24/6/17 これのためだった

社会人となってから、正直日曜の夜はいつも憂鬱だ。仕事が嫌いな訳ではないけど、自由な休日が終わり、明日からあれもこれもやらなければと考えると、どうしても憂鬱な気分になってしまう。そして、大抵働き始めて月曜の昼過ぎには元通り。

これが、今後変わらないルーティーンだと思っていた。しかし、今日の気分は、今までとは少しだけ違う。どういうことか。

仕事に行きたくない、という気持ちは、相変わらずある。しかし、先週の金曜日の総会のことを思い出すと、一生懸命準備して、当日を大きなミスなく乗り越えられたこと。懇親会で沢山の人に、司会を褒められ、来年度はもっと長時間お願いしたいと、言ってもらえたこと。前日に上司に叱られ、しんどい気持ちだったらしい先輩が、「こうやって何とかなるなら、私も来週頑張れそう」と希望を感じてくれたらしいこと。ゼミナールのときに繋がっていた人と、まさかの再会をしたこと。総会終わり、運営メンバーのみんなが笑顔で打ち上げができたこと。

自分、自分が支えるチームの頑張りが、目の前の人の笑顔に、新鮮な体験に、心地よい時間に、たしかに繋がっているというのを、強く実感できた1日だった。今までよりさらに、自分の仕事の向こうにいる、お客さんの顔が浮かぶ。

事務仕事は、営業などと比べるとお客さんと対面で接する時間が少ないため、自分がいい仕事をするほど、それが誰かの笑顔につながり、世の中の役に立つことができるんだということを、実感しにくいのかもしれない。先週までの私は、ほとんど社内の人の反応が全てだった。

もちろん近くの人を笑顔にすることが1番大切、まずやるべきことである。そのうえで、さらに遠くの人まで笑顔にできていると感じたから、とても感動したのだと思う。

きっと、私が笑顔にするべき人の輪は、もっと奥に奥にと広がっている。金曜に集まった人たちは、集団のリーダーたちであった。つまり、もっといる。それぞれの集団のメンバー、そしてその集団が相手するお客さん。そうやって、自分の見えていない奥に、自分の笑顔にするべき人がいることを、忘れずにいたい。

話は逸れるが、最近、仕事に正解はないと感じる。人によって、話すことが違いすぎるためだ。少し昔、バブルの頃は、たくさん働いてたくさん稼いでたくさん遊んで、という暮らしが正解であると、思われていたからある意味楽なところもあったと思う。現代は、自分にとっての幸せ、正解を考えることができるし、考えなければいけない気さえする。あの人が言っていることと、この人が言っていること、こうも違うのか、と驚く。

そんなときに指針になるのは、何のために、自分がどうするのか、ということだと思う。自分自身の価値観。これを考え抜いて、腹落ちできている人は、きっと折れない。

もっと仕事ができるようになりたい。何のため?褒められるため?稼ぐため?

私は、舐められないため。私はまだまだ、自分の本性を、発揮できていない。発揮しきれていない。どんな過去をもつとか、どんな家柄でどんな性格だとか、関係なく、私が私という種からできるだけ大きな花を力強く咲かせて、しにたいと思う。この気持ちは、小学生の頃、絵の才能やスポーツの才能を、親に比較し、けなされたこと。(少なくとも私はそう感じた)中高生の頃、運動神経が悪いことを克服するためバドミントン部に入るも、実力は最下位、いつも試合メンバーに入れなかったこと。その時に感じた、自分の才能のなさ、努力不足。大学で告白した相手が、私の友人にアタックしていたこと。私は悔しさ、悲しさ、恨み、を覚えているタイプだ。反芻はしないように気をつけているけれど、記憶にしっかりとある。

大学生になって、ゼミナールに入って、初めて、頑張って、失敗して、怒られて、たまに成功する、という経験をした。自分は、しっかりと輝くことができている、この世にたしかに生まれてきたんだ、と感じた。

それから、今までの弱気、「どうせまた負けるでしょ」、と言う気持ちが、「私が負けていたのがおかしい。私はもっと輝ける」と、悶々とした感情をバネに変換できるようになった。気がする。

私はもっと輝ける。
頑張っている人や心の綺麗な人はもっと報われるはず。
日本は江戸時代から頭がいいし体力がある人の集まりなんだから、失われた30年を超えてもっと素敵な国になれるはず。
・・・立場も弁えずだと、脳内でこんなことを考えている。

舐められない。それは、松下幸之助さんの言葉を借りると、自分に与えられた本性を発揮して、天命を全うすることにより、輝き、周りがつまらないことを何も言えなくなった結果起こる状態だろう、と思っている。だから、舐められたくない。

自分の本性を全うしたい、そのためにがんばろう。人間の本性は、色々あると思うが、ひとつには人を笑顔にすることだと思う。人を幸せにすること。人を笑顔にしているドキュメンタリーのVTRをみて、嘘や上っ面を感じることはあまり無い。(白々しい番組は除く)

だから、人を笑顔にするために、明日も働く。そうして本性を全うして、いつの日か輝いてしぬ。明日が、楽しみになってくる。


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