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白雪姫と王妃様?あんたバカ?といえればよかったのに。

「一度きりの大泉の話」萩尾望都著。

予想はしていたけれど、なかなかに辛い本であった。

女性版トキワ荘、大泉サロンと言われた長屋の青春期といえば言える。おおよそ2年間に渡る、若き天才たちの邂逅がもたらした傷といえばそれまでだけれども、作家にとっての盗作疑惑は、鋭い凶器を突きつけられてようなものだろうと思う。

いや、凡人の私だって、自己肯定感が低すぎたおかげでトラブったことはあるのである。近くにそういう人もいる。意外とそういう人は多いのではないか?

萩尾望都は物語に動機と必然性を必ず考察している。どんなにファンタジーな話、荒唐無稽そうに見えても、主人公の気持ちの中に動機と必然がなければならないと思っているのではないだろうか?だからこそ、SFの中にも現実感があって引き込まれるのだ。

おおよそ四十ウン年前、まだ小学生であった私は、男子に

「SFは男が読むもんだぞ、女が読むな!」

と言われて落ち込んでいた所、衝撃的に

「11人いる!」

と出会ったのである。

憧れた。

宇宙大学に!!入りたい、ああ、あの11人の中になぜ私はいないのか?あの世界に自分がいたらいいのに!しばらく頑張って勉強したが、宇宙大学がないことに気がついて脱力、再び漫画三昧の生活に戻った。

その後萩尾望都にハマったのは言うまでもないが、本人がまさか巻末作家の取るに足らない作家だと思っていたとは、青天の霹靂である。

竹宮恵子は白雪姫の、あの王妃のようだなあ、と漠然と思った。自分が一番の美人であったはずなのに、ぼんやりの白雪姫が美しいと鏡が言う。鏡ってとこが味噌だな、写った自分が言っているのだ。焦っただろう。かなわない。圧倒的な才能の差。だけど白雪姫はそんなことは思わない、あの人の作品は素晴らしいわといろいろな人の漫画を読んでは夢心地になっている。それなのに誰ともかぶらないすごい話を描いてしまう。

わかっちゃいるけど、小鳥の巣の構想のかぶりには愕然とし、憤りさえ感じたんだろうなあ。焦りと、嫉妬。ぶつけるべきはなかなか掲載の了承をしない編集部だろうに、萩尾にぶつけてしまった。だから、冷静になったときに青くなる。忘れて、となる。想像だが、自分ならそう思うに違いない。

萩尾望都は競争という認識がない作家だ。誰しもが物語を持っていると信じている。その理解で他の漫画家は彼女に一目置く。竹宮恵子だけは、プライドが許さなかったのか?
山岸涼子氏に代表される人気作家たちの反応がそれを物語る。ある意味彼女たちも競争からは程遠い人たちだ。

才能という圧倒的な鎧は、諸刃の剣のようにも思える。
だからさ。
竹宮恵子にあんたバカ?って言えればそれで良かったのに。
モー様、それで良かったんだよ。

一ファンはそんなふうに思うのだよ。

。。。なんにせよ、漫画家でいてくれて、ありがとうございます。

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