あと10年で死ぬなら勉強をするのか
ブルーバックスを読むことを勉強と呼ぶなら、私は勉強をする。
大人のいいところは、読んだのが科学系新書だろうとエロ本だろうと本人が「これは勉強です」と言い張れば勉強認定してもらえるところ。
仕事の都合で国家試験の受験勉強をしているが、余命ざっくり10年大体3650日のうち、約30日を資格取得に費やすのはどういう意味があるだろう、と思う。
あの世に資格は持ってけない。しかも今度受けるのは国家資格で国際性すらない。
あの世では「大変なことに時間を使いましたね」て皮肉を言われることだろう。
8月30日(金)
リュックのサイドポケットに、バナナをぶっさしている若者がいた。エレベーターで一緒になった。
若者が前で、私は彼の背後にいた。バナナに目が吸い寄せられる。
出社時雨が降ってたせいか、サイドポケットから飛び出てたバナナの先端は少しぬれて、真っ黒に黒ずんでいた。酸性雨〜〜。
「そこ、バナナ、入れていいんだ……!」ていう新鮮な感動があった。
午後からはメンターと冷ややかにクソもめた。
「交通費は諦めてって(お局に)言われてますが」
「出るから申請して下さい。時間かかるなら今日は申請しないで下さい」
とかそういう内容。
8月31日(土)
参加してる市民プロジェクトのオンラインミーティングがあった。
取材して文化欄みたいな記事を書くプロジェクト。今月24日が成果物提出期限だった。
成果物を参照しながら感想や改善案を述べて、記事をブラッシュアップするのが目的のミーティングだった。
取材ってプロセスは大差ないのに、提出された記事に出てくる個性は多様で面白い。
「どうしてこういう記事になったのか、何を考えて書いたのか」も発表した。
「ステークホルダが安心して読める事を目指して書きました」と発表した後で、それは……文化欄の記事執筆において当たり前のことだな……て気づいた。
案の定、誰も進んで感想を述べようとしなかった。
当たり前のことを「やりましたぁ!」てドヤ顔されてもな、そらな。
ミーティングの後はジムに行った。
行ってからタオルを忘れた事に気づいた。
ランニング中の滝汗を拭うもんがないとなると、ランニングマシンは諦めざるを得ない。30分の使用制限時間いっぱい、音楽に合わせて走るのが楽しみなのに。
ジムで45分以上運動するようになってから、頭の巡りがマシになった。
勉強は捗るし、良くも悪くも感情の輪郭がよく見えるようになった。
あまりいい感情が身の内にない場合、感情の輪郭なんて「嗤いとばせるならネタになる」程度の利益しかなく、見えんなら見えん方がいいこともよくある。
9月1日(日)
神保町の店舗物件を当たっていたら日付が変わった。
ともすればこの田舎街より安い物件があって、どゆこと? てなる。
坂東と蝦夷地では通貨が違うのかも知れない。
日中の予定は先方の都合で爆散していた。
1日空いたので、家の中から出ない事を決めて、市民プロジェクトの記事修正を進める事にする。
こちらの方が、国家試験より締め切りが近いから。〆切は近いものからこなしていきたい。
修正してみたら誰も安心して読めない程度には、皮肉と厭世と皮肉と皮肉のフォローで字数が埋まっていた。「だから私は読み手が安心できる言葉選び重視したんだな」と思って書き直す。
海外ノンフィクションをよく読むのは、ひとえに筆者の書く悪口と皮肉とブラックジョークと世界に対する嘲弄的態度が好きだからだ。
日本語に翻訳されているからスタイリッシュに見えるものも、日本語直球でやるとただただ人格に難のある文章になる。