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既存のコミュニティに馴染めなかった人の末路

私は、既存のコミュニティに馴染めない。

私を知る人は「別にコミュ力は低くないじゃん」と言う。確かにそうかもしれない。

問題はそこではない。

情動的共感の連鎖に乗れない

コミュ力と社会性は別だ。

サイコパスは反社会性パーソナリティ障害に分類されるそうだが、まさに私は「社会性」がない。社会性を何とするかは議論が分かれるところだろう。

しかし、情動的に共感することができないことは、コミュニティに参加する上であきらかなハンディキャップとなる。社会性の乏しさに直結する。

盛り上がっているコミュニティには情動的な共感の連鎖が発生し続けている。それは、場の空気とも言えるし、人間関係の網の目や、暗黙のヒエラルキーとも言える。情動的共感の結界が張り巡らされているように私には見える。

情動的に共感できない私は、彼らとは根本的に異なる。それは、熱量。情動的に混じり合えない。それは熱同士が良い感じに混ざり合えないということ。まるで、火と水である。

形だけ周りに合わせて「フリ」をしてみたところで、それは空虚である。あきらかに異質な自分を認識し、ただひたすらに疲れる。

仲間ですか?それとも違いますか?

ニューヨークに行ってキリスト教の教会でゴスペルのコンサートを聴いたときの感覚を思い出す。

(あなたは私たちの仲間ですか?それとも違いますか?)

無言の空気に、そう問われ、回答を迫られているような感じを受けた。彼らは、決して私を排他しているわけではない。むしろ激しくウェルカムだった。

情動的共感の連鎖に乗れない私は、みんなでいるはずなのに精神的に孤立していた。あきらかに異質な存在。世界で1番孤独になった気分がした。

コミュニティもまた同じ

宗教ほど強烈ではないにせよ、一般的なコミュニティでも似たような圧を感じる。

いつだって相手は、ウェルカムな態度で私を迎え入れてくれる。それでもやはり、情動的共感の連鎖に乗れない私は、みんなでいるのに精神的に孤立する

誰かとコミュニケーションしているのに、1人でいるより孤独に感じる。

情動的な共感という機能が丸々抜け落ちている私には、情動的共感に重きを置いた(ほとんどの)コミュニティにおいて居場所がないのだ

つながりとは言えないほどの緩やかなつながり

そんなことを繰り返しているうちに、「1人が心地よいな」と思うようになった。

プライベートの多くは、1人で散歩し、公園で思索に耽り、サウナで全て洗い流す。

散歩ですれ違う人、公園で見かける人、サウナで居合わせる人、このぐらいの関係性が私にとっては心地よい。

つながりとは言えないほどの緩やかなつながり。

世間という窮屈さではなく、社会という緩やかさといえばよいだろうか。そんな緩やかなつながりが、とても心地よい。

学びたいと思った。そのときに

最近、哲学を学び始めた。理由は特になく、自然と入り口にたどり着いた。

哲学、思想の数千年の歴史。右も左も分からない。この暗闇に、学び合える仲間がいたらどれだけよいだろうかと思った。1人の頭で知れる量、1人の頭で解釈できる質には限界がある

そこで、哲学系のコミュニティに参加してみようと考えた。オンラインサロン的なものを探してみた。

無機質なWebページなのに情動的共感の連鎖がプンプン匂う。むしろ、匂うということは、人が寄りついている、盛り上がっている証拠だ。盛り上がっているところのほうが、私の目的にマッチするはずなのだが、窓口ですでに具合が悪くなってしまった。

こんな調子なので、情動的共感の連鎖がなるべく匂わない場所に参加することに決めた。試しに、いくつかnoteのサークルに参加してみたところ、あらビックリ、中身が空っぽだった。中身が薄いとかではない。空っぽだった。

きっと、詐欺というわけではない。単純に人が集まっていなかったのだ。情動的共感の連鎖が匂わない場所を選んだら、誰も人がいなかった。

切実に、ああ切実に、切実に

既存のコミュニティに馴染めない人格。切実である。

既存のコミュニティに馴染めない人間は、1人孤独に勉強するか、自分でサークルを立ち上げるかしかないのだ。圧倒的に、選択肢が少ない。

「よーし、思想や哲学を学び合えるようなサークルでも立ち上げようか!」

そんなノリではない。切実である。

立ち上げるって言ったって素人が何を…。

思想や哲学の世界は、どう考えても奥が深い。

…どうすんの。

いや、分からない。まだ、何も分からない。

でも、決めた。

思想倶楽部

コミュニティに参加できないサイコ野郎が、思想や哲学を共に学び合うサークルを立ち上げる。

その名も「思想倶楽部」。

完全に形から入っている。言わずもがな、ダチョウ倶楽部からインスパイアされた。

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