ただのメモ 遅刻について

私にとって大学生の遅刻ってつまんなくて、本当にただ講義に遅れて気まずい空気の中部屋に入ったり、グループディスカッションのメンバーに迷惑かけたり、最悪自分の作業時間が減るだけ。だから自分も他人も割と不愉快になって終わるか、既に慣れていて誰も気にしなくなるかの浅い感情しか得られない。

多分中学生、高校生の間の遅刻って特別で、普段ある程度朝の集合時刻を守って生活してた分、朝誰もいない通学路を一人でゆったり歩いていくのは背徳感が最高だった。普段の朝の電車はある程度同じ面子でも、遅刻のタイミングがよく被るってそんなにいないから、遅刻の朝に何度も同じ誰かと遭遇すると、なんだかすごくその人の生活とシンクロしてしまったような気分になる。そして、何かしらの用事とか深い理由があって避けられなかった遅刻はすごく良かった。誰も自分を社会的・精神的に攻められない遅刻は、家から学校までの移動の短い間だけだったけど、何よりも自由を味わえる時間だった。

でも不思議と、遅刻の度合いが過ぎるとあまり快適じゃなかった記憶もある。午前のうちに遅刻できるとこうやって色々な快感を楽しめるんだけど、昼休みを過ぎてから学校に着いた日は、1日がすぐに終わり過ぎて、呆気ない。それに、みんなが朝から作り上げてきた空気感が昼頃には完成していて、入り込む余地がない。もたもた周りの流れを感じ取っているうちに、帰りのホームルームが始まってしまう。なんとなくそのむず痒さは部活動の時間にもなだれ込んでしまう。単純に、授業時間と通学時間のバランスが不快なのもあるけど、ここまで遅刻するならいっそ、休んでしまえばよかったと後悔する。そうすると、もう、すごく気分が悪い。

小学生の時の遅刻はもっと異質で、とてつもない罪悪感が伴う。そして、午前のうちに学校に来れても、ほとんどクラスの輪に入ることはできない程、その日の空気が完成してしまっている。到着した瞬間、私は「ちこくした人」で、以降、ずっとそのまま。

とりあえず、明日遅刻しないように早く寝ねば。

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