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樽前山で起きた航空事故(2)ヘルダイバー、山に衝突

事故の概要

事故を起こした航空機は、米海軍の「ヘルダイバー」といわれる爆撃機です。(冒頭の写真は1945年5月18日にフロリダで撮影されたSB2C-4E、U.S. Navy Photo, Public Domain)

・所属:アメリカ合衆国海軍
・型式:カーチスSB2C-4E 急降下爆撃機「ヘルダイバー」
・識別記号:BUNO(Bureau Number) 21164

1945年(昭和20年) 7月14日と15日には大規模な北海道空襲があり、道内の各地で大きな被害を受けました。その初日14日に攻撃に加わった「ヘルダイバー」の1機が室蘭~苫小牧間の太平洋沿岸を攻撃中、どうしたわけか樽前山に墜落したのです。

その状況を、追って明らかにしていこうと思います。

・事故種類:墜落、樽前山への衝突
・発生日時:1945年(昭和20年)7月14日、午前
・発生場所:北海道苫小牧町(当時)樽前


航空機

まず、事故機について詳しく見てみましょう。

事故機は、カーチス社製の SB2C-4E という航空母艦(空母)に搭載する急降下爆撃機で、「ヘルダイバー」と呼ばれていました。大きな尾翼と不格好さから「Big-tailed beast」または単に「Beast(けだもの)」などとニックネームを付けられ、SB2C を「Son-of-a-Bitch 2nd Class(二流のろくでなし)」とも揶揄(やゆ)されたそうです。本来は「Scout Bomber 2 Curtiss」なのですが…。-4E はレーダーを搭載したモデルです。

SB2C は空母に搭載しやすいよう、主翼が折りたたみ構造になっています。急降下爆撃機だけあって、主翼の後縁には上下に大きく開く穴あきのダイブ・ブレーキ(ダイブ・フラップ)が設けられています。

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Dive Flap, U.S. Navy Photo, Public Domain

主翼の外側前縁にはスラットがあります。失速特性改善のためでしょう。しかし、操縦特性は縦安定やエルロンの反応が悪い…などの記述が見られ、着陸進入速度が85mph(74ノット)であるにもかかわらず、速度90mph(78ノット)以下での特性が良くなかったともいわれます。ネット上で空母着艦時の事故写真が多く見られるのは、そのせいかもしれません。

・全長:約11メートル
・全幅:約15メートル
・全高:約4メートル
・最大離陸重量:7,500 kg以上

爆撃機といっても搭乗するのは二人で、比較的小型の単発機です。すでに退役していますが航空大学校仙台分校で使われていた訓練機、双発のビーチクラフトC90Aキングエアとほぼ同じサイズです。

ヘルダイバーは、単発ながら1,900馬力を絞り出す空冷星型ツイン14気筒エンジンを搭載し、

・最高速度:470 km/h以上
・巡航速度:250 km/h以上(137ノット)
・航続距離:1,800 km以上

という性能を持っていました。

乗員は2名で、前席に操縦士が、後席に射手・無線士が搭乗します。後席には旋回式の二連装0.3インチ機関銃が装備され、後方の敵にも対応できるようになっています。

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U.S. Navy Photo, Public Domain

主翼には20ミリ機関砲が2門装備されています。爆弾は胴体内に計2,000ポンド(約900kg)搭載でき、さらに主翼の下に500ポンド(約225kg)爆弾(×2)の装着が可能です。


搭乗員

1.操縦士

前席には、操縦士としてハワード・ユージン・イーグルストン・ジュニア(Howard Eugene Eagleston, Jr.)中尉が搭乗していました。以下、イーグルストン中尉とします。

事故原因を探るためには操縦士の情報も重要ですが、残念ながらネットではほとんど見つかりませんでした。分かったのは、米国の有名な私立大学であるジョージタウン大学(ワシントンD.C.)を1942年に卒業したことぐらいです。同窓生名簿には、1945年に日本での作戦中に死亡と記されていました。

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▲ Georgetown University Alumni Magazine, Spring 1949, Volume 2, Number 2 より

イーグルストン中尉は、墜落時に機体から投げ出されて即死しました。このことは生還した後席の乗組員、ラスムッセンが確認しています。

2.乗組員(Aircrewman)

後席には、射手・無線士としてオリバー・ブラード・ラスムッセン(Oliver Bullard Rasmussen)氏が搭乗していました。以下、ラスムッセンとします。

ラスムッセンは、1922年5月19日、米国ウィスコンシン州オダナーのバッドリバー保護区で、北米先住民のチペワ族に生まれました。1941年に高校を卒業後、海軍に入隊して Aircrewman としての訓練を受け、1944年(昭和19年)に新造空母シャングリラに乗り組みました。

ラスムッセンが、墜落時に大けがを負いながらも樽前山中で生き延びることができたのは、北米インディアンとして育った環境が少なからず役立ったのでしょう。事故が起きたとき、彼は23歳でした。


母艦

事故機 SB2C「ヘルダイバー」は米空母シャングリラ(CV-38)の艦載機であり、第85爆撃隊(VB-85)に所属する急降下爆撃機でした。ヘルダイバーの他にも、

・コルセア戦闘機(F4U-1D、FG-1D)
・ヘルキャット戦闘機(F6F-5)
・アベンジャー雷撃機(TBM-3E)

などを搭載していたシャングリラは、日本軍と戦うために米国民から集めた募金(Bomb Tokyo with Your Extra Change!)で建造された当時世界最大規模の空母で、1944年に進水しました。この空母シャングリラの作戦報告書(ACTION REPORT, U.S.S. Shangri-La (CV-38)、1945.7.2~8.15)には、事故を考えるに当たって大変有用な情報が残されていました。

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USS Shangri-La, Official U.S. Navy photo, 17 August 1946, Public Domain


(2)「ヘルダイバー、山に衝突」ここまで。


樽前山で起きた航空事故(1)はじめに

樽前山で起きた航空事故(3)霧をおして“神風”飛行場へ
樽前山で起きた航空事故(4)飛行の経過、ラスの回想から
樽前山で起きた航空事故(5)事故現場
樽前山で起きた航空事故(6)空襲の痕跡
樽前山で起きた航空事故(7)事故の分析
樽前山で起きた航空事故(8)まとめ


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