手を挙げること。

小学校2年生、1学期の終業式の日。父親が富山に転勤することが決まって、私は2学期から富山の学校へ通うことになった。初めての転校を、当時の私がどんな風に思っていたかあまり覚えていないけど、通っていた英語教室の先生が、「富山は魚が美味しいよ」と言っていて、それを嬉しいと思ったことは覚えている。

それまで埼玉でゆるい小学校生活を送っていた私には、富山での厳しい教育は色々と衝撃だった。まず覚えているのは、給食の時間、食べ終わったあと返却された給食のトレーをチェックして、「誰ですかご飯粒を12粒も残した人は!?」と先生が怒ったこと。え、ご飯粒数えるの!?と思ったことを今でも覚えている。埼玉にいた頃は残し放題だったけど、富山では給食は絶対に食べきること、さらにご飯は1粒だって残してはいけなかった。

さらに埼玉にいた頃、授業中に手を挙げるのは2、3人だったけど、富山では逆で、手を挙げなかったのは私、それから少し障害を持った子、あとシャイな子1、2人だけ。見事に比率が逆だった。

宿題もどっさりでて、先生にはよく怒られたし、埼玉にいた時は休み時間に遊び過ぎて授業に遅れても、一言謝ればそれで済んだけど、富山では廊下に立たされた。

厳しい教育についていけなくて、引っ越したばかりの頃は不登校になりかけていたらしい。それでも母曰く、転校生ということで、先生は他の子より私にだいぶ甘かったらしいけど。「らしい」というのは、引っ越したばかりの時のことをあまり覚えていなくて、ご飯粒のこと、手を挙げるみんなにびっくりしたこと、障害を持った子にも先生は同じように厳しかったこと、遅刻して廊下に立たされている子を見て衝撃を受けたことくらいしか覚えていない。

いつからかはわからないけど、富山での教育で気付いたら私はすっかり手を挙げる子になっていた。そこでは手を挙げることが当たり前だったから。林間学校では班のリーダーになるべく手を挙げた。その時もリーダー希望の子が多過ぎて、なるべくみんなにリーダーになるチャンスをあげるため、各班にそれぞれサブリーダーがいた。手を挙げるのは別に珍しいことでも何でもなかった。

小学校5年生の時、父親はまた都内への転勤が決まり、何度も転校するのは可哀想、せめてまた昔の友達に会えるよう同じ学校へ行かせてあげようと両親は思ったそうで、私はまた埼玉の同じ小学校へと戻ることになった。

田舎で田んぼを走り回ったり虫を捕まえたり泥だらけになっていた私は、同級生の女の子たちがものすごく大人びていてびっくりした。流行りの音楽を聴いたり、ファッション雑誌を読んだり、子供向けのブランドものの服を着ている子もいた。それでもその時はまだ、劣等感を抱くようなことはなかった。なんか違うなぁくらいにしか思っていなかったと思う。

埼玉へ戻っても、私は変わらず手を挙げていた。引っ越したときと同じように、手を挙げるのは、私と、私立受験をするために塾へ通っていた男の子3人だけだった。手を挙げるのが私と彼らしかいなくても、やっぱり別に何も思っていなかった。

それが変わったのは、学級委員長に立候補したとき。手を挙げるのも、リーダーになろうとするのも、それまで別になんてことなかった。だから私はそこでも手を挙げた。もう1人手を挙げたのは、いつもの塾に通っている男の子のうちの1人で、彼はこれまでずっと学級委員長をやっていて、あだ名がリーダーだった。

結果は私の惨敗だった。仲良い友達が私に投票してくれたけど、それだけだった。どうしてかわからないけど、その時に初めてものすごく恥ずかしいと思った。考えてみれば彼が選ばれることは投票する前から決まっていたじゃないか。だったら手なんか挙げなければよかった。そう思ったことを覚えている。

はっきりと覚えているのはそれだけ、でもたぶんその他にも小さな色々があったんじゃないかという気がする。私は中学校に入る頃にはすっかり手を挙げなくなっていた。自分はリーダーには向いてない、人から支持されないと、あれから大人になるまでずっと思っていた。

富山でどうやって手を挙げるような教育がされていたのか、覚えていないのが残念なんだけど、とにかく間違えて恥ずかしいとか、失敗したと思ったことがなかった。みんながリーダーになるチャンスがあって、リーダーに向いてる向いてないとか思ったこともなかった。

今もし私があの時の手を挙げて後悔した私に会えるなら、手を挙げて挑戦したことを褒めたいし、例えば副委員長になるとか、他の道を用意してあげたいと思うけど、当時の先生から何かを言われた覚えはない。

富山にあのままいたらどうなっていたんだろうかと時々思うこともあるけれど、たらればの話をしても仕方がないし、私は別にもういい。大人だし、海外への留学や仕事を通して、少しずつ子供の頃に染み付いたものを落としていけているから。

気になるのは、その教育が今も変わっていなさそうなこと。自分に自信がない子や、特別な才能がない、リーダーには向いてないと思っている若い子は、今もごろごろいて、それってこの国の教育に何か問題があるんじゃないのかという気がしてならない。最近教育って何なんだろうとばかり考えている。

だからといって、私が教育関係の仕事をしたいわけじゃない。それでも未来を作るのは子供達だし、何よりあの時の私みたいに、手を挙げて恥ずかしい思いをしてほしくない。挑戦したがらない若い子たちの話を聞く度に、そんなことをいつも考えている。