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人生は意味づけのゲーム

自宅から10分ほど歩いたところにある川に、カメが数十匹住み着いている。

天気のよい昼間には、気持ちよさそうに日向ぼっこをしたり、川を泳いだりしている。カメが泳いでいる姿は癒される。思わず会議に遅刻しそうになるぐらい見惚れる。

「カメ、可愛いなぁ」

だからといって、カメを飼いたいとは思わない。

カメを飼うとしたら

カメと暮らすには、まずカメが住める環境を用意しなくてはならない。当然、最初の準備だけではない。日々の餌やり、水の交換、すみかの掃除。忙しいったりゃありゃしない。

しかも、川で泳ぐほど広々と泳げるスペースも確保できない。日向ぼっこも人工的な紫外線ライトで照射する。

はるか上空の太陽に向かって首を伸ばして気持ちよさそうにしている姿や、カメ数十匹が住むには広すぎる川を自由に泳ぐ姿。彼らの体験を奪い、私はその景色を失い、世話の手間だけが増え、かえって不満足になる。誰も幸せになっていないではないか。ただの地獄である。

カメを飼う意味

ところが、カメをもっと近くで観察したい、毎日一緒にいたいとか、動物の世話が好きでしかたないということであれば、私のいうデメリットはむしろメリットになる(カメ側の事情は分からないが)。

人間は意味づけによって、満足度が180度変わる。

冬は寒いから、私は嫌いである。しかし、ある人にとっては、寒いからこそ冬が好きだったりするのだ。

私のいうデメリットは、誰かにとってのメリットになりうる。

「意味づけ」は人間にのみ与えられた特別な能力である。人生は思った以上に、意味づけに左右される。人生は、意味づけのゲームと言えるかもしれない。

カメを飼わずにカメを飼う

カメの話に戻る。家で飼いたくないからといって、カメと私は無関係かといえば、そうでもない。

ときどき見に行って癒されるだけの部外者でもよいのだが、少し意味を変えれば簡単に関係性を強めることができる。意味づけ次第なのである。

たとえば、こう考えてみる。

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