あの時を振り返る
「ご家族の方を連れてきてください」
2度目の細胞診が終わった後、私はそう告げられた
その時私は「死への特急に乗ってしまった」と思い、戸惑い、耐え難い恐怖を感じ、ただひたすら泣くことしか出来なかった
それまではのらりくらりと各停で21年間穏やかに生きていたはずなのに、急に「終わり」が身近なものに感じられるようになった
「どうせ人はいつか死ぬのだから」「同世代より少し前に終わるだけ」と必死に冷静になろうとする自分がいる一方で、
知らないままでいたかった、夢であってほしいと切に願う自分がいた
自分がこういった状況に陥っていることは誰にも知られたくない一方、誰かに話を聞いてもらわないと怖くて、痛くて、1人では抱えることができなかった
全部無かったことにして普通にいっぱい仕事して恋愛して結婚して子供を産んで母に孫を見せてあげたいと心の底から思った
このことを彼に告げたらどうなるのだろう、生き延びたとしても子宮を失う彼女とは一緒にいない選択をするのだろうかと悲しくなった
とにかく今後起こるであろう全てのシチュエーションが恐ろしく、痛く、苦しく、耐え難いものに感じられて絶望しかなかった
明るい未来を過ごすことができないなら今ここで死ぬ方が良いと本気で思った
そんな中でもやはり生への執着があり、結果が出るまでの間は毎朝30分歩いたところにある神社にお参りに行った
今振り返ると気休めでしか無かったのであるが、当時の私には神様だけが頼りであり、希望であり、本気で縋っていたのである
冒頭に戻り、その2週間後には考えうる最良の状態であったことが告げられ、簡単な手術をまず行うことになった
結果は良好で、奇跡的に早期に発見された癌細胞は綺麗に摘出され、今後追加の手術は必要ではなく子宮も残せることになった
その代わり今後10年は3ヶ月に1度大学病院で検査を続けることになった(時間も奪われるしお金もかかるしbooだけど)
そして今私は無事に留年することなく大学を卒業し、癌になるまで考えたこともなかった「製薬業界」で働いている
今の私にあるのは、21歳の私が感じたあの絶望や、希死念慮や、アンビバレントな生への執着、不安、後悔、恐怖をこれから感じるであろう人を1人でも多く救いたいという純粋な思いだ
2人に1人が癌になる時代とはいえど、21歳で入口を体験した私だからこそ出来る医療貢献はきっとあるし、これが私の天命なのではないかと思っている
あの経験は私に大きな苦難をもたらしたが、同時に今後の人生における原動力をもたらした
当時の私へ。
諦めて全てを投げ出すことを選択しないでくれてありがとう。
おやすみなさい
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