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ふっと湧いてくる貢献感

「褒められて嬉しい」と「役に立つことができて嬉しい」は、根本的に違います。

生きていく上で、大切なのは後者です。前者は自分を苦しめ、後者は自分を助けてくれます。

2つをきちんと分けて認識することができているでしょうか。

ギラギラした目つきで「人の役に立ちたくって」と口ではそう言っているけれど、承認欲求が透けて見えてしまっている人がたくさんいるとは思いませんか?

「この、嘘つき!」とは私もさすがに言いませんが、素直にめんどくさいので距離を大きめに取ります。

承認欲求は苦しい

承認欲求はなぜ自分を苦しめるのか?

承認は、他者が行なうことだからです。

承認欲求とは、褒められたい自分の欲求を満たすために、他者をコントロールしようとする(承認してもらおうとする)態度なんですね。

承認を引き出すためにしゃかりきに相手に尽くす頑張り屋さんが承認欲求に毒された人には多い。でも、頑張ったところで相手が思い通りの承認をするかどうかは分かりません。

とっても苦しいですね。

化けの皮が剥がれる

承認欲求に毒されている人は、承認されなかったときに「私は、こんなに頑張ってるのに!」と突然怒り出します

承認してくれなかった相手のせいにし始めるのです。

「実のところ、貢献したいんじゃない!褒められたいだけなんだ!どうして褒めてくれないんだ!」と言っているようなものです。

ついに、化けの皮が剥がれた、とでも言うべきでしょうか。

正直に言うと、社会においては、頑張っているかどうかより成果が求められます。

たとえば、善意で布マスクを配ろうとしても、あまりにもスピード感が遅かったり、異物が混入していたら、承認されることはないわけです。「頑張ってるのに!」と怒られても、たまったもんじゃありませんよね。たとえばの話、ですが。

頑張っていて成果が出せない人よりも、頑張らないけど成果が出せる人のほうが、社会では承認されてしまいます。

社会も一つの機能に組み込まれているのだから、機能を果たせる人(成果を出せる人)が認められてしまうのは当然のことです。

厳しいですが、これが現実です。

貢献感は自己完結する

厳しい社会だからこそ、承認欲求のような自分を苦しめる欲求は脱ぎ捨てたほうがよいと思うのです。

でも、どうやって?

誰かに貢献できたと思える感覚を持つことです。自分が持つんです。

これなら、自己完結します。

たとえば、道端のゴミを1個拾って「あー、社会に貢献できたなぁ」と貢献感が湧いてきたなら、それでOKです。

「あー、今日もこのコンビニの売上に貢献できたなぁ」でもOK。

正直、大したことじゃなくていい。貢献感を感じられるなら、何でもいいわけです。

誰かに貢献できたと思える感覚を持つことができまら、それは自分自身を認めることにつながります。

自己承認です。

自分で今この瞬間の自分が認められるようになったら、誰かに認められようと躍起になる必要もなくなります

SNSは際どい

SNSは際どいな、と思うことがあります。

スタートは、心の底から貢献のつもりでやっていたとしても、いつの間にか「いいね」の数に翻弄されて、承認欲求にすり替わってしまうことが多々あります。

おかげさまで、私のnoteもフォローしてくださる方が少しずつ増え、誰かの目に触れるようになりました(いつも見てくださっている方、スキの通知で認識しております。ありがとうございます)。

記事が増えていくと、記事ごとの閲覧数やスキの数にバラつきが出てきます。

このとき、データを見ないと一人よがり100%の文章になるし、データを見て影響を受け過ぎるとゴマすりクソ野郎に成り下がってしまいます

SNS的なものはここが難しいです。

考察するためのデータと割り切らないと、変に媚びた文章になってしまいかねません

このへん、サイコパスに生まれて本当によかったなと思います。データも見ながら、なおかつ承認欲求にブレず、思ったことを書き続けたい。一人よがり98%ぐらいの文章が書けたらいいなと思っています。

貢献感はふとしたときに

先ほど、貢献感は別に大したことじゃなくていいと言いました。

自分が貢献感を感じられるかどうかなのだ、と。

でも、このとき張り切り過ぎるのはよくありません。

張り切り過ぎると、いつのまにか「誰かの役に立ちたくって」と言いながら承認欲求を追いかけることになりかねません

貢献しようと張り切り過ぎるより、リラックスして今の自分ができること、やりたいことを淡々とやるのがいいと思います。

今日、この記事を書いたきっかけとなる出来事がありました。

3月中旬に、私はサイコパスであると自覚し、カミングアウトをしました。さらには「サイコパスのエバンジェリストになる!」などとほざいて、SNSや個人メディアではサイコパスを全面的に押し出してきました。

実態は、貢献要素を2%入れた一人よがり98%の発信、つまり、ただの趣味です。

今日、知らない人から「ずっと疑問に思っていた、自分が言葉にできなかったことを、言葉にしてくれて同感した」というような趣旨のコメントが寄せられました。

「役に立てて嬉しい」

貢献感がふっと湧いてきました。

もし、「アクセス数伸ばそう!イイネがたくさんほしい!」と思ってやっていたことだったなら…。

「コメントはありがたいけどさ、俺がほしいのは万を越えるイイネなんだよね!」と承認欲求を爆発させてしまっていたかもしれません。

再生回数8回でも貢献感は得られるということが、身をもって証明されました。

承認欲求を警戒し、張り切り過ぎず、淡々と、ほどよく自分のために歩いていたら、あるとき、ふっと貢献感が湧いてくる

人生はそんな感じでいいんじゃないかと思う今日この頃です。


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