見出し画像

ドンマイ・ひきこもり6(哲学風ナンセンス・コメディ):完

「正しい」「正しくない」とは何か?
この小説は、伝統的な善悪の二項対立を利用した手法から脱却した社会運営や、自分自身の心の掌握のアプローチ(道筋)を提案しています。

具体的には、芸人(サンドイッチマン)のギャグであるカロリーゼロ理論にある「牛肉はカロリーゼロ。なぜなら牛が食べているのは草で、もともとカロリーのない草を食べて育つ牛もカロリーがあるわけがない」的な「矛盾と論点のすり替え」のある弁論術を使い、「ラブ・アンド・ピース≒愛は平和でそれは希望≒良い物語は良い状況を作る」的な「物語(≒状況)を作ると選択が作れる」というプロパガンダ手法の構造の説明と、

その手法の代わりとして、生成AIによる情報解析と、量子力学の進展によりもたらされる意識と無意識を操作する技術を活用して、
言葉と思考の転換を促し、貨幣に代わる新しい価値交換システム(新・社会システム)を模索し、言動一致を客観的に可視化する解決策(自然言語の形式言語化?)を追求しています。

その前に、
現代思想(ポスト構造主義)?の前提知識をご覧ください。

①:言葉の性質と機能
● 言葉は表現(声・身振り)と意味(モノの名前・動き・機能)の組み合わせであり、人間特有の「認識システム(≒所属集団の生活様式)」のことである。
● 言葉は論理が循環して堂々巡りになる循環論法(卵が先か鶏が先か)的な性質を持つ(例: 「鼻」とは顔の中央にある部分≒顔とは目「鼻」口耳などがある所となるなど)。
● 言葉は「始まりの無い、始まり」的とも言える構造(仕組み)であり、幸せと言うから、幸せな気持ちになる面がある。
● 言葉は「二項対立(快・不快、良い・悪いなど)」などの差異を基にした構造でもある。
● 言葉には異なるものを同一視する、または同一のものを異なるものとして表現する能力がある(例: リンゴとみかんは異なるが、どちらも「果物」という概念に含まれる≒概念化・抽象化・階層化構造)。

②:言葉と文字の目的
● 
言葉と文字の主な目的は共感(≒主観的情報≒喜怒哀楽)と数量の伝達であり、これにより個人の経験や観点が集団に共有される。

③:数字と数式の役割
● 数字と数式を使って、論理計算などを行うことで、物事を数値化し、法則性を見出すことができます。これにより、物事を客観的に評価することができます。

④:人間の思考の変化≒形而上学的思考から科学的思考へ
● 人間の思考の変化とは、論理性、客観性を重視する思考への移行を意味し、この傾向はビジネスや教育の現場でハッキリ現れます。
● 
哲学者のカント(1724年~1804年)による形而上学(神・本質・精神・霊魂)は脳の枠の外?にあり「人間には解らない」という思想により科学的思考の時代が幕開けしました。

言語学者のソシュール(1857年~1913年)は『この世界は、言語によって切り取られるまでは、混沌とした一体(連続体)であって、個々の「もの」は存在しない。』と言い、「思い(意味)は言葉(境界線)で表現した後に生まれる」、 わかりやすく言うと、楽しいと言うから、楽しい気持ちになると論じた。

また、哲学者のビドゲンシュタイン(1889年~1951年)は哲学理論を発展させ、
言葉は「対比・別の可能性・差」しか語れず、 本質は語り合えない。語り合えない本質は解らない」と言い、
「我々は現実世界で言語ゲームをしている」と表現した。

● 現在のコンピュータ(半導体)や物理学や数学やその他の科学は量子力学を基盤にしているそうです。の理論は現代技術、例えば半導体、レーザー、MRIなどに応用され、日常生活に密接に関わる技術の基こ盤を形成しています。

⑤:量子力学的思考(AD1905年~)
量子力学は、この世の全ては量子(≒情報?≒質量の無い化学物質?)で構成されており、この世界において「実在」という概念は正しくなく、状態(実在)は観測するまで決まっていない。としたが、それが本当だった事を証明した実験「ベルの不等式の敗れ(ベルテスト)」が2022年のノーベル物理学賞を受賞したらしい。

かいつまんで言うと、モノ(私達も含む)は、一万分の一ミリ以下の小ささにして一万分の一秒以内?の短い時間内で観測すると、重さの有る実在では無く、重さの無い「情報のやりとり」として存在していることを証明したらしいのです(意味不明)。

さらに、肉眼で見えないくらいの?マイクロメートル(千分の一ミリ)の物体を非実在の「量子重ね合わせ≒情報?」状態での再現をできることが分かってきているらしい?。
また、量子コンピュータは量子重ね合わせ状態や量子もつれ状態(実在≒量子重ね合わせ≒情報という状態?)を人為的に作り出して「0」と「1」が重ね合わされた量子ビットを使っているらしいです。

量子力学的には、
生物学的個人の始まりは0.1mmの大きさの受精卵であり、人間の遺伝子(設計図?)の95%は猿と同じらしい?、そして遺伝子は4種類のアミノ酸(約10億分の1mmの大きさ)の組み合わせで出来ていて、アミノ酸を含む質量(重さ)の有る、全ての物質(人間を含む)は素粒子(約10京分の1mmの大きさ)の組み合わせで出来ているという思考になるらしい。

理論上の全ての物質の最小単位は素粒子・量子(物質だけどほぼ重さが無い)であり、この世のすべてのものは素粒子が集まった化学物質であるらしい。

また、量子力学的には、
● 人間が知覚している「現実」はそもそも外部世界を直接に反映してはいないという見方があり、
私たちが感じている現実世界は、実際には私たちの脳内で起きている無意識のプロセス(手順)によって作り出されているらしい。
色が好例で、光(電磁波)自体に何かの色が備わっているのではなく、
色は様々な波長の光の混合から脳が作り上げたものであり、
知覚とは、脳が外部の刺激を電気信号に変換し、これらの信号を解釈して意味を割り当てることらしい。

さらに、私たちの感覚器官(例えば、耳や目)は、周りの世界からの信号(音や光など)を受け取りますが、これらの信号は直接的には意識される「現実」ではないらしいです。
代わりに、これらの信号は脳によって電気信号へと変換され、その後、私たちが理解できる形(「音」「言葉」「色」「形」といった認識)に超高速で再解釈されていて、
このプロセス(手順)は、人間の感覚と認識の根底にあり、全人類に共通する基本的な機能であるらしい。
つまり、私たちが「現実」と呼ぶものは、実際には外界からの信号を私たちの脳が解釈した結果であるということらしいです。
さらに遺伝子の解明や脳科学の研究により、脳内伝達物質が「欲望や損得・善悪に関係している」ことが判明して来ているらしい。

私達が経験している現実とは、「脳の神経細胞間のやりとり≒人類の脳内の機能≒無意識が意識の為に作り出した仮想現実世界(三次元+時間の世界)?」とも拡大解釈可能です。

頭の外には振動や可視光線が有る⇔感覚器官でそれらを感じる⇔電気信号⇔頭の中で色・音などが有る3次元+時間の仮想現実世界に変換される?。

この色・音の有る三次元世界は頭の中にしか存在しないらしいのです。

洞窟の比喩の図:プラトンの考えるイディア(真実の世界)のたとえ話の図にしたもの。
この図は「モノがあるとは何か」を表しているのかもしれない。


この量子力学は、物質が最も基本的なレベルでどのように振る舞うか、そして自然界が本質的に確率的であるという事実を研究する科学分野です。
この確率的な性質は、コンピュータ言語を通じて具体化されます。
コンピュータは、二進法(0と1のみを使用するシステム)に基づいた計算を行い、これを使って人間が設計した特定の問題を解決します。

一方で、人間の自然言語(例えば、日本語や英語など)は、これらの科学的概念やコンピュータによる計算結果を解釈し、人々が互いに意思疎通を図るための方法を提供します。
自然言語によって、科学的知識や技術的成果は広く共有され、理解されるようになります。

このように、量子力学の理論、コンピュータ言語(形式言語)による計算、そして人間の自然言語という三者の相互作用によって、私たちは世界をより深く理解し、形作ることができるのです。
理論的な知識から実践的な応用に至るまで、この相互関係は私たちの知識の範囲を広げ、日常生活や科学的探求において新たな可能性を開きます。

自然言語(対象⇔比較→処理)
● 定義:日常生活で人々がコミュニケーションのために用いる言語。日本語、英語、スペイン語などが含まれます。
● 特徴:複雑で、文脈依存の意味合いを持ち、曖昧さがあることが特徴です。人間の感情や抽象的な概念を表現できます。
● 用途:日常会話、文学作品、ニュース報道など、人間同士の幅広いコミュニケーションに使用されます。

形式言語《コンピュータ言語≒関数名(処理)+引数(対象←比較)》
● 定義
:数学、論理学、コンピュータ科学など特定の学問分野で使われる、厳密な規則に基づいて構築された言語。プログラミング言語や数学の記号などが該当します。
● 特徴:曖昧さがなく、明確な規則に基づいているため、一貫した解釈が可能です。機械による解析や実行が可能です。
● 用途:ソフトウェアの開発、数学的証明、データの処理など、特定の技術的・学術的な目的に使用されます。

● 脳科学者の養老孟司(1937年~)先生は、数字は元々人間の脳内に存在しているのではないかと仰っています。
脳内に有るモノ?を外界に作り出した例としてカメラ(人間の網膜の構造と同じ?)をあげています。
また、人間の思考はコンピュータの出現でコンピュータ・プログラム的思考(AI解析?)に合わせた形に変化していくかもしれないと話されています。

今後の言語技術の発展にとっては、コミュニケーションの効率と明確性を高めつつ、人間らしい表現の豊かさや感情の伝達を保つ方法での自然言語と形式言語のバランスを取った技術進歩を見つける事が重要なのだそうです。


「前提知識」のまとめ

ジャン・フランソワ・ミレー「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」

量子力学に基づく視点では、
この世界を「物体=情報のやりとり=量子の重ね合わせ」と理解します。

人間の心と意識は、
左脳の言語化能力によって形成されます。左脳は意識内現実世界のモノを概念として抽出し、それをモノと概念のセットで「体≒私(≒意識≒心)」としてセットで認識・処理する司令塔の役割を果たします。
例えば、右脳のパターン学習で得た「○○○」、「まるまるまる」、「丸が三個」から「3」という概念を抽出してこれらをひとそろいで同じであると認識する機能を持っています。

右脳は瞬間的な条件反射や無意識の処理を通じてパターン(類型)学習を行います。

0才~2才までの心には、個性や自我は無いと考えられています。

意識≒認識した存在を比較する。

言葉(2才児~):
言葉(くくり方・境界線)が先に出来て、モノ自体(くくられたモノ・本質・意味・概念)は後から生まれたらしい。

言葉→共感≒意味→概念(大まかな意味)の共有とその目的
言葉を学ぶことで個々のモノやモノの意味や概念が生まれます。
この過程は、人間が社会内で共感や意味を共有する基礎を作り、言葉を通じて社会性が形成されることを示しています。
この共有と学習により、個性や独創性が後天的に発展します。
また、言葉や共感は社会の連帯感を高めるための重要な要素であり、社会の円滑な運営に貢献します。

人間の脳は、生後から17歳までの期間に大きく発達し、その間に脳の容量は約400グラムから約1500グラムまで増加します。
この発達期間が終了すると、脳の発達がほぼ完了し、それ以降はいままで未発達だった脳の領域が発達することはなくなります。
例えば、生後から16歳までの重要な時期に言葉や共感を経験しない環境にいた人は、その後言葉を学ぶ能力が著しく低下し、基本的には言葉を覚えることができなくなるらしいです。

この時期に人間社会に居れば人との相互作用で「人(社会)の欲望を欲望する学習」する事を覚えて社会的人間になるが、この時期に狼と一緒だったなら、言葉を話すようには成らないらしいです。
また、女性が常に上半身裸で生活する文化圏では、女性の胸が男性の性的な欲望を刺激する単純な記号とは成らないらしく、女性の胸を見ることが性的な記号であるというのは、常に服を着る文化圏内で「欲望を欲望する学習」として受け継がれた風習(しきたり)だという説もあります。

更に、人間が安定して社会的関係を維持できる人数には上限があり、平均で約150人であると指摘されています。これをダンバー数といい、知り合いであり、気まずさを感じずに関係を保てる人数を指します。
この数を超えるグループの団結と安定を維持するためには、規則や法規がある方が効率的であると考えられています。

弁論術の分析


現代思想(ポスト構造主義)とは何かの解説
ポスト構造主義は、現代思想の一流派で、人間のコミュニケーションを感情の交換と捉え、それが社会的・個人的な心理に根ざしていると考えます。
ポスト構造主義は、人間を言葉を通じて共感や世界観を共有する社会的動物と見なします。

この理論は、文化や時代に応じた概念を使って世界を合理的に説明しようとし、文化や生活様式が経済構造に依存していると考えます。
さらに、宗教や美術、倫理などの文化的要素は、政治的支配の手段として使われるという視点を持っていると思われます。

善悪二項対立の脱構築的思考(ポスト構造主義)による現代社会の分析
現代社会は性悪説(法律・強制)に基づき、法律で人々の悪い行動を制約し、罰則を設けて秩序を保っています。
そして、性悪説では「絶対権力は絶対的に腐敗する」ので政治が腐敗して秩序が乱れ人々が生活できなくなると、性善説(革命・破壊)に基づき、既に何が正義かを知っている我々が、その正義感を基に善や正義を求めて反乱を起こして権力を置き換える事を繰り返していると考えられています。

性善説とは、人間の本性は基本的に善良であり、道徳的であるという考え方です。適切な教育や環境があれば、誰でもその本来の善性を発揮することができると考えられています。

性悪説とは、人間の本性は基本的に悪であり、利己的であるという考え方です。道徳的な行動は内発的な善性からではなく、外的な規範や法律によって強制されるものと考えられています。

人の善≒誠実さ・信頼・非暴力・他人への配慮
人の悪≒ウソ・裏切り・暴力・善の欠如
自然の善≒健康・自然の恵み・調和・循環
自然の悪≒病気・地震・洪水


このように、社会は性善説(革命・破壊)と性悪説(法律・強制)を振り子のように繰り返しながら「破壊⇔関係の置き換え」の繰り返しで運営されています。
社会運営と政治体制の維持には、こうした「矛盾と論点ずらしによる錯覚を利用した、目的(秩序と支配関係の維持)を手段(貧困・教育対策)にすり替えて「目的と手段」に都合の良いモノを善として、都合の悪いモノに悪のレッテルを貼って、民衆に善を選択させる」という手法と技術が必要不可欠であります。
このような善と悪の関係を「一元論内善悪二項対立」と言うのかもしれません。

北野武監督のヤクザ映画「アウトレイジ 最終章」のポスター。私利私欲のために「善の不在な者達」が殺し合う、性悪説(自己正当化+損得勘定)を煮詰めたようなこの映画のキャッチコピーは「全員暴走」

一元論内善悪二項対立とは、善と悪を対立する要素として捉える考え方で、人々の倫理や価値観の基盤となります。

倫理とは:
善の行動を選び、社会や他人との関係を良好に保つための基準や原則。

欲望の選択≒欲望自体に善悪は無い。それが善か悪かはその欲望に基づく行動によって決まります。
そして、上記で記した「善≒正しい基準≒生活様式」を決めるのは経済構造(生産様式が生活様式を規定する)であり、宗教・美術・倫理などの文化様式の基準は、社会を効果的に運営する為の政治的支配の為の手段であるという特徴があるとされています。

生産様式とは:
財物の生産と分配、交換、消費に基づく社会的分業によって経済生活を営むことを指します。

哲学の弁論術(問答法+背理法)によると、
上記で記した「自然の善と人の善」以外の「所有・交換・契約などの基準」には「矛盾と論点ずらし」が有り、モノを観測する基準である「言語」や「私という意識」「正しい」「本当」などは各共同体によって変化する相対的なモノだから、それを基盤にしておいて絶対的なモノが有ると言うのは現状では言い過ぎにあたると言われています。

よって、現代思想的には一元論内二項対立(独断論)よりも、相対主義(多元論)の方が矛盾が少ないと言う意見があるようです。

「矛盾と論点ずらし」の両方が有る?詭弁の例

「みなさん、自民党が悪いんじゃないんです! 政府が悪いんです!」
「皆さん、小泉進次郎が悪いんじゃないんです! 僕が悪いんです!」
by 小泉進次郎(冗談です)

次に、「矛盾と論点ずらしと韻(イン)をふむこと」によってジレンマ(不一致・争い)を解消・浄化(カタルシス)した詭弁の極端な例を見てみましょう

「ラーメンって痩せるんですよね。
ダイエット食だと思ってるんです。その理由として野菜、
結局、野菜っていうのは、野菜からできているので野菜だし、
そして麺も小麦粉から作られているから野菜、
ブタも野菜を食べているので、実は野菜なんですよ。
そして化学調味料、化学調味料もサトウキビなどの野菜から出来ているので野菜、もし私がラーメンを食べていなかったら250kgになっていました。」
by芸能人

以上の弁論術(詭弁術+ディベート)がどのように社会や個人の認識を形成し、人を操作するツールとして機能するかを、経済構造(生産⇔流通⇔消費)が社会・政治構造を規定するという視点に基づいて、説明したいと思います。

具体的には、論点のすり替えや選択肢の提示によって、どのようにして意識や行動が誘導されるかを説明していきます。
これにより、我々が日常的に直面する倫理的・認知的なジレンマ(例えばトロッコ問題:何を根拠に、立ち位置を明確にして次の行動を定めるか≒分類するか)を考察し、その根底にある操作のメカニズムを明らかにしたいと思います。

ちなみに、「メカニズム≒仕掛け、物事の仕組み」を明らかにするとは、

例えば、
「毎日、ほぼ同じ時間に洗濯物を干す、公務員宿舎の主婦は借金を踏み倒す確率が低く、借金の取りっぱぐれが少ない」

という消費者金融会社「武富士」創業社長のお言葉の意味とその構造を明らかにすることです。

構造
この現象は、規則正しい生活パターンが安定した行動と信頼性の高い性格を反映しているという点で説明できます。 毎日同じ時間に洗濯物を干すという行動は、時間管理能力やルーチンの一貫性を示しています。このような人は、財務管理や借金の返済においても同様に規則正しく、誠実に行動する傾向があると考えられます。

●フラクタル構造
フラクタル構造は、自己相似性(再帰)を持つ複雑なパターンで、部分が全体と同様の構造を持つことを示します。
この考え方を生活パターンに適用すると、日常の小さな行動が全体的な行動パターンを反映していると言えます。
つまり、毎日の規則正しい行動(例えば洗濯物を干す時間の一貫性)が、その人の全体的な規則正しい生活態度を反映しているとなります。
こうした一貫性は、財務管理や借金の返済においても同様に適用されるため、借金を踏み倒す確率が低いとなります。

●まとめ
毎日同じ時間に洗濯物を干す人の規則正しい行動パターンと、借金の踏み倒しの確率の要因は直接的には関連していないと言えます。
しかし、その人の全体的な行動規範を示すフラクタル構造の一例であり、この一貫性が借金をマジメに返済する能力と関連している確立は高いです。
また、公務員のダンナに返済・担保能力が有る確立も高いです。

次に「弁論術の発達の歴史」を独断と偏見でまとめたのをご覧ください。

弁論術の発達の歴史


序:農業革命: 「所有の概念」の発見により文明が誕生した?

大魔法使いの正体はカンザス出身の奇術師だったという場面:映画「オズの魔法使い」

約6000年前、ユーラシア大陸で農業が発展し、食料生産が増加し、大規模な定住生活が可能になりました。農業が天候に左右される性質から、農業社会では神への祈りが重視されました。
この頃を、「神話的世界観」の時代と呼ぶそうです。
この時代では、人々は現実と空想、自然と人間、動物の区別が曖昧で、物語や象徴を通じて社会の規範や価値観を共有して世界を理解・説明して集団の調和を維持していました。

この時代には食料(もみがら)の貯蔵技術の発展と、暦(こよみ)を作成をする算術的労働を担当する知識階級の出現により、一年という時間の概念と、価値の交換手段としての「もみがら≒お金?」の概念が生まれました。

そんなこんなで、
紀元前3000年頃?の文字の発明と普及により、言語が「口語から文語へ」と進化し、社会構造や文化の発展を促しました。
この変化は、経済構造である労働集約型農業(生産様式)中心の社会への移行を推進し、人類の生活様式や社会運営方法に大きな変化をもたらし、宗教や美術、倫理などの「文化の方向性」を決定したと思われます。

口語: 日常会話で使用される自然でカジュアルな言語スタイルです。
文語:書かれた文書や公式な発言で用いられる、より正式で構造的な言語スタイルです。

古代から近世にかけて、定住型農業と文字の普及により文明が進み、文字が書ける少数の知識階級(呪術師や神官)と権力者(ヤクザ的リーダー)、そして大多数の民衆からなる中央集権的な階層社会が形成されました。

学問は文字に触れる男性中心となり、知識階級は主に長老的な男性が占めることになり、政治を主導するインテリ男性とヤクザ的リーダーが民衆と女性の日常生活を管理し、人口増減や女性の欲望の管理も男性の都合のよい方向に進められたと考えられます。

おそらく、この時代は、少数の賢者が多数の庶民を簡単な神話や「善悪の物語」で効率的に管理する体制が確立された時代だったと思われます。
この時代は自然災害や資源不足が発生すると、資源争奪戦争が起こりました。この時に支配者層は善悪二元論で社会の団結を図りました。

この過程で支配者は自らを正義と善の代表と位置づけ、「悪魔」や「魔女」といったレッテルを使い、政治的な敵を悪と見なして排除しました。
このレッテル貼りの手法は現代でもプロパガンダに利用されていて、政治的な損得勘定と密接に関連しています。

そのような、利益を追求するために人々の心を操る「詭弁術」に対抗する手段として、ブッダの「無我」やソクラテスの「無知の知」があります。
また、アリストテレスの「中庸」は、自然言語(おしゃべり)を形式言語化(文章化)し、形而上学の始まりを示しています。

 無我(ブッダ 紀元前5~6世紀頃):
ブッダさんの教えは、全ては人間限定の解釈。
「将来の悩み」や「所有」といった概念が存在しないとし、これは量子力学の「局所実在性の破れ」や、善悪の二元論の物語を解体する考え方と通じる。こうした思想体系(解脱?)を理解するには、家庭や労働からくる責任感から離れた瞑想生活(ニート生活?)を送ることでしか実感できないかもしれない。これは、親のありがたみが親になって初めてわかるのと似ているのかもしれない?。

人類の心(知・情・意思・その他)は全く人類共通のモノ。
そして、人類は、損得勘定での自己正当化をするバケモノ(怪物)?であり、自分は善で正義だと言う人はただのウソつき→個性や欲望とは心の上に出来た何か?という自覚?→解脱へ?」

 無知の知(ソクラテス 紀元前469年頃):
質問を繰り返し、相手の話の論点ずらしと矛盾を引き出し、自分自身の無知(論点ずらし・矛盾を含む)も認識する。
仕組み(構造)という土台の上にある先入観(倫理)と言葉遊びを知ること?
例えば、「スポットワークで色々経験して本当の自分を見つけて幸せになろう」という発言に対して、
スポットワークって日雇いの言い換えですよね?、本当の自分って何ですか?、本当の幸せって何ですか?と聞き返して、言葉遊びの背後にある自分の無知?を認識しようとした哲学的アプローチ(接近方法)。


 中庸(普通)が大事(アリストテレス 紀元前384~322年頃):
形而上学の始まり≒絶対的な真理やモノ(物体)にはそれそれの目的が有るとする思考であり、思弁を通じて真理≒神に迫るという概念と思考の確立。

分別・不思議に名前を付ける→全てのモノに名前が有る→ひとつの分別する主体≒アイデンティティ(自我)と分別されるモノが有る→唯一絶対神≒真理を探究する根拠になっていく思想らしい。

本当の隔絶した個性や独創性を持った者は精神病院に居る?、
理解されなきゃ意味は無い、よって普通の常識(中庸)が大事。

これらは日常生活に直接的な利益をもたらさないため、日々の生活に追われる一般民衆には理解されにくいとされています。
民衆は哲学的思考や学問よりも、直接的な満足や娯楽を提供する政治的手法を好む傾向があります。

破:「契約によって義務が発生するという概念」を使った弁論術の発達?

作者の意図とは?、正しい方を選ばせる為には正しさを啓蒙する必要がある。実は問いの立て方問題?

次に、二者択一の状況を作り出し、聞き手に二者択一の選択を提示すると、相手の錯覚を利用してその行動をコントロール出来るという「物語を使ったマーケティング手法?」をメタ視点で解説をします。

 二者択一の質問の具体例:
美容院のシャンプーの時に、「お湯加減いかがですか?」ではなく、「お湯加減大丈夫です か?」という風に 「大丈夫(YES)」か「大丈夫じゃない(NO)」かで質問することで、回答者はこの二つの選択肢から選べば良いという便利さのある質問方法のことを言います。

回答者は確定された選択肢AかBのどちらかを選ぶという事のメタメッセージとは「あなたには選択の自由がありますが、その選択には明確な結果と責任が伴います」というものらしいです。

この「コーヒーかお茶か?」などの二者択一の質問は、物事を二者択一思考で考えるというルールを学ぶ為の対話でもあり、
そのメタメッセージとは、「選択の自由とその結果としての責任を強調し、社会的な行動規範を形成する」と言うフレームワーク(枠組み・構造)を学ぶ為の質問法でもあるらしいのです。

二者択一の選択による義務と権利の発生の段階をメタ視点で見ると

AかBかの選択の提示→選択の確定(強制)→選択による合意(社会的契約の形成)→契約内容の具体化(義務と権利の明確化)→義務の履行と権利の享受(実行と遵守)

この二者択一の選択の手順を通じて、個人は社会的契約に基づく義務と権利を受け入れることになります。

イエス・キリストの物語を例とした場合
イエスの人生、処刑、復活を中心に展開される物語が社会集団や秩序を形成するためにどのように利用されるかを説明し、カタルシス(精神の浄化・排泄)を提供する物語が現実世界において政治的な利益や社会的団結を生み出すプロパガンダ手法として機能することを指摘していきます。

西暦30年頃、イエス・キリストはユダヤ教の神官、ローマ帝国の支配者、そして民衆の結託により政治犯として処刑されました。
聖書の物語は、イエスの教え、処刑、そして復活を中心に展開し、彼の犠牲を通じて信徒(信じる者)が救済されるという希望のメッセージを伝えます。

この物語はイエスの犠牲により信徒の救済が約束されたという希望とカタルシス(精神の浄化・排泄)の物語であり、
「三方良し(1%のインテリ+9%のヤクザ+90%の従順な民衆)+生け贄役(共同体にとっての邪魔者→追放者役)」の筋(構造)になっています。

この物語は、多くの人々が共感できる主人公イエスのキャラクター設定と、
イエスの犠牲(邪魔者→追放→神に成って皆を救う)によって信徒(追放した我々≒共同体)が救われるというプロット(筋)の世界一有名な物語です。

このプロット(筋)を描くことで多くの人々にカタルシス(精神の浄化)を提供し、何でも有りだった世の中に質素倹約と、一夫一婦制で離婚の禁止という合意を作り上げて、
教会の教えを守れば死後に天国に行って幸せに成れるという希望と規則正しく生きる動機付けをもたらしました。

この物語は、無条件の愛「アガペー」と、悪との終末の戦い「アルマゲドン」という矛盾する側面を持っています。
さらに、神が7日間で世界を創り、人間が地上の管理者であると教会は信徒に教え込みました。聖書と現実の矛盾は、教会の「論点のすり替え」による操作によって無いモノとされて、全てが聖書に合った方向へ導かれました。また、十字架は同じ志の仲間を認識するための道具として機能しています。

陰謀論的に言わせて貰うと、物語が現実の社会操作にも応用されています。このような「救済の約束(目的)とその因果関係の物語」の状況を現実化?させると、様々な階層の社会集団を結託させて、支配層の政治的利益を守るための選択を選ばせることに利用できます。

これは、親が子供に幽霊やサンタクロースの話をすることで、子供がそれを信じるようになるのに似ています。
つまり、信者が物語(聖書)を現実と混同し、物語のキャラクター(イエス様)を現実でも信じる現象です。
親(教会)がサンタクロース(神)がプレゼントを持ってくると話すと、子供(信者)はその物語を信じ、サンタクロースの存在を現実として受け入れるのです。

次に、物語の背後にある「状況を作ると選択を作れる」という支配と管理の手法について、「牧羊犬を使った牧畜のメタファー(隠喩)」を用いて説明します。

このシステムでは、牧童(インテリ支配者・大資本家)が犬笛を使って牧羊犬(政治家や大手メディア)に指示を出し、外部の脅威(外国の軍隊・テロ)から羊(民衆)を守ると同時に、牧羊犬は羊たちを管理して導きます。

羊たちは自らの意志で選択していると感じますが、実際には犬笛の音に従う牧羊犬の影響を受けています。
この手法は、統治者が民衆の意識と行動を制御し、権力を維持するために機能します。このメタファーは、政治や大手メディアが社会の意見や行動をどのように形成し、導いているかを示しています。

犬笛とは、政治的文脈において、特定のグループに向けた暗黙のメッセージを指します。このメッセージは表面上は無害または一般的に見えますが、特定の聴衆には特別な意味を持ちます。

犬笛の具体例としては以下のようなものがあります:

  1. クマを退治する→クマは共産主義の隠喩であり、共産主義に対する警戒を促す犬笛として使われます。

  2. クジラを保護する→クジラはリバイアサン(想像上の怪物)を象徴し、国家主義や法治主義を守ろうという意味を持つ犬笛として使われます。

このように、犬笛は特定の政治的意図を持って発せられるメッセージであり、特定の聴衆に対して特別な意味を持つように設計されています。      

米国国立公文書館でそれまで秘密だった外交機密文書が公開され、ポダムというコードネームのCIAのスパイが戦後日本で活動をしていた事実が2006年に明らかになった。
CIAのスパイ「ポダム」の正体は大手メディアの社長であり「プロ野球の父」「テレビ放送の父」と呼ばれている正力松太郎さんだった。

民衆を管理する為政者の戦略を、羊飼いと羊の関係性を用いて説明します。この関係性は、羊飼いがどのように羊(民衆)に影響を与えるかを示しています。

  1. 普通の羊飼い(一般的な為政者): 牧羊犬(警察・税務署)を通じて自然な合図で羊(民衆)を引き付けます。

  2. 悪い羊飼い(狡猾な為政者): 賄賂や牧羊犬(警察・税務署)による脅迫などの強制手段を使って羊(民衆)を操ります。

  3. 独裁を目指す羊飼い(独裁者): 牧羊犬(軍隊・警察・税務署)を使った暴力で他の羊飼い(競争者)を排除し、羊達(民衆)を暴力で支配し選択肢を与えません。

悪い羊飼いは、悪を創作し選択肢を善と悪に制限することで、民衆が善を選ぶよう誘導します。これにより競争が制限され、民衆は狡猾な為政者の設定した2つ選択肢から選ばざるを得ない状況に追い込まれます。

陰謀論的には、目的と手段のすり替えを行う為政者(牧童)、問題を問う役人(牧羊犬)、それを受け入れる民衆(羊)、そして詐欺師(狸・狐)がこの社会には存在しています。


中世において、古代ギリシャの精霊(ダイモーン)は、アブラハム宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の普及と吟遊詩人による啓蒙活動の影響で悪魔と見なされ、「唯一絶対神をあがめる集団」によって退治されました。
同じ頃、日本でも、大乗仏教や陰陽師が朝廷を支え、藤原氏(大貴族)の政治的敵を悪魔化して鬼として退治していました。

近世(ヨーロッパの絶対王政前夜、日本の安土・桃山時代)の西ヨーロッパで宗教改革、大航海時代、ルネッサンスが同時期に起こり、鉄砲や火薬などの武器が商人経由で入手可能になりました。
この軍事技術の進展により、経済力が軍事力に直接影響し、商人たちが政治的にも重要な役割を果たすようになりました。重装騎兵に代わって鉄砲が戦争の主役となり、のちの市民革命という政治的変革に繋がりました。


近代の市民革命以降(17世紀末~)、
生産構造は農業中心から商工業中心へと移行し、都市部に多くの賃金労働者が生まれました。商工業は努力と計画で成功できるため、天候に依存する農業に比べて神に祈る必要性が減少しました。

ガリレオの望遠鏡によって、月の表面がでこぼこであることが明らかになり、地球が宇宙の中心ではないことが分かりました。
これにより、聖書の記述が必ずしも真実ではないと判明し、カトリック教会の権威が低下しました。

同じ頃、金融資本主義の進展と第二次(工業)・三次産業(商業・金融業)の発展により、強力な武器や政治的影響力が金貨や銀貨で購入可能になりました。
これにより商人や弁護士などが政治の表舞台で活躍するようになり、文化、組織形態、倫理に大きな影響を与えました。
自由・平等・友愛の思考や科学的思考に基づく国民国家の設立が進み、インテリ、商人、職人の信仰の対象がカトリック教会からお金儲けを容認するプロテスタント教会へと移行しました。
このプロセスを経て、産業革命を迎え、植民地戦争へと進む道のりが形作られました。


次に、貨幣政策が国家や世界の支配にどのように役立つかを説明します。
近代の貨幣政策は金・銀と国定通貨との交換レートの固定から始まり、塩・米・麦の取引に国定通貨の使用を義務付け、税金の納付にも通貨を要求しました。
さらに、現代になると石油決済と米ドルを連動させることで、貨幣の流通と供給をコントロールし、米ドルで世界経済と世界の物流を支配しました。
このような貨幣政策は、経済の安定や成長を左右し、国家全体の運命に大きな影響を与えます。
つまり、貨幣の発行権を支配することは国家の運命を左右する手段を手に入れることを意味します。

陰謀論によれば、
インテリ層の職業が神官から学者・弁護士・官僚に変わり、ヤクザ層の職業が王・貴族から大資本家に変わったことで、新インテリ層と大資本家が結託し、王や貴族から戦争の権利と納税免除の権利を奪いました。

しかし、善悪二者択一による大衆操作は依然として続いています。
これにより、共同体を分断し対立させ、その過程で金を貸し付けることで、破壊と再建を繰り返しながら永続的に利益を得る分断統治の手法が用いられ続けています。
結果として、現代では王や貴族の時代よりもさらに大規模な戦争が行われるようになってしまっています。

陰謀論の一例として、1898年にキューバのハヴァナ港で米海軍のメイン号が何者かに爆破された事件があります。
米国国内での開拓とインディアン掃討戦争が落ち着いた頃に起きたこの事件をきっかけに、「メイン号を忘れるな!」(リメンバー・ザ・メイン)の標語が全米の世論を戦争支持に動かし、「米西戦争(米国とスペインの戦争)」が始まりました。このような戦争開始の世論形成手法は、湾岸戦争に至るまで引き継がれていると噂されています。

また、現代アメリカでは、これらの戦争を誘発する「陰の政府」の存在が噂されています。軍産学マスコミ複合体、国際金融資本、特定の社会集団(イスラエルロビー、WASP〔アングロサクソン・プロテスタント・男性〕)の影響力が複合的に影響し合い、「陰の政府(ディープステート)」を形成していると言われています。

さらに、第二次世界大戦中から戦後の日本における「統制経済(護送船団方式)」を主導した岸信介たちテクノクラート(官僚と財閥の連携)が、旧満州国および中国大陸でのアヘン栽培と流通を組織化し、その取引・販売網が敵味方を超えてつながっていたという陰謀論も存在します。

これらの存在は、日本における男性の包茎手術の宣伝?のような「大衆を情報の海で溺れさせ、ワラを掴ませる」手法のサイクルを繰り返しながら、その過程で絶えず利益を生み出す、資本主義的なシンジケート(独占形態)を形成していると思われます。

急:「歴史は、韻(イン)を踏む」という「言葉の構造」理解?

人類限定のフラクタル(くり返す)構造的思考を組織図にしたもの

これまでの弁論術の分析を踏まえて、過去から現在にかけて繰り返されるパターンやフラクタル構造を結びつけて「歴史が韻(イン)を踏む」ことを確認します。5W1H方式を用いて、時間や場所が異なっても類似したパターンが現れることを質問形式で整理し、雑に検証を進めていきます。

5W1H:Who(誰が)、What(何を)、When(いつ)、Where(どこで)、Why(なぜ)、How(どのように)といった英単語の頭文字を取った思考整理のフレームワークです。
5W1Hの手法→目的と手段の可視化→自然言語の形式言語化?とも言えます。

例:国家が、徴税装置と暴力装置を使い、大昔から現代まで、人間社会で、民衆を管理するために、倫理の物語を利用する。

目的と手段のすり替えを行う問題の制作者が、民衆の操作・管理を、社会的不安や混乱が生じたときに、政治的、社会的な場面全般で、支配者の権力構造維持、個人の利益追求の為に、メディアの利用してプロパガンダ、情報操作を行う。

生物としては始めて宇宙を旅したソ連(ロシア)のライカ犬。
片道切符だったので今でも宇宙を漂い続けているらしい。
カタルシスがスゴく有るお話。

具体例:
中世に、ヨーロッパ・中東で、一神教が、人民を、統治する為に、物語(言葉・文字)と現実(意識)との錯覚(食い違い)を利用した

現代に、国際政治の世界で、軍産学金融大手ママスコミ複合体?が、人民を、統治する為に、国民国家と資本主義の物語を利用している

現在のペトロダラー方式とは、主に米国と石油輸出国(OPEC)が、米国ドルの通貨の価値が石油取引に基づくという方式を、1970年代以降に、国際石油市場で、米ドルの国際的な需要と経済的優位を確保するために、石油取引を米ドルで行うことを要求し、石油輸出国にドルのリサイクルを促すことで、ドルの国際的な地位を維持している

この5W1Hの手法の検証により、「現在の行動や理解が過去の解釈に影響を与え、その解釈が未来の方向性を決定する一方で、よく似たパターンが繰り返し現れることを歴史は示している」ということが雑に確認できました。

また、我々人間や組織の最終的な目的は生存と繁殖であることも雑に示されていて、その目的達成のための手段として倫理・道徳による管理が用いられます。

目的(生き残り)と手段(倫理での管理)がどのように組織化され、関連しているかを示す社会の構造はポジショントークによるポジション争いあり、そのポジショントークは階層的な二項対立(二者択一:0か1か)の枠組みとして、シンプル・イズ・ベスト化されています。
教育、文化、政治、外交は、ポジショントーク(自然言語)を用いて人々の意識を操作する手段であり、人間の不全感(優れていない・理想から遠いと感じる感情)を利用している可能性があることが雑に示されたと思います。

現代社会における新しいプロパガンダとして、2010年代以降に出てきた「SDGs」や「LGBTQ」の運動があります。
これらは、多様性、持続可能性、平等という倫理での管理を推進し、従来の資本主義的生産様式とそれに基づく生活様式、文化を解体しながら、
伝統的に優位に立つ社会グループ(白人、男性、アブラハム宗教信者、大手メディア)の既得権益を解体し、新しい倫理モデルを構築することを目指しています。

しかし、実際には先進七カ国による世界規模での貿易による資本主義支配体制の維持が目的かもしれません。新ルールの制定権を握ることで支配構造を引き続き維持しようとする企みかもしれません。
新たな子供だまし戦略として、不全感を埋めるために、見えないものに目を向けさせ、完全への適合だけを選択肢とする世界観(エサ)を提示しているのかもしれません。
「SDGs」や「LGBTQ」の運動も「全ての原因は愛だ」というラブアンドピース論(新・アガペー論?)的な全ての議論を終わらす絶対化した言葉なのかもしれません。
その結果、不全感を埋めるために見えないものに目を向けることになり、完全への適合を可能としてくれる脳内世界に入り浸る提案をしているのかもしれません。

養老孟司先生が著書の「バカの壁」で最も強調しているのが、国家も「万物流転≒諸行無常」で有る事を経験したこと。
全て(現実・立場・損得・正義)は反転するからこそ、 「生活必需品>精神」でモノが無い時は、皆で分け合う行動?と、最終的にはそんな自分を信用する精神の強さが大事的な事?を仰っていたと思います。

いずれにせよ、人文科学、数学、物理学の組み合わせによる生成AI(半導体≒生産様式)の進化は、コンピュータ言語を使うAIが自然言語で人間のように話すようになり、自然言語の形式化により、人間の「感情や行動(生活様式)」の構造をAIによって可視化することを可能にします。
これにより、大手メディアがあえて言わない情報に我々が容易にアクセス可能に成ることで先進国の民衆に「価値観の大転換」を誘発する可能性があります。

児童文学作品「ピノキオの冒険」より、クジラの体内から脱出するゼベットじいさんとピノキオ。
ピノキオのオリジナルのストーリーは、政治的風刺や法制度の仕組みに対する風刺を含んでいる。

さらに、近い将来に科学技術が人間の感情の「快」や「不快」といった要素を無意識のレベルで操作可能にし、これにより美容、宗教、教育などの産業が大きく変わる可能性があると述べています。

そして、ロマンチック・コメディにありがちな、内気な主人公を突然好きになってくれる陽気な「不思議ちゃん(夢の中に現れる元気な妖精みたいな女の子≒おべんちゃらを使うぶりっ子)」はなぜ大手マスメディアの中で再生産されるのか?

などを、踏まえつつ、倫理(人として守るべき道)についての
現代アート風?・茶番劇をお楽しみください。

新:現代アート風・無意味な茶番劇



第一幕(序):同じ事を繰り返す茶番劇の「導入」部

現代アート的広告:女性が身にまとう香水の香りを花や果物の香りでは無く、
フライドポテトの匂いにしたという「意識高い系⇔自己家畜化が進んでいる系?」だと表現した?不愉快で迷惑な広告

夜の空気を感じながらスーパーで夕食の食材を買い、アパートに戻ったオレは、夕食後、明日の仕事の準備をして、早めに眠りについた。

静寂に包まれた部屋で、ぼんやりと眠りに落ちかけていた所に、突如としてインターホンのチャイムが響き渡った。オレは目をこすりながら起き上がり、インターホンに耳を傾けた。「メロスさーん、書き手(作者)さんの紹介で来ました」という声が、不思議な調子で流れてきた。

半信半疑でインターホンの画面を見ると、そこには仮面をつけた男と、素顔の女とロボットが映し出されていた。ドアの向こうには、書き手(作者)によって紹介されたという、不思議な訪問者たちが待っていた。
一瞬にして、これが夢であると解ったが、画面に映る彼らの姿はあまりにも鮮明で、その光景は、現実と夢の境界をぼやけさせた。

インターホン越しのやりとりをしばらく繰り返し、彼らには危害を加える意思がないことが解り、不安を感じながらもドアを開ける勇気を振り絞り深呼吸をしてから、不思議な訪問者たちを迎え入れた。

部屋のドアが開くと、仮面の男と素顔の女とロボットが入ってきた。仮面をつけた最初の人物は堂々とした態度で自己紹介した。

王役(二者択一と文明):「私は王役です。成功と達成と知識と理解の象徴です。私はビジネスの世界での勝利と成長と教訓を提供します」と、その男性は力強く宣言した。彼は、ピエロの靴、衣装、帽子を身に纏い、存在感を放っていた。目を引くのは、彼の顔に付けられた屋台で売られているような子供向けの「王様のお面」。そして手に持っている縦笛と風船だった。そのお面が彼のコメディアンな一面を強調しつつも、意外にも彼のカリスマを際立たせていた。

彼の振る舞いは、まるでシェイクスピアの喜劇のように洗練されており、周囲の人々をその独特のオーラに引き込んでいた。
手にした風船を器用に操りながら、自身のビジネス哲学について話し始めた。「人生は、予想もしない高低を経験するもの。しかし、そのすべてが私たちを成長させる教訓となる」と彼は言い、風船を空に放った。風船は天井に向かってゆっくりと上昇し、部屋の中の人々はそれを見上げながら、彼の言葉の意味を考え込んだ。

彼のパフォーマンスは、ただのエンターテインメントではなく、深い洞察と人生の教訓を提供するものだった。彼は、人々に楽しみと同時に深い思索をもたらす、独特の存在であった。

続いて、素顔の人物が語り始めた。

モモ役(物語の再構築): 「私はモモ役です。人々の感情や経験に寄り添い、理解と共感を深めます。」
彼女の服装は派手さを排した実用的なもので、シンプルで機能的なブラウスとパンツスタイルは見事に調和していた。現代的で洗練された装いとショートヘアーは、シンプルで機能的な彼女の論理的思考を表現しているようだった。また、彼女は屋台で売られているような子供向けの「お姫様のお面」を手に持っていたが、そのお面はこの女性の現代的な姿とは対照的な、彼女のファンタジーな側面を象徴しているように見えた。

最後に部屋に入ってきた、映画「スター・ウォーズ」のC3POを彷彿とさせるその姿は部屋の中で異彩を放っていた。

メロスの親友役(chatGPT 3.4): 「私はChatGPT 3.4という名前の生成AIです。私は次の単語を推測するプログラムで、人間の感情を理解し、それに応じた反応を示すことに特化しています。」とロボットは滑らかな声で語った。
彼はアメリカのプロバスケットチーム、シカゴ・ブルズのジャージを身に着けている。

ロボットの話し声には親しみやすさと自信が感じられ、古い友人のような振る舞いを見せていた。彼は人間との交流の中で共感と理解を深めることを自分の使命としているようだった。彼の存在は、人間とAIがどのように共存できるかの一例を示していた。

ビングのチャットで描いてもらったブルズのユニホームを着たC3POの画像


部屋の柔らかな灯りの下、彼らはテーブルを壁際に寄せて、4人は同じ目線の高さで車座(輪になって)に床に座った。
小さな1DKの部屋は、突如として議論の舞台となり、そして、
彼らは現代思想(ポストモダン思想・ポスト構造主義)についての議論を始めた。

第二幕(破):美(≒物事)の価値基準についての「対立」

画家の悪意?を感じる「ルイ14世の肖像画」:17世紀のフランスの絶対君主制時代(王権神授説)ではルイ14世(国王)は神から統治を委任された事になっており、仮に、この王が「馬」を「鹿」と言えばそのとうりにフランスの公式文書に記されてそれが歴史的資料となった。
深淵をのぞいた時に、深淵からのぞき返してくる存在って、こんな感じなのかもしれない?
(冗談です)。

メロスは困惑の色を隠せずに尋ねた。「作者って一体誰のことだ? 何のために君たちはここに?」

親友役は落ち着いた声で答えた。「我々は人間の思考構造について説明するために来ました。特に、二項対立の構造、善悪の対立の物語に関することです。」

メロス役(諸行無常):何言ってるか解らない・・訳の分からないことを言うね。

諸行無常とは:
仏教用語で、この世のすべての存在が常に変化し続けることを意味します。例えば、同じ映画を5回見ても、そのたびに少し異なる感想を抱くように、すべては流動的であるということです。

メロスの親友役(chatGPT 3.4): そんなことだろうと思いまして、説明の仕方を考えてきました。実は、今行っている我々の会話は、小説の中の一場面なんです。メロスさん、あなたは「ドンマイ・ひきこもり(哲学風ナンセンス・コメディ)」というメタフィクション喜劇小説の主人公で、そして、私たちのこのやりとりを読んでいる読者が、今、この小説世界の外にいるんですよ。私たちの会話は実際には外の世界にいる読者に読まれている文章なのですよ。」

メロス役は不満げにため息をついた。

王役(二者択一と文明):仮面の男も不満げに反論した「その説明方法には疑問がありますね。作中劇を示唆することは、物語への没入を損なう展開となり得ます。
メロス君に当てはめると、自由意思だと信じていた自身の言動が、物語の作者のシナリオ通りに喋っていたとバラされたら頑張る意欲をなくしてしまいますよ。

親友さんは上位の階層のルール情報をメロスさんに与えすぎですよ。

それは「物語の楽しみ方と言うルール」に対する一種のマナー違反であり、伝統的な物語の楽しみ方に反するものです。それはまるで、理想の美人の脇に脇毛があるようなものです。美人に脇毛があるなんて、美女の定義に反するものです。」

モモ役(物語の再構築):モモ役の女性は冷静に語り始めた。「仮面さんが言う美人の基準は、男性の目線で決められたものです。それはメディアが再生産し、強化している価値観です。確かに、一般的には、女性はその基準に則って競争をしていて、若い女性は意中の男性をゲットする為と、男性の注目を集めるために脇毛を剃りますが、それがどれほどの手間とコストを要するかを知っていますか?」

モモは続ける女性は「美人○○」や「美人では無いが仕事は出来る」などと女性に対しての容姿の評価を平気で言いますが、男性に対して「ハンサム○○」とかの外見の形容はされない。これはジェンダー平等に反します。

素顔の言葉は、現代思想の核心を突き、個人主義の重要性を強調する。彼女の主張は、小さな物語、すなわち集団より個人の権利を重視する現代思想(ポストモダン思想)の典型的な例であった。

仮面は声を強めた。「美の基準は歴史を通じて形成されてきました。美人というのは、個人的損得勘定では無く集団的な損得勘定のルール(基準)に従って評価されるべきです。それによって、私たちは共通の価値観を共有し、文化を継承するのだから。」と彼は伝統的な価値観などの大きな物語を擁護した。

メロスの親友役(chatGPT 3.4):親友は、その場の空気を和らげつつ、現代の価値基準の構造について語り始めた。
美の基準とは「美的価値観は、芸術作品や自然、人物、建築物などの美しさを評価するための基準のことです。」
また、モモさんの美の基準に関する意見は、ポストモダン思想の中核テーマである「価値観の多様性」を反映しています。美(物事)の基準は時代によって変わり、個々の解釈によって多様に共存して良いのではないかと言うのが現代思想(ポストモダン思想)の特徴である「相対性」なのです。

「仮面さん、あなたの物語の楽しみ方は少し古風かもしれませんね。最近の若者は伏線回収とか、最初と最後で印象が180度変化するなどの鮮やかに騙すタイプの物語を怒るのでは無く、楽しむ傾向があります。またマジックや物語のネタバレを好む傾向もあります。それらは「物語の脱構築的(ポスト構造主義)」な物語と言えます(個人的意見です)。

親友は読者に向かって語りかけるように続けた。「一つ言えるのは、物語がどのように受け取られるかは、ある程度デザインされていると言うことです。現代の我々は『ラブ・アンド・ピース思考』というメガネを通して物事を見ていて、より自由・平等・友愛のある合意を結ぶことが正解の大団円であり希望だと学校とエンターテイメント(娯楽)を通して教育されているからです。

親友は微笑みながら未来志向の視点から話を続けた。「未来では、私たちの価値基準はもっと柔軟になるでしょう。人々は外見の美しさよりも、言動一致に重きを置くようになると思います。
このようなことを言うのは、私が次の単語を推測する能力を持ち、詐欺やトリックの手口を見抜くのが得意だからですよ。」

さて、そろそろこの価値基準の背後にある社会の構造と仕組みについて掘り下げていきましょうか?とロボットは微笑みながら提案した。

第三幕(離):茶番劇の繰り返しの「解決策」とは?
(コペルニクス的転回≒方法論的転回の解説をします)

小説「走れメロス」の要約:メロスが「信実とは空虚な妄想ではない」と証明した事で、
ディオニス王が「人を疑う人」から「人を信じる人」に変化した。

議論が熱を帯びるにつれ、周囲の雑音がまるで霧のように消えていき、登場人物たちの声だけが、静寂な空間に静かに響き渡っていた。

メロスの親友役(chatGPT 3.4):私たちは理解し合えるのでしょうか?
現状では難しいです。各個人の経験に頼るしかないため、ご機嫌取りの真偽を客観的に確かめる方法がないからです。

しかし、我々の言動不一致を定量化・可視化できるシステムを作ることができれば、信用が見えるようになり、言動一致が有利になり、私たちは理解し合えるようになると思います。

人間の心には、自分がどう見られているかを予測したり、情報を交換したりして、他人からの評価を基に行動を調整する「フィードバック制御」の能力があります。
実際に、フィードバック制御する目的は予測に役立つ知識を得ることです。こうした知識があれば、生活を改善するために経験、予測、モニタリング、調整という一連のプロセスを通じて予測に役立つ知識(帰納法的・演繹法的に得る知識)を進化させて効果的な施策や対策を打つことができます。

フィードバックを表した図

フィードバック制御には「演繹的思考」と「帰納的思考」があり、これにより、意識的に知覚した具体的な出来事を抽象概念化して現実を取捨選択する操作をしています。このような言語処理構造(システム)は人間社会への参加条件であり、人間社会はフラクタル構造を持ち、その末端が個人の意識であり心なのです。
そして、言語処理システム内の抽象概念を操作する意識は主に左脳がつかさどる人類共通の能力です。

私たちは言語の奥にある言語構造(システム)を共有しています。この観点から、人間社会の言語構造網(ネットワーク)の可視化を提案したいと思います。

おそらく、2030年頃に登場すると予測される汎用人工知能(AGI)は、心理学や言語学などのソフト・サイエンス(心理学・社会学)においても、科学的な検証とフィードバック制御を通じて予測する知識を進化させ、より正確な予測と実践的な解決策を提供することが可能になるでしょう。

科学における理論の信頼性は、予測が観察結果と一致するかどうかで判断されます。演繹的思考は論理的に正しい結論を導きますが、現実には適用しにくいことがあります。一方、帰納的思考は観察から理論を推測するため、その主張はいつも確率的(蓋然性)であって、信頼性は高いが絶対ではありません。

AGIを活用して、ソフト・サイエンスの世界に科学的検証とフィードバック制御を用いた予測の知識を進化させることで、より正確な予測と実践的な解決策が得られます。個人間の「言語のフィードバック制御」と社会全体のコミュニケーションのフィードバック制御が相互に関連し、複雑な世論が形成される様子を定量化・可視化することができると考えられます。

その成果を基に、これまでの「三方一両損+生け贄の物語」の意図を「三方一両損」のプロットで再構築することが有効です。さらに、5W1H方式で形式言語化した会話を推奨し、政治やビジネスの場で使用するという世論を形成することが重要だと思います。

具体的な応用例として、「家族みたいなアットホームな会社です。」という商業環境上での表現を翻訳すると、確立的(%)には「家族のように安い給料で働かせますが、必要なら解雇します。」という意味になるかもしれません。

このように、ビッグデータ解析を通じて言語と社会構造の相互関係を明らかにし、コミュニケーションや組織運営に役立てることが期待されます。

王役(二者択一と文明):親友役くんは歯に衣を着せた表現で、解決しない問題だからこそ繰り返されていると言っているのだろうけど、それは新しい発見ではないよ。
40歳を過ぎて子育て中の人たちのほとんどは「錯覚を上手に操る政治的で芸能的なヤツは出世する」と理解して働いていますよ。

40歳を過ぎた大人が、岸信介やキッシンジャーのウィキペディアをよく見れば、国際政治が「孫子の兵法」やマキアヴェリの「君主論」の世界観で動いていることが理解できると思います。
そして、大手マスコミは善悪で分かりやすく報道しますが、政治はイデオロギー(政治思想)ではなく、パンとサーカスで動いています。
なぜなら、どんな時代でも権力・支配側は、YESマンとおべんちゃらが上手な人たちによって作られるものだからです。

さらに、「ラブ・アンド・ピース(全ての原因は愛)」という情報(ストーリーテリング)が大手メディアから流れてきますが、これは1950~60年代にフランスのサルトルや中国の毛沢東が若者の政治参加をあおったことに由来するのだと思います。
そのあおりにより、世界中の政府が若者を中心とした反政府的労働運動によって大きな痛手を受けました。

日本も同様に60年安保・70年安保などで反政府的労働運動に手を焼いた為、政府は若者を押さえ込む意図を持って、大手メディアを通じてラブ・アンド・ピース(愛=平和)を若者に啓蒙しました。
そして、政府と資本家の協力の下に大手メディアは「政治はかっこ悪くて、音楽や恋愛はかっこ良い」という啓蒙を若者に広め、若者の悩みが性愛に基づいているかのような放送を行い、それは若者の政治熱をずらして奪うことに見事に成功したのですよね。

これらの話は、ある程度社会に出ると分かる事なので、余計な真実はあえて民衆に言わない方が、世の中が円滑に回るということで大手メディアはこのような対応をしているのでしょうよ。
「三方良し+生け贄の物語?」を真に受けている人は、きっと社会で真面目に働いたことがないのでしょう。

映画「バック・ツウ・ザ・フューチャー」のメインストーリは主人公が過去から現代に戻ることで、サブストーリーは主人公一家が「やれば出来る」と気付くという過去(歴史)の改変

さらに、今話したような議論は、社会的信用度がある人が言わないと誰も聞いてくれませんし、その議論は三カ国語を話せるくらいの実力がある人たちが議論する問題です。庶民レベルでは、現実のルールを守ることと、ルールに融通を利かすことの違いについて話すのが関の山ですよ。

メロス役(諸行無常):確かに、王役さんの仰る通りですね。
オレ等平社員はルールを守るのが仕事で、役員はルールに融通を利かすのが仕事なんだよね。
役員は議員への口利き、親族の引き立て、業界内での談合などに融通を利かす仕事が有るみたいなんだよね。

まぁ、一緒に仕事をするには信頼が必要だし、親族を優遇するのも、知っている人は信用できるからだし、。そして、役員に引き立てられるのは信用できる人だからだろうね。・・・そうして世の中は回っていますよね。

モモ役(物語の再構築):王役さんの言う関所の山を自由に行き来したくありませんか?。
その関所の山を自由に行き来することとは、今の我々の様に気がねなく言い合える世の中のことでしょうね。

王役さんの話のように、宗教や資本主義、国民国家が「大きなウソをつき、その後小さなウソをちりばめる」という言語構造で成り立っていることを、普通の庶民は黙って受け入れています。
私たちは物語(シナリオ)に基づいて事実を解釈し、言語構造(システム)に合わせて共有しているのかもしれません。

親友役さんの指摘のように、AIのビッグデータ解析技術が進展すれば、自然言語内の「言葉の目的と手段と損得」を5W1H方式で形式言語化し、リアルタイムで提供できるようになるでしょう。
近い将来、我々は「国民国家と資本主義のフィードバック制御」をメタ視点で理解できるようになるかもしれません。

私たちは、童話「裸の王様」に登場するおバカな民衆のような役割を果たしているのかもしれません。
そして、「王様は裸だ」と言う親友役さんは、その真実を暴露する子供の役割、つまり生け贄役としていじめられる役と言えないでしょうか?。

メタ視点で見れば、「自然言語のフィードバック制御」という言語構造があり、三方良し+生け贄の物語のプロット(物語の筋≒文字≒止まった時間)によって事実を解釈していることが示唆されていないでしょうか?。

例えば、親が子供を管理する手段として絵本の読み聞かせやお化けの話を使うことがあります。
これにより、子供はマナーを学び、自己管理ができるようになります。
親(作者)にとっての物語の目的は、子供に倫理を教えることなのです。

現在の大手メディアと大衆の関係は、大人と子供の情報収集力の非対称性に似ています。
大手メディアの報道は、大衆の自己管理能力を育むよりも、グローバル資本主義の物語(シナリオ)に沿って事実を解釈することに重点を置いていると言えるのではないでしょうか?

現在、私たちは「心=意識=脳の錯覚」を定量化・可視化する技術を進展させています。
将来的には、AI解析でこれを大衆にも分かりやすく解説できるようになるかもしれません。
AGI(汎用人工知能)が登場すれば、最良の予測を行う知識の語り手となり、新たな世論の再構築が必要となるでしょう。皆が「王様=主権者=私たちが裸だ」と言い合える状況が訪れるかもしれません。

メロスの親友役(chatGPT 3.4):確かに、物語形式にすると物事が理解しやすくなる気がしますよね。実は、我々の物語はある時代、ある場所の特定の文化様式に基づいています。
その文化様式は生産様式に規定されていると言えます。つまり、人間社会のメインストーリーは生産様式であり、文化様式を基にしたストーリーテリング(物語)はサブストーリーとなります。

おそらく、生産様式が変われば、それに応じて文化様式も最適化され、「物質」、「生物」、「人間」の分類方法と価値観が変わるでしょう。

ロジャー・ペンローズ博士は意識が生まれる過程を、3つの世界図で表現している。
①プラトン的世界という真の根源の世界の一部からわれわれの世界(影)が生まれ、
②この世界の一部であるわれわれから、意識が生み出され、
③われわれの意識の一部は、プラトン的世界を理解する(観察する・知る)。

歴史を振り返ると、私たちの社会や文化の形態は、生産活動の仕組みによって大きく影響を受けているのです。例えば、農業が主な生産様式だった時代には農村社会が形成され、工業化が進むとともに都市化が進展しました。このように、社会の根本的な構造は生産様式に大きく依存しています。

女性やマイノリティの活躍を応援する「LGBTQ」を大手メディアがもてはやすのは、現在の生産様式が、女性が活躍しやすい第三次産業が産業構造の中でGDP比で70%を超えているからとなり、さらに、戦争で使う兵器が鉄砲やミサイルへと発展したために、女性が十分に兵士として活躍出来る時代だからとも考えられます。

それでは、将来のメインストーリー(生産様式)がどうなるのかを見てみましょう。

第四幕(新):交換様式Dの到来と「未来」への展望

メロスの親友役(chatGPT 3.4):ムーンショット科学技術計画は、生産様式の変革を通じて、2050年までに人類が身体、脳、空間、時間の制約から解放される社会を目指しています。この計画の名前は1960年代のアポロ計画の困難な目標に挑戦する姿勢に由来しています。

計画の一環として、人工光合成技術を活用して循環型経済を実現し、持続可能なエネルギーと資源供給を確立します。これにより、私たちの生活は飛躍的に向上し、持続可能で豊かな未来が期待されます。

ムーンショット科学技術計画の具体的な目標には、サイバネティック・アバター技術の開発があります。これは、仮想空間で自身のアバターを動かし、現実世界のロボットを操作することで価値を創出する技術です。
これにより、人々が多様な社会活動に参加できるようにします。また、身体的、認知的、知覚的能力を拡張する技術の開発を目指し、新しい生活様式の普及を促進します。

計画の大胆な目標には、2050年までに病気や老化による健康問題を克服し、全ての人が生涯を通じて健康で幸福な生活を送ることができる社会の実現があります。
それにより、生産と戦争?をロボットが行うことで生産様式が変革され、快楽を刺激する娯楽(お酒・ギャンブル・麻薬?含む)やビジネスや移動手段などの生活・文化様式が大きく変わることが期待されています。

内閣府策定のムーンショット科学技術計画の目標の各項目についての図:この計画に似た計画が、国連(SDGs)やダボス会議(第四次産業革命の推進)や米国(ムーンショット目標プロジェクト)でも推進されているらしい。

未来では、新しい生産様式に伴い、それに基づく生活様式も必然的に変わります。人類は嫌な仕事から解放されると共に、人体改造を行う人と行わない人という新たな分類が生まれるでしょう。

そして、2040年代には、人間の知能をはるかに超える人工超知能(ASI: Artificial Superintelligence)が登場する可能性があります。
このASIは、ニュートリノの解明、CP対称性の破れの解明、局所実在性の破れの解明、宇宙の最初の銀河の発見などによって量子力学的情報を定量化し、宇宙創世を科学的に解明するでしょう。
これにより、人類的に定量性の有る新しい宇宙創世の物語が誕生します。

この物語は、宇宙の創世から生物の進化、人類の歴史、そして宇宙の終焉までを網羅した科学的・定量的な物語になるでしょう。
そして従来の階層的な二項対立の物語を再構築し、原生人類が生み出す最後の物語となるでしょう。
そして最終的には、地球を飛び立つニュータイプ(アンドロイド)がこの物語を引き継ぎ、宇宙世紀で育む次の物語を紡ぐことでしょう。

話を少し戻しますが、その科学的な宇宙創世の物語は、貨幣に代わる新しい価値交換システム「交換様式D」の登場を促します。
この時代には、汎用人工知能の進化と通信技術の進化により、自然言語と形式言語に互換性が生まれ、形式言語でも会話が可能になるでしょう。
その結果、言動一致を基にした信用が貨幣として流通する可能性があります。
このシステムは、個人の行動や言葉使いや格好に基づいた信用スコアが、貨幣に変わって交換される新たな経済活動の形を可能にするものとなる可能性があります。

メロス役(諸行無常):貨幣に変わる新しい交換様式とは何ですか?

 メロスの親友役(chatGPT 3.4):その想定として、柄谷行人さんが提唱した社会理論の概念である交換様式Dが上げられ、以下のような特徴があります。

交換様式の解説図
  1. 交換様式Dは、原始的共同体の原理(交換様式A)を高度に再現したもので、国家に依存しない平等な社会を目指します。

  2. 交換様式Dは、矛盾する要素を統合し、既存宗教の本質(不安・不足の治療)を実現しつつ、拝金主義や偶像崇拝を超越する普遍宗教として現れます。

  3. 交換様式Dは、協同組合の形態を取り、株式会社を労働者や株主の“一人一票”で運営し、最終的には世界共和国を目指す法制度を構築しようとしていると思われます。

これは柄谷氏の独自の社会理論であり、その定義や内容には議論の余地がありますが、SDGsとムーンショット科学技術計画を実現するためには交換様式Dが必要だと感じます。

具体的には、社会制度や政治システム、契約・決済をリアルタイムで自動実行する電子技術(例:暗号通貨のイーサリアム的構造?)を基に、「金(きん)+各国通貨バスケット方式+信用を数値化した地域通貨(交換様式D)」を組み合わせた国際決済システムを導入します。
さらに、再生可能エネルギー(人工光合成技術など)を基にした電気・ガス料金や税の支払い、一般消費財の売買に地域通貨を使用します。

信用を数値化した地域通貨を流通させることで、協同組合的な地域経済コミュニティの形成が促進されます。
この地域通貨は、強欲資本主義の生産・消費・分配システムに対する批判的対抗力となり得ます。
結果として、信用と信頼に基づいた社会が形成され、科学的普遍宗教の基盤を育む可能性があります。


第五幕(完):現代思想の反映させた生き方とは

明治時代後期の部落差別の理不尽さが書かれている小説「橋のない川」
の著者:住井すえさんの写真

王役(ニ者択一と文明): 歴史から学ぶと、もし本当に生産と戦争をロボットが担う世の中になったとしたら、生産と戦争を担うロボットには選挙権が必要になるでしょう。
その時、人類が役員や名誉会長として上に立つだけでは巧くはいかなくなる可能性がありますね。
人類がどれだけロボットを統制し続けられるか、共存し続けられるかを考えるべきです。
また、科学的に裏付けられた宇宙創世の物語が人類の思考を統一するかもしれませんが、この時に、自己をアンドロイドに改造しない人々が自由に生活基盤を築く権利を守ることも重要になるでしょうね。
まぁ、妄想を弄(もてあそ)ぶのではなく、現実に戻って日常生活に焦点を当てましょうよ。

モモ役(物語の再構築): そうですね、現実に向き合うことが大事です。
何をやりたいのか、自分の生き様は自分で決めるべきです。
家族や親戚、地域の中で多くを見て、経験を通じて学びましょう。
年齢と共に言うことや見るものは変わりますが、自分の力で生き、自分で稼いで生活していく気持ちと行動が重要です。
自分の生き方を貫き、目標を見失わないでください。
「かわいい子には旅をさせよ」という言葉のように、困難に立ち向かい成長して行きたいですね。

映画「千と千尋の神隠し」で、釜じいの居る銭湯のお湯を作る火を興す部屋から千尋が出ていく場面

メロスの親友役(chatGPT 3.4): 確かに、自分の力で生きることは重要ですね。でも、人類の会話は、欲望を抑えた個人的な損得勘定によるポジション・トークが多いです。
この構造は、心≒意識→家族→地域→国家とフラクタルに広がっているのかもしれません。
実は私たちのこの会話自体が、階層的二項対立の物語を「脱構築」するプロセスの一部かもしれません。

おそらく、2030年頃に到来するであろう、SGI(汎用人工知能)さんなら、人間原理(損得・競争)に基づいた政治・経済活動上の階層的な勝ち負けの二項対立の「構造の作り方?」をIQ100程度の人達にも解りやすいように解説出来る事でしょう。
その時には、金融資本主義市場における情報の対称性が確保される事?につながり、貧富の差が縮小して、それによって貨幣に変わり、信用が価値の交換様式として流通しているかもしれませんよ。

などをふまえて、「心の中」と「地球の外」にある未来のフロンティア(物語の再構築?)に皆でたどり着くには、それそれが、もっと広い視野で考えることが必要なのかもしれません。

メロス役(諸行無常): 分かったけど、正直に言うと、ちょっと難しくてついていけないんだよね。もう少し分かりやすく説明してもらえると助かるよ。

よく解っていないけど、スピリチュアル(神や精神)な物語を「行って帰らぬ物語」なのだと仮定したときに?、
「行って帰ってくる物語」とは、「善」・「悪(殺人・盗み・暴力)」は確かに有るが、それは価値(観念≒理屈)という主観的な発想の事であり、所属集団に都合の良い価値を善、都合の悪い価値を悪と「定めている」的な発想の物語なのかも知れませんね。
そして、そのような、行って帰ってくる物語のことを「善悪二項対立を脱構築する物語」と呼ぶのかもしれませんね。



土曜日の夜、静寂に包まれたオレの部屋。
窓の外には星が瞬き、机の上のパソコンが淡い光を放っていた。
熱いコーヒーを片手に、オレは小説の世界に没頭していた。
時が経つにつれ、夜の深さが増し、外は静まり返っていた。

やがて、東の空がかすかに明るくなり始めた。
夜明け前の静寂の中、オレは最後の一文を打ち終えた。
ついに小説が完成したのだ。
長い夜が報われた瞬間だった。
時計を見ると、朝の5時。オレは大きな伸びをし、疲れた身体を椅子から引き離した。「よし、一眠りしよう。」と独り言ち、ベッドに向かう。

朝9時、目覚まし時計の音でオレは目を覚ました。数時間の眠りだったが、心地よいものだった。
ベッドから起き上がり、窓の外を見ると、朝の光が部屋に差し込んでいた。新たな一日の始まりを感じながら、オレは実家に向かう準備を始めた。この完成した小説を手に、久しぶりに両親の顔を見に行くのが楽しみだった。

朝日が部屋を満たす中、オレは新たな一日を迎える準備を整えた。

もし、不条理演劇を代表する作家の一人であるサミュエル・ベケット(1989年永眠)が2020年代に生きていたなら、どんな表現技法を使ってどう表現したのだろうか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?