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確からしさと恣意性を自分の頭で考える

スマートフォンによって、もはや何だって見れてしまいます(平面ではありますが)。クッキングから、ワニとチーターのバトル、個人の政治的意見、バンド演奏、密告、交差点の定点観測…。何もかもすべてと言うつもりはありませんが、本当に多くのものが見れるわけです。

そして、私たちはバラバラのものを見ています。マクロレベルでは多様なものを見ている反面、ミクロレベルではその個人が見たいものばかりをずっと見ている状態ですね。

メディアは「現実らしいもの」を映し出します。メディアの意向が背後にあるのは周知の事実ですが、未だリテラシーが育っていないままメディアに接している方が多く、大変危険な状態です。

たとえば、マグカップでコーヒーを飲むと健康に良いということを繰り返し見せるメディアがあるとします。一方で、マグカップでコーヒーを飲むと発がん性が高まるということを繰り返し見せるメディアがある。さらには、そんな話はバカげているということを見せるメディアもあるわけですね。

このとき、2番目のメディアしか見ていない人は、マグカップ=発がん性を高める危険な容器だと思い込んでしまうでしょう。他のどのメディアを選んだところで、1つの見方をしているという意味では似たようなものです。

1,2,3のどの意見にも目を通して、はじめて真逆の意見があったり、そもそもそんなものはとんでもない話だという意見があることも分かります。今度は「3つの意見を知ったはいいものの、結局本当のところはどうなの?」という気持ちになるでしょう。ここで自分の頭で考えようとするのか、答えを教えてもらおうとするのかで明暗は分かれます。何の明暗かというと「納得度」です。

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