ピンとくるDo
ここ数年、大変ありがたいことに連休がしっかり取れています。
連休といっても、どこかに出かけるわけではない。仕事で人に会ったり移動しているので、休みの日にまで人に会いたくありません。人が嫌いなわけでない。むしろ、好きなんだと思います。ただ、どうしても疲れてしまうから、エネルギーが有り余っているよい状態のときに会いたいのです。
概日リズム
不思議なことに、引きこもっていると1時間ずつ生活リズムが後ろ倒しになっていきます。9時に起きていたのに、翌日は10時に起きて、またその翌日は11時に起きて、という具合に。
これは概日リズムという生理現象で、25時間周期の体内時計が人間には備わっているようです。このリズムは内在的に形成されるものですが、光や温度、食事など外界からの刺激によって修正されます。
たとえば、日光を浴びると、14〜16時間後ぐらいにメラトニンの分泌が高まります。メラトニンは「睡眠ホルモン」とも呼ばれ、深部体温が低下し、身体が休息に適した状態に導かれ眠気を感じるようです。内在的な25時間のリズムを、外在的な刺激でコントロールして生活リズムをつくる。
引きこもっていると、日の光もろくに浴びませんし、食べる時間もバラバラになりがちです。生活リズムを整えるって、なかなかハードル高いなと思います。
とりあえず、概日リズムは本当だったんだなと実感しているところです。
引きこもってDo
連休、引きこもって何をしているかというと、ニュース記事を読んだり、YouTubeを見たり、本を読んだり…。「インプット」といえば聞こえはよいですが、ほとんど無目的なそれは時間の浪費にも感じられます。
「昨日、何を学んだ?」などとマッチョな質問をされると困ってしまうわけです。無意識レベルでは何かを学び、顕在意識のレベルでは何一つとして学んでいないという感じといえばよいでしょうか。うまく言い逃れたいものです。
いずれにしても、自分にとってさえ有意義とは思えない時間の過ごし方をしているのは確かです。
ピンとくるDo
ネットサーフィンだって、コンビニでの買い物だってDoです。寝ることだって、着替えることだってDo。映画を観るのも、料理をつくるのも、食べるのも、友人と話すのも、文章を書くのもDo。
Doしない日なんてありません。それにもかかわらず、「無為に過ごしてしまったな」と感じるのは、Doには質があるということです。「何をそんな当たり前のことを…」と思うかもしれません。説明するまでもないでしょう。
問題は、いつのまにか無意識に支配され、自分にとって質の低いDo(ピンとこないDo)に飲み込まれてしまっていないかということです。驚くことに、自分にとってピンとくるDoから継続的に阻害されることで、たちまち「自分なんて(自分にとってすら)無意味な存在だ」という意識が芽生えてきます。
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