友達のこと。

大好きな友達の結婚式に行けなかったことが寂しくて、友達についてあれこれ考えていた。

私にはずっと長く続く友達がいなかった。中学の時も高校の時も、卒業してしばらくは連絡を取るけど、そのうちなんとなく話すことがなくなって自然と会わなくなった。学校は嫌いで、その時々で友達はいたけれど、いつも一緒にいなきゃいけない感じが嫌だったし、話を合わせるためにテレビを見たり、勉強しているのを偉いねと言われるのが嫌だった。恋の話はしても将来の話はあまりしなかったような気がする。だから受験の時、友達のあれこれに付き合わなくていいからある意味すごく楽だった。

それが変わったのが大学の時で、いつでも同じ友達と一緒にいなくてよくなったのが嬉しかった。学科の友達もいれば、サークルの友達もいて、ひとつのコミュニティで上手くいかなくてもすぐ他のコミュニティに移れるとみんなが思ってる感じが好きだった。

若くて、みんなそれぞれ傷つけたり傷つけられたりして、泣きながら深夜に電話を掛けたり掛かってきたり、くだらない話や真面目な話をしながら朝まで飲んだり、今考えると大したことのない悩みでもたくさん一緒に悩んだ。

なんだかそういう、若くて一生懸命なあの時代を一緒に過ごしたから、こうやって卒業しても仲良くしていられるんだろうか?日本に帰って会うのはいつも大学時代の友達ばっかりで、特に共通の趣味があるわけでもないのに、変わった変わってないとか言いながら、昔みたいにずっとお喋りしていられるから不思議だ。

24歳の時、人生が本当に楽しくて、大好きな友達とキャンプに行ったりフェスに行ったり、うちでパーティしていつまでもだらだらしたり、ゆるいつながりのグループがたくさんできて、それで今度はあれ食べようこれ食べよう、来年もまたあれしようこれしようって話して、なんだか夢みたいだと思った。こうやってみんなとおばあちゃんになるまでずっと一緒に過ごせたら私の人生最高なんじゃないかと思った。

それがなんだか私の人生のピークみたいだと思って、25歳の誕生日に海外に行こうって決めた。あの時はよくわからなかったけど、今ならわかるような気がする。

友達には友達の人生があって、私にも私の人生がある。子供が生まれたり引っ越したりすることだってきっとあるだろうし、いつまでも一緒にいられるかもしれないし、いられないかもしれない。だから一緒にいられる時間は思いっきり楽しみたいけれど、でも友達を理由に私の人生を決めるのは違うなと思う。私は私の夢を追いかけなくちゃいけなくて、だからこそ私が私でいられるし、そういう私だからみんな好きでいてくれるんじゃないか。

それでも時々やっぱり、寂しいなと思う。なんでもない時にただ会ってお茶したり、急にふらっと飲みに行ったりは出来ないし、みんなが誰かを必要としているときにそばにはいてあげられない。帰国中に会いたい友達はたくさんいるけれど、みんなに会ってる時間はなくて、いつも全員には会えない。みんなの結婚式の度に帰れるくらい稼いでないし休みもない。そのうち忘れられたらどうしようと思ったりするし、帰って会ってもらえるとすごくほっとする。

こっちでも友達はいるけれど、仲良くなるのは同じように外国に住んでいる子が多くて、みんなも私も今の場所にずっといる気はないし、いつかばらばらになって、日本の友達よりも定期的に会うのが難しくなる。そうやって色んな国に住むような人たちだからこそ仲良くなるんだろうけど、これから先、大学時代の友達みたいに何年も続いていく友達が出来るんだろうかと考えてしまう。

そしてその仲良くなった友達の一人が、来週スペインに帰る。昨日はうちでパーティをして、明日はお別れ会、きっと金曜日も飲みに行って、土曜日はみんなでおでかけ、日曜日はその子のためにサプライズをする。次いつ会えるかわからないけれど、今週はみんなとその子のために過ごす時間を大事にできたらいいなと思う。