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友達って何?

うちの近くのショッピングモールで、こういう広告がたくさん張り出されているのをみて少しギョッとした気持ちになる。



友だち募集中

『友だち募集中』である。
LINEの広告なのだが、ギョッとするキャッチフレーズだ。
友だちをそんなに募集したいのか?
友達って、そんなに簡単にできるわけないよなぁ、特に大人になってからは。
まして、なんでLINEというものと友達にならないのかという疑問がすぐにわいてくる。
この広告もそうなんだけども、友達って一体なんだろうというのが、最近僕の中では重くのしかかったテーマであって、深く考え込んでしまった。

高校時代からの旧友にFacebookで、そっと「友達」を外されていたのだ。
これには一抹の寂しさを感じてしまって、少しばかり落ち込んでしまった。
数字上は562人が561人になったのに気づいただけだが、「友達」をそんな数値化したもので測るのもどうかと思う自分もいる。
この点に関しては、僕も悪い点もあったとは思うが、彼が結婚し子供も出来、子育てや就職などのために地方に移住した。そして、ちょっとした彼の政治的なつぶやきに僕が我慢できなくなったりしたこともあり、フォローを外した経緯がある。が、それにしても「友達」を外すってかなりのことなのじゃないかと勘繰ってしまうわけなのです。
Facebookで「友達」を外さなくても、フォローを外して「友達」でい続けてもいい。
おそらく、僕も、フォロー外しされて距離取られてるんだろうなぁ。笑。
そうされているんだろうなぁ、と感じる「友達」もFacebookにはたくさんいる。

自分で言いますが、僕は大体面倒臭い人間なのです。

Twitterを最近やめて、iPhoneからもTwitterのアプリを削除したのでTwitterをもう数ヶ月は見ていないことになる。
当初はすぐ寂しくなって戻ってきてしまうのかなぁと自分でも思っていたのですが、存外、戻っていきたくないと今も感じていて、実際、それが精神の均衡を保てっている要因ではないかとも思う。
どうして、匿名の荒波の中、日本国総理大臣や前アメリカ大統領なんかもあんなアプリの中で発信しているんだろうと、やめてみて本当にアホらしく感じてくるのです。ぶっちゃけ、Twitterは僕も発信力(フォロワー数)が強かったら、Twitterをやめていなかったと思います。
それが幸か不幸か、発信力を持つことができませんでした。
インフルエンサーと呼ばれる、フォロワーの多いアカウントを持っている人にリツイートされると爆発的にそのツイートだけアクセス数が伸びて、よく読まれるようになるのですが、残念ながら、それ止まりで、でも、衝動的にツイートしてしまった不用意な発言が見られる人には見られているという、どうにも厄介なメディアであって、だんだん発信を萎縮していくようになったのです。僕も本名でツイートしていましたから、色々誤解を生んだり嫌われたりしたと思いますが、まぁ好かれるということも少しはあったかも知れませんが僕はあまり気づいていませんでした。
気づかないというのが、僕に彼女ができにくい事由なのかも知れませんが…
僕のTwitterをフォローしていただいていた200アカウントくらいの方、勝手なことをしてごめんなさい!とこの場ではありますがお詫び申し上げます。

まぁTwitterについては、また語るとして、友達についてが今日のテーマなのです。

小田嶋隆の友達論

昨年、亡くなられたコラムニストの小田嶋隆さんの『友達論』というのを読み返してみたのです。
小田嶋隆さんは、歯に衣着せぬ発言でTwitterでもかなり辛辣なことをたくさん書かれていた方なので思想的にも嫌いな方もたくさんいると想像されますが、僕は小田嶋隆さんのコラムの辛辣さが好きで本でもTwitterでもよく読んでいました。
この「友達論」もとても面白いですねぇ。
色々示唆に富む、”名言”があってハッと気付かされたし、「友達」について、このGWに深く考える契機となりました。

ちょっと引用させてもらいます

せっかくだから、この場を借りて若い人たちに言っておく。友だちに義理を通すなんて、そんなカタい考え方は捨てた方がいい。友だちは、どんどん裏切ってかまわない存在だ。すっぽかしたり忘れたり半年無視したりしても、会えば笑顔になる奴だけが本当の友だちだと、そう考えた方が気楽だし、裏切ったり裏切られたりしながらそれでもだらだら付き合って行くのが友情というものだよ。

小田嶋隆の友達論

大人になると、友達ってほぼ、いなくなります。僕が「親友」と言える人は正直言って、もう一人もいなくなりました。小田嶋隆さんが言っている、”裏切ったり裏切られたりしながらでもそれでもだらだらと続いていく”人間関係がありません。僕の場合は、裏切ったり裏切られたりしたら、縁は消えていきました。
つまり、裏切ると友達を失ってきたということです。
哀しいことですが、45歳と中年に差し掛かってそう実感しています。
今も友達でいてくれる高校時代の旧友も友達なのかそうでないのかわかりません。あの人とは繋がっていてあの人とは繋がっていないの?ってな関係がFacebookやTwitterを見るとたくさんあります。友達関係というのも、今は一つの個人情報になっているはずなのに、SNSではあんなに大っぴらに公開されているってのはいかがなものでしょう 笑。


特に昨年は、僕が病気、それも厚労省指定の難病だと診断されたり、入院したりして、とても辛い一年でした。コロナ禍ということもあったし、ほとんど人と会っていません。こういう時代ですので、SNS等で本気で心配していただいた方がたくさんいらして本当に感謝しています。ありがとうございます。しかしFacebook友達561人という数字は嘘だろうとは感じています。笑。
それはまたそれとして、友達論なのですが、もちろん、大人になって友達としていてくれる方もいらっしゃいます。まぁ適度な距離感で、今後も関係を築いていけたらと思っています。よろしくお願いいたします。

友達がいないっていう結論も少し寂しいなぁ。笑。









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