ビジネスに飲み込まれてしまっている
先週末に飲み過ぎて以来、生活リズムがぐちゃぐちゃになっています。ダメージが尾を引いていて、心も体も良好とは言いづらい状態。
やる気が起きず、ダラダラ3日ほど過ごしました。昨日に至っては、noteさえ書く気になれませんでした。
こんなとき、普段ならサウナに行って気晴らしするのですが、今はそれができる状況ではない。負のループに入ったときにそこから抜け出す術を持っていないのは、なかなか危険だなと思います。
鬱屈とした気分で、生産性のない日々を過ごすのは久しぶりで、それはそれで考えさせられるものがありました。
生産性とは
まず、その前に、「生産性」とは何でしょうか。
生産性とは1単位あたりの生産量のことを言います。1単位は、人でもありうるし、設備でもありうる。
〇〇さんの生産性という考え方もできるし、あのマシーンの生産性という考え方もできます。もちろん、サイズを大きくして、あのチームの生産性とか、あの工場の生産性とかもそう。
会計基準において、人も設備も経費であることからもよく分かりますね。
「生産性向上」といえば、大昔に人間が道具を使用し始めたことも十分生産性向上ですが、産業革命以降の資本主義社会で強く意識され始めた概念と言えます。
工場なんかは最たるもので、家で1人で作り出すより、はるかに多くのものを作り出すことができます。分業、マネジメント、イノベーションなど、さまざまな工夫をして、人類は生産性を上げてきました。
そのように考えると、個人のビジネスでもない成果物を「生産」と呼んでいいものかも分かりませんし、リフレッシュの時間(再生産のためのコスト)を「生産的だった」と言うのも的外れな感じはします。
生産性って言いたい
とはいえ、私は私であり、営利企業でも何でもありませんから、自由に概念を運用すればよいと思っています。ビジネスでないなら、実際に1単位あたりの生産量が上がったわけではなくても、1単位あたりの生産量向上につながりそうな予感がする時間を過ごせれば、「生産的だった」と言ってもよいと思っています。
たとえば、読書なんかは最たるもので、仕事のための読書であっても、それ自体は生産性向上ではありません。未来に生産性向上につながるかもしれない投資的な時間とでも言いましょうか。
まだ1円も回収できていないけれど、生産性が上がったような気分になって「生産的な1日だった!」と叫ぶ分には可愛いではありませんか。勝手に叫びましょう。
ただ、私のように、3日間、生活リズムぐちゃぐちゃで寝るか飯食うかゲームするかみたいな時間を過ごしておきながら「生産的だった!」とは言いづらいものです。
何なんだこの罪悪感は。
ビジネスに飲み込まれてしまっている
そこで自分を正当化しようとする頭が働き始めます。
ダラダラしたことによって、以前より気になり始めたのは、現代人があまりにもビジネスの中に組み込まれ過ぎているということです。「生産性」という概念に毒されているとも言えるでしょう。
人間は、生産的でなければならないのでしょうか?
生産性とは、1単位あたりの生産量と言いました。そして、人も設備もその対象になりうると。
だとすると、これからの時代、AIの生産性に任せておけば、ある程度のものは生産できるようになると思いませんか。生産性の観点から考えれば、頑張ったところでAIに勝てないでしょう。人の生産性は、相対的に見て大した必要がなくなるのに、「どうしてAIに仕事を奪われる!」とか言って焦っているんでしょうか。
AIによって、いわゆる大失業時代が訪れることも十分考えられます。そして、そのような大きな問題を前にしたとき、個人でできることなんてたかが知れているのです(だからといって、やる意味がないとは言いません)。
今は過渡期にあるので労働市場でAIと戦わざるをえませんが、たくさんの人がAIに負け始めたらもうどうしようもない。AIと設備でモノやサービスを生み出す感じになりますよね。
いっそ生産性の単位からヒト(労働者階級)を外してしまえばいいんです。単位から外れれば、ヒトの生産性なんてどうでもよいのだから。同時に、労働や給料なんて概念もなくなる。市場価値で、人間の価値を測るなんて不可能です。
ビジネスの外側に強固な概念をつくる
とはいえ、私たちにも生活があります。どうやって生きていけばよいのでしょうか。
ビジネスの概念の外側に強固な概念をつくる必要がありそうです。ビジネス(損得勘定)を論破できるだけの正当性が、論理的にも感情的にも整わなければなりません。
ビジネスに飲み込まれていない世界なら、これからも生きていけるかもしれない。
それは具体的にどんな世界なのか。どのように次の世界をつくり上げていくのか。
まずは究極の理想論から始め、だんだん具体的な話をしていくのが良さそうです。
そして、私には大した理想がないということを考えれば考えるほど痛感させられてしまいます。
追伸
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