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隣の芝生はどうでもいい

人間は比べたがる生き物だ。しかし、比べたところで一体何の意味があるのだろう。そもそも世の中の大半の人は、比較研究の方法を学んでいるわけでもないので、比較対象を間違いまくっている。

比べても意味のないような相手と比べて、勝手に気分を上下させている。病気と言って差し支えないのではないか。

誰の視点

私は自己評価として「だらしない体型」だと思っている。筋力がなく、おじいちゃんみたい。もっと引き締めたい。

このとき、高きを見れば美しき細マッチョ、低きを見れば不摂生のデブという極端な比較対象が視野に入る。美しき細マッチョに比べればだらしないが、不摂生のデブと比べれば引き締まっていることになる。

うかつに「もっとカラダを引き締めたいんですよね」などと言うと、見る人によっては嫌味に聞こえたりするわけだ。

比較する

人間誰しも、できる人に比べればできないほうで、できない人に比べればできるほうだ。

よほど比較対象が適切ならば、有意な知見を得られるかもしれないが、研究者レベルのきちんとした比較でないとざっくりとしたことしか見えてこないだろう。

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