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思想は外国

ほしいものは大抵手に入れてしまった。あとはもう手放すだけ。いいかげん物には飽き飽きしている。所有に疲れる。

蓄えても蓄えても欠乏感があるのは、むしろ知識や体験のほうである。まだ知らないこと、見たことのない場所、まだ出会っていない人、知らない体験が無限にある。

そんな新しい何かも過去のパターン学習が邪魔をする。乾いているのに、そこにうまく水が染み渡らない。

おとなしく「Yだ」と言えたらよいのだが、「AとCとNを足して3で割った感じ」ととらえてしまいがちである。つまり、過去に経験した何かを混ぜ合わせて理解しようとしてしまう。そういう意味において、およそ新しい体験は簡単にはできそうにない。

自分一人の脳で世界を眺めてみても頭打ちなのは重々承知してある。よほど文化の異なる国に遊びに行くか、核心に迫るような対話をするか、(私にとって)斜め上の視点に触れる機会を私は欲している。

最近は、他者のモノの見方が大変興味深い。「そんなふうに見ているのか」と驚愕する。三十数年間の学習は、私という偏りの中にあったのだと稲妻に打たれるかの如く気づかされる。

世の中にはやたらと世界を旅行したがる人も多いが、隣人の思想に触れるのもまた、まるで世界を旅するかのようである。

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認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、トーク、音楽などさまざまなかたちで頭の中を晒しています。…本音は傷つく、高くつく。

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