるべきではない。だが警察官がそんな感情を抱くほど対象者は暴れるのをみなさんはご存知だろうか。具体的には嚙みついたり蹴ったり、唾を吐いたりなど何でもありの世界だ。
私は取り押さえる警察官が負傷しないことを最優先に指揮したが、力の限り暴れる者を警察官が手加減しながら取り押さえられるほど余裕はない。誰もが必死になって暴れる者を制圧している。そんな光景を目にすれば警察官を非難できるはずがない。
拘束中の死亡事案の絶無は大事なことだが、なぜ拘束に至ったのかをきちんと考えて報じるべきである。そしてこのような事案の絶無を図るため、定期健康診断や定時巡回制度を導入している。それを理解しながらも非難するのであれば、報じる者は自ら絶無を図れる提案を示すべきではないのか?それが批判する者の責だと私は思っている。