国が変わるときの切ない感じ。

私は明日からサンフランシスコに1週間だけ行くのだけれど、ドイツ人のフラットメイトは明後日サンフランシスコに引っ越すことになっている。どういう気持ち?エモーショナル?っていう話をしていて、意外とエモーショナルではないけど、でも実感が湧かない、たぶん空港に行って初めてダブリン去るんだってわかると思うと言っていた。あぁすごくよくわかる、私も9か月前シンガポールを去る時そんな感じだった。

友達とお別れすることは悲しかったし、だから最後の2週間は思いっきりみんなと遊んだし、最後にいつもの友達といつものバーで飲んだ時はちょっぴり泣いた。でも本当に本当の最後の日はわりとすっきりさっぱりさよならできて、思っていたより平気だったなと思ったのに、空港に着いて、「あ、もうこの空港には戻ってこないんだ」と思った時、あぁ私シンガポールを去るんだという実感が初めて湧いてものすごく切なくなったのをよく覚えている。

自分の生まれ育った国を離れるときとはまた違う。だってそこはいつだって戻ってこれる場所で、家族がいて、長く付き合っている友達がいて、きっと年に1回は戻ってくるから。でもシンガポールに毎年は戻れない。次いつ行けるかわからないし、シンガポールで出来た友達がいつまでシンガポールにいるかもわからない。いつだって遊びには行けるけど、もうそこはホームではないのだ。友達と別れる悲しさばかりを考えていて、シンガポールがホームでなくなることについては全然考えていなかったから、そのことに空港で気が付いた時はびっくりした。

今でも時々思い出すシンガポールの暮らしは、ダブリンのそれとはあまりに違っていて、そのことを考えるといつも奇妙な感じがする。だって毎日暑くて、むっとしていて、緑はぎゅっと濃くて、シンガポールでの私は良い意味で気が緩んでいた。サンダルでペタペタ歩きながら、汗かいて、ガヤガヤしたホーカーで安いアジア飯をあれこれ食べていたのに、なぜか今は天気が悪く、夜は未だに寒く、とにかくポテトばっかり出てくるダブリンにいて、そこそこ気を張ってスタスタ毎日オフィスまで歩いている。何だか本当に別の人生みたいだなと思う。

こないだパリでバブルティーを飲んだら、懐かしいシンガポールの味で、嬉しくて悲しくて切なかった。ランチの後、よくみんなでバブルティーを買いに行った。タイミルクティーやライムジュースも買いに行った。国が変わると、食べ物も飲み物も、こういうちょっとした毎日の楽しみも変わる。

フラットメイトはサンフランシスコ好きじゃないし、ダブリン大好きだし、全然行きたくないんだけど、でもダブリンでの毎日はずっと同じで、仕事して、週2回は友達と遊んで、もうその繰り返しが出来上がっていたから、きっといい変化になると思うと言っていた。私も、私の周りのよく移動する友達も、みんな同じことを言う。同じことを繰り返していく日々は楽しいけれど、どこか物足りなくて、だから毎日が同じになってくると引越したくなる。30代を過ぎたり、結婚したり、何かそういう変化があるとこういう気持ちも変わるんだろうか。

この気持ちは誰もが知っているわけじゃないし、人生でそう何回も経験することではないだろうけど、私もそんなに遠くない将来、ダブリンを離れるつもりでいるから、その時またあの気持ちになるんだなと思うと何だかすでに切ない。今はここでの生活を忘れないように、ちゃんといつか思い出せるように、毎日暮らしていけたらなと思う。