自分史振り返り⑤高校生編

こんにちは。ヤブハニです。最近、あったかくなってきて嬉しいです。
やはり寒いより暑い派かもしれないです。

さて、今日は自分史振り返りの高校生編を書き進めていきます。完全自己満です。

野球がぱっとしなかった前半戦

高校受験ではとにかく外に出る

当時中学には、特別仲の良い友人もいなかったので、早くここから出たいという想いが強かったです。自分という存在のアイデンティティ確率に必死だったなか、自分という存在を確固たるものとできる環境出なかったからでしょうか。

そのため、高校受験時の選ぶ高校のプライオリティは、学力高め・野球ぼちぼち強い・地元の中学のメンバーがいないでした。

そして結果的には、この3つを見事に叶える高校に入学できました。学力は中の上くらいで、そこそこでしたが、野球の強さや地元メンバーがいないあたりはぴったりでした。

この環境の選択は、当時の自分としてはまあまあ良かったと思います。

キャラ的にはいじられ体質

高校入学後は、野球部に入りました。そして、最初のクラスにはなんと野球部が6人もいました。このクラス割も奇跡的に良かったと思います。

よく覚えているのが、相変わらず「おれは人と違う」マインドを発症してしまっていたことです。入学2日目か3日目くらいにもなると、皆はそれなりに仲良くなり始めていました。そのため、お昼ご飯の時間は、それなりに仲良い者同士で集まって食事をしていました。

この時、私は人見知りというか、「おれは人と違う」マインドを発揮し、クラスの中で唯一1人でご飯を食べていました。この人たちとはかかわっていけないんだ、おれは違うんだというよく分からない心境でした。

この後、上京した際にも出てくると思いますが、新しい環境に入ると人のことを敵だと思ってしまう傾向がありました。

しかしながら、野球部の数が多かったこともあり、部活時に打ち解け、クラスに6人も野球部が居たので、クラスの中でのポジションを確立することができました。

といってもだいぶいじられ役で、よくクラスのやんちゃなメンバーに消しゴムを取られたりしていました。めんどくさいなあと思いながらも特に相手にはしていなかったです。

クラスの女子とも相変わらず上手く話せなかったです。とにかく女子の目を見れなかったです。「きゃあーかわいい」とか言われたりもしていましたけど、とにかく絡んでほしくない気持ちが強かったです。

男兄弟であったからか、女子という生物が良く分からなかったのでしょうね。また、周りから女子と話していると色目で見られることも嫌だったのだと思います。気にしいな部分がよく出ていると思います。

いやあああ、もったいない。笑

勉強は相変わらずがんばっていた

入学当時、勉強の成績はかなり良かったです。学年で1~3位くらいでした。また、1年生の時に、全校で受けた模試で京大の合格判定が出ていました。

特段、めちゃくちゃ勉強したわけでないですが、なぜかその水準でした。おそらく、中学の時の貯金があったのではないかと思います。私のいた中学校のテストは、少し難しめだったのではないかなあと思っています。その水準でやってきたからこそ、高校のテストが簡単に感じました。

一度いい成績を取ると、維持したくなるのが人の性。そこからは、成績を維持するために勉強する量は増えたことを覚えています。

野球はぼちぼち

高校前半戦では、野球はぼちぼちでした。まあまあ強い公立高校で、レギュラーになる気配はないという感じの選手でした。目立ってはおらず、1年生後半からレギュラーになる同級生もいましたが、私にはその気配はなかったです。

中学の時のトラウマかあまり、野球がうまく行くイメージがなかったのだと思います。気持ち的にもややふさいでいて、自分はどうせうまく行かないんだという気持ちでした。

「自分は人と違う」というアイデンティティを基本的には、勉強で確保していました。野球についても、ボーイズ上がりという謎のプライドでアイデンティティを保ってましたが、現実には何も起きていなかったです。

文武両道となった後半戦

2年の秋の大会で心が動き練習量倍増

大きな出来事が、2年生の秋の大会で起きます。

当時ぼちぼちの強さだった我々野球部が快進撃を見せます。プロをたくさん輩出している高校に勝ちまくり県でベスト16まで進みます。普段仲良くしている同級生が勝ち進んでいく姿を見て、心から「次はグランドの中で勝利を迎えたい」と思いました。

ここで心が動かされた体験が、私を野球の鬼練へと向かわせます。決めたらとことんやるタイプではあるので、スイッチが入った感じです。

毎日朝練は誰よりも早く6時20分くらいに行き、ノックを受けます。夜練習が終わった後も、勉強をし、22時くらいから野球の自主練をしていました。壁当てや素振り、ランニングなど人知れず毎日努力を重ねました。

ここまで睡眠を削れたのは若かったのでしょうか。

冬を超え、努力を続け、練習や試合で成果も出てきて「あいつ使えるかも」という感じが監督の中で芽生えてきた感じを受けました。練習試合では、レギュラーで使ってもらえるようになり、それなりの成績を出します。

モードに入り、徹底的に練習をした甲斐がありました。

部活もついに引退

そして、ついに夏の大会を迎え、背番号の発表がありました。私は、念願のレギュラー番号をもらえました。この時の自分で努力をして何かを得たという成功体験は、今でも自分の財産です。目標があれば、一生懸命、量をこなすことに対して抵抗感が無いのもこの体験から来ています。

そして、迎えた夏の大会は2回戦であっさり負けてしまいました。しかし、自分としては一生懸命やれて、エラーもなくヒットも打てました。良い思い出です。

こうして部活を引退し、受験モードになっていきます。

受験期

野球を引退し、受験シーズンとなりました。周りからは当然のように、地元の国立大学を勧められました。

しかし、私には東京に行きたいという確固たる思いがありました。理由は3つありました。1つ目は、もっと外の世界を見たいという想いです。地元から離れた高校に通い、新たな出会いをし、外の世界に興味が湧いていました。1人で行ったことも無い土地に飛び込みたいと思っていました。

2つ目は、東京への漠然としたあこがれです。地方でテレビを見ていると良く感じますが、特集されるのは東京ばかりです。東京行けばさぞすごいものがあるのだろうという強いあこがれがありました。

3つ目は、東京に行けば彼女が勝手にできると思い込んでいたことです。中学・高校時代は、性への自覚こそありましたが、女性と話すことすら満足にできませんでした。なぜか、東京に行けば勝手に彼女ができると思い込んでいました。

親には東京に行きたいと相談したところ、早慶以上ならOKと許可をもらいました。早慶以上という目標を得た私は、必死に勉強しました。元々勉強は得意でしたが、人の数倍はやっていたと言えます。

あまりいいことではないですが、学校の授業終わり教室でだべりながら勉強している人たちを軽蔑していました。女子と話したいうらやましさも半分くらいあったと思いますが、半分くらいは勉強したい・しなくちゃという強い思いでした。とにかく孤独に必死に勉強していました。あれだけ一緒に居た野球部のメンバーともほとんど遊んでいなかったです。

勉強を重ねながら、模試を受けたりしました。模試では、どの学部もD判定かE判定でした。しかし、この時の私は早慶どの各部にも受かる自信がありました。なぜなら、赤本は死ぬほどできが良かったからです。

過去問が解けるということは、受かるはずだと根拠のない自信を持っていました。そして結果的にも、全各部受かりました。これは結構嬉しかったですね。

早稲田と慶応で迷った結果、私は早稲田を選びました。何となく早稲田っぽいかな自分と思ったからです。後悔は一切ないですが、慶応に行った自分の人生も気になりますよね。

そして、私は彼女ができたこと確定との思いと共に、上京します。

まとめ


目的に沿ったの振り返りと来週の予告です。

振り返り

楽しんで書くことができたか。特にどの辺?

高校時代という自分の人生の泥臭い努力が垣間見えるところを楽しく思い出せた。

自分の価値観として浮き彫りになったポイントは?メタに考えよう

・決めたり、はまったりしたらとことんやる。
・女子が苦手。というか基本新しい人が苦手なのだと思う。

人生がうまく行っているときだったかうまく行っていない時か?理由は?

どちらかと言うとうまく行っていた時期だと思う。葛藤しながらもアクションに落とし込み結果も出ていた。小学校~中学のテーマであった人と違う自分の確立を社会という尺度の中では一定できていたと思う。社会という尺度とは、野球部のレギュラーや学校の成績、有名私大への合格。自分を絶対的に肯定するメンタリティはまだこの頃は無い。

↑を踏まえても踏まえなくても学びはなんだったか?自由に書く

とにかくがむしゃらに量をこなしていて、結果を出していたと思った。今の自分も量の投下が甘くないか見直したい。

来週予告

来週は大学生編(サークル)の予定です。

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