人の役に立ちたい欲求
私には、人の役に立ちたい欲求がまるでない。生きていくための糧を手に入れるために、仕方なく役に立っているという側面は否めないが。もしくは、遊びでやったことが結果として偶然誰かの役に立つこともある。
誰かの役に立つと、喜んでもらえる。時には、感謝の言葉をもらえる。時には、お金や物品をもらえる。
メリットはよく分かる。
喜んでもらえると嬉しい。感謝の言葉をもらえると自己肯定感が満たされる。お金をもらえると生活が豊かになる。
「役に立ちたい」という思いで何かを行ない、実際それが誰かの役に立っているにも関わらず、自分の仕業とは気づかれないとき(リアクションも感謝もお金ももらえないとき)、「やってよかった。また、やろう!」と心から思えるだろうか。もしそう思えるのなら、あなたは聖人君子。
「役に立ちたい」とわざわざ掲げるとき、心の奥底では役に立った後のリターン(リアクション、感謝、お金、etc.)を期待しているのではないだろうか。
たとえば、同居人の役に立ちたいと思い、はりきって大掃除をしてみる。家に帰ってきた同居人は、掃除したことに気づくそぶりもなく、感謝の言葉もない。そのとき、少しでもイライラしてしまうようなら「リターンのために行動していた」ということになる。気づかない側の感度にも問題はあるが、日常的に見返りを求めて行動している側にもどこか問題があるような気がする。
こんにちは、うえみずゆうきです。もし気に入っていただけたら、応援していただけると嬉しいです。更新のモチベーションになります。