きっと、名前は

煙草!酒!セックス!みたいな、そういうものが流行ってる。そして、エモい、と括られる。正直に言って胸が痛くなる。わたしも高校生の時にやりました。ごめんなさい。浸ってました、殺してください。って気分になる。煙草吸って年上の男の人に惚れ込んで、めちゃくちゃになってるのがかっこいいと思ってました。でも、こういう時期ってみんなきっとあったよね?なかった?なんて。正に黒歴史。
ありがたいことに、専門学校に入って、割合に正しい恋愛をして、彼がまともな人だったので、「これが本来の幸福か」と気が付くことが出来た。パン屋さんの美味しいパンとか、大好きだよ、と微笑んでくれる温かさとかも。あの時脱していなかったらと思うとゾッとする。いまだに、セフレが〜とか口に出してると思うと、怖くて目が開けられない。おそらく、こういう救いのひとつも無い恋愛をして自堕落になることは、セルフネグレクトの一環であると思ってる。全然専門家じゃないから信じないで欲しいけれど。
傷付いて、ボロボロになって、それでも僅かな愛情を見出そうと努力して、みたいなのって、どう考えてもセルフネグレクトじゃないですか?目の前にいる相手は鏡、とかもよく言いますけど、正にその通り。相手を傷つけていることも、恐らく、(結果的に)自分を傷つけていることに他ならない。
わたしの恋人は、女の子を取っかえ引っ変えして、というと、そんなことしてない、と言われそうだけど、自分の自己肯定感、承認欲求を埋めながら、相手の女の子を傷付けることで、「傷ついてくれるくらい求めてくれてるんだ」みたいな、そういう風に感じていたんだと思う。

彼のことは、深く、深く愛しているけれど、拭えない疑念や傷跡はある。だからこそ、わたしは、それを隠して、まっさらな装いで、あなたのすべてが好きです、と、微笑む必要がある。もう、勝手に1人で傷つかせないために。誰かを傷付けるひとに、戻らないために。

例えば、リストカットも、頭を掻きむしって髪を抜くのも、自分に優しくしないことも、しなくなったら。また、きっと別の方法を探すのかもしれない。
わたしだって、適当な男の子と寝なくなってから、随分ワガママで自己中心的で、子ども返りしたように思う。高校生の時のほうが、うんと大人っぽくて、周りの様子を伺って、上手く生きていた。
けれど、今の自分は結構好きだ。ワガママ言い放題、振り回し放題だけれど、可愛いと思う。振り回せるものは振り回していったらいいし、国民の義務果たしてるし、選挙行くし、納税するし。これが、ささやかで、美しく、気高い、わたしなりの生き方なのだから。

これを読んでいるあなたが、いま、どんな人なのかはわからない。
けれど、冷房ガンガンにかけて、裸で包まる羽毛ぶとんとか、お風呂上がりのアイスとか、車窓越しのうんと綺麗な夕陽とか、そういうものをきちんと見てほしい。分かりにくい幸福ほど、あなたを癒すものはないと、わたしは知っている。

きっと、エモさ、に浸ることの名前は、
幸福への執着、なのかもしれないね。

お読みいただきありがとうございます。あなたの指先一本、一度のスキで救われています。