現代人は欲しがりすぎ。内省しよう
「物質的豊かさは、もうとっくに満たされている」と言われはじめて、かれこれ20年ぐらいは経ったのではないでしょうか。
私自身は「うんうん、よく分かるよ」と思いながらも、世の中を眺めてみるといまだに物質に飢えている人々を見かけます。アクティブさに欠けるのは単に収入が下がってしまい、ほしいものが買えなくなっただけではないかと思えるほどです。
まだほしい、もっとほしい
21世紀の日本において「あれもこれもほしい」と言っているのは、足るを知らない人だと言えるでしょう。
そんなことでは、いくらお金があっても豊かにはなれません。いつか死に行くその日まで「まだほしい、もっとほしい」と不満タラタラで生きていくのでしょうか。
現代人が「欲しがりすぎ」なのは、内省が足りていないからではないかと私は考えています。少し前まで、「消費を煽るマーケティングの罪は重い」と思っていましたが、そこにマーケットがあるのなら内省が足りていない人向けにマーケティングがなされるのも自然なことだなと最近はそう思います。
内省不足のほしいほしいオバケ向けのマーケティングが成立しないマーケットになっていけば、マーケティングのあり方も自ずと変わっていくのではないでしょうか。
心地よさとその持続可能性
ほしいほしいカルチャーで生きている人を決して悪いとは思いませんが、私個人としては付き合いたくありません。消費行動と生き方は往々にして連動しています。
人間は、食事や日光や空気から栄養を摂るだけでなく、情報やコミュニケーションからも栄養を摂っています。ジャンクフードをなるべく避けるのと同じ原理で、そういう人々とのコミュニケーションを避けたいと思うわけです。
インフラがととのっている。飢餓もない。暴力はそう多くない。幸運にもそういう場所に住めているなら、あとは「こんな話、他ではできない」と言える仲間が何人かいれば、オールOKなんじゃないか。欲を言えば、気持ちよく散歩をしたり、サウナに行ったり、読みたい本が読めたらいいな。たとえば、私はそんなふうに思います。
そこまで極端ではないにせよ、自分にとっての足るを知ることはとても大切なことではないでしょうか。よほどの野心でも持っていないかぎり、足りないものはそう多くないと思います。
足るを知るには、感じて、考えて、感じて、考える。内省を重ねるほかありません。それは損しないためにではなく、心地よさとその持続可能性を高めるために、です。
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