うちはお金がないから

私が「風俗で働く」ということを視野に入れてしまったきっかけは「もう明日バイトに行くための電車賃も危うい」というほどに困窮したことだった。これまでのツイートではひた隠しにしていたが私は元小劇場の舞台俳優だ。新人の頃は俳優としては使ってもらえず演出家の助手をしていた。毎日朝から晩まである稽古に休むことなく付き添った。しかし、時給換算すれば数十万円のお給料をもらってもおかしくない労働時間で、実際もらえる給料は月に数万円だった。もちろんその期間他のアルバイトをすることもできない。耐え難い貧困状態であった。

幸い、私は実家暮らし。お金がなくてもごはんは食べられるし住むところもある。しかしそれ以外の部分で両親に援助を頼むことは私にはできなかった。兄弟が多く、幼い頃から「うちにはお金がないから」と言われて育った。ここからは私がお金に執着するようになった経緯を話す。

高校受験のときには「学費払えないから絶対に公立に行ってね」と言われ、大学受験の時にも同じことを言われた。公立高校の受験に落ち、併願校の私立に行くことが決まったときは人生が終わったと思った。私のせいで両親に苦労をかけてしまう。下の兄弟たちが高校に行けなくなったら、、、そんなことを考えて毎日泣いて、ハサミで指を切っていた。これが自傷行為のはじまりである。自分が痛い思いをすれば、傷をつければ、許されるような気がした。だが幸い、私立に通う子たちには国や市から助成金がでる(各家庭の収入による)ので私学の面倒見の良さと助成金による金銭的な援助も相まって両親の私立高校への評価は爆上がり、下の兄弟たちは公立受験せずに私立高校専願で進学した。兄弟たちが受験で辛い思いもせず良い環境で学べることは姉としては嬉しく思うが、その反面複雑である。時を経て大学受験が近づくと、「大学は本当に学費が払えないから国立に行って」と言われた。私は理科と数学が恐ろしく苦手であり、国立受験はほぼ不可能に近かった。それに、私は音楽がやりたい。大好きな吹奏楽、初めて努力を認めてもらえた場所。将来は音楽の先生になって中高生と吹奏楽をやりたかった。両親からの条件はこうだった。国公立に行くこと、浪人はしないこと。短大はダメ。その中で私は某国立大学の教育学部音楽科を目指した。しかし音楽の勉強に全教科の試験勉強、専門楽器やピアノのレッスンは時間だけでなくお金もかかった。そして気付いた、これは不可能であると。そこで音大を諦め、現在の大学を受験し、受験の結果学費免除の特典付きで入学が許可された。そこで私は今のように歴史学に出会うのだった。しかし諦めの悪い私は音楽家になる夢を諦められない。芸能人になればどこかで演奏できる舞台があるのではないかと思い芸能の道に進んだ。だがこれが地獄のはじまりである。そして、この文章の冒頭に帰結するのであった。

つづきます。次回、初めての体入のはなし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?