窓の向こう側

最近詩を書きたくても書く暇がまったくなかった。
なぜなら夫の転勤、引っ越し、そして第2子妊娠発覚というなかなかのハードスケジュールをこなしていたからで。

妊娠は悪阻の出方がその度に違う場合もある、ということはちらっと聞いたことはあったけれど、本当に違うことに人体の不思議をまじまじと感じる。
それと同時に本当に不公平だなと思わずにはいられなかったりする。

女の人は自分の血を分けた子を持ちたいと思った時、自分のお腹の中で育てるしかない。
嬉しさやワクワクだけで赤ちゃんの誕生を待ちたいのに、身体的辛さやどうしようもないイライラや不安感が付いて回る。
自分の血を必ず分けているという事実のためならこれぐらいは我慢しろ、というわけなのか。
私の場合は、だけれど、その事実より産まれた後の壮絶さを思うと、産まれる前ぐらい幸せ感とワクワクだけで過ごしたい…などと思ってしまう。
血の繋がりより、どう育てるかを身をもって感じてるからこそだ。
とにかく早く安定期になって欲しいと願うばかりの毎日を過ごしている。

以前の住まいも見晴らしは良かったが、今の住まいも見晴らしがとても良い。
窓から海が遠くに見えるけれど、それよりも私が嬉しいのは色んな家の窓がよく見えることだ。

私は窓が好きだ、と大学生のある時突然気づいた。
人が住んでいようがいまいが、その窓の向こう側に勝手に思いを巡らせて楽しめるから。
住んでいないと思っていた家から夜に窓から明かりが漏れていた時の高揚感といったら、我ながら変態的と感じざるを得ない。
カーテンの開け具合も大事なスパイスだったり、カーテンが無い窓も頭の中で思わず声が漏れたりしてしまう。

そんなこんなで妊娠中のこの気持ち悪さを和らげてくれているのは、沢山の家の窓から漂う多様な生活感と身勝手な脳内妄想だったりするのだ。

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