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続けることの偉大さ

続けるということ。それ自体が偉大さを持つ、ことがある。

たとえば、きんさんぎんさん

「きんは100歳、100歳」「ぎんも100歳、100歳」

若い人はご存知ないかもしれないので、簡単に説明する。長寿の双子姉妹であり、長寿の双子姉妹である。

私がまだ子どもの頃、きんさんぎんさんはテレビを賑わせていた。なぜ、彼女らがテレビに出始めたのか。

1991年に数え年百歳を迎えて、当時の鈴木礼治愛知県知事・西尾武喜名古屋市長から、二人揃って長寿の祝いを受けたことが新聞に紹介された。これがきっかけで…

とWikipediaに書いてある。

これがきっかけで、テレビCMに起用されたり、CDデビューしたり、紅白歌合戦のゲストになったりと表舞台で大活躍である。

彼女らの何がすごいのか。私が思うに、次の2つだ。

①100歳まで双子そろって生存している。②100年経っても仲良し。

生きるということを100年続け、仲良しを100年続けるのは至難の技だ。続けるということは、おそらくそれだけで偉大なのだ

資本主義社会の価値軸の一つに「希少性」がある。希少なものには価値がつきやすい。他者が続けられそうにない何かを異常なまでに続けるだけで、それが価値になりうる。

きんさんぎんさんは、決して紅白歌合戦を狙っていたわけじゃないと思う。双子そろって100歳を迎えたこと。100年仲が良いこと。その希少性に、偶然ながらスポットライトがあたった結果、紅白への道が開かれたのだろう。

紅白を目指さないにせよ、私たちがきんさんぎんさんから学ぶべきことは多い。

続けたという希少性、もはや存在そのものが価値になっているのだ。これは「何者かになる」ということでもある。私は、常々「何者かになろうとすると病むよ」と言っている。

しかし、何者かになろうともせず、自然体で過ごしているうちに、結果として何者かになる分には問題ないんじゃないかと思う。

そんなことができるのか?できるかもしれない。そのヒントは「続けること」にある。

他者が、まず継続できないようなことを異常な期間継続する。たとえば、けん玉を5万時時間練習した人がいるとする。何かもうそれだけで尖っているではないか。多分、大切なのはそういうことだ。

現代なら、ニッチな継続も自分メディアで発信できる。決して知られるはずのない地下の話も、何かの拍子で知られる可能性は昔より高い。継続と発信の両輪で、ついに発見されたなら、あとはドミノ倒しみたいなものだ。

「継続は力なり」というけれど、実力だけではなく、単純に他者からの見え方も変わる。

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