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24/5/6 南極観測船ふじ_はじめてシリーズ4


 GWを利用して、名古屋港ガーデンふ頭へ行ってきた。①名古屋港水族館、②南極観測船ふじ、③ポートビル展望室、④海洋博物館の4つの施設が近接しており、1日楽しむことができる。入館券は、4施設分全てセットになったものも販売されている。今回は、「南極観測船ふじ」を取り上げる。

1.施設概要 南極観測船ふじ

 南極観測船とは、南極への物資補給・人員派遣や観測・実験任務に携わる船のことを指す。「南極観測船ふじ」とは、1965(昭和40)年から 18年間活躍した日本の2代目の南極観測船である。「ふじ」は、全長100mのオレンジ色の船体がチャームポイントである。
 現在では、名古屋港ガーデンふ頭に船丸ごと展示されており、船内には操縦室や医務室、乗組員たちのプライベートな空間であった居室など、 当時の姿がそのまま残されている。人の様子はマネキンで再現されているが、このマネキンが恐いほどリアルなのも見ごたえポイントである。
 最上階にはヘリコプター格納庫を改装してつくられた展示室「南極の博物館」があり、南極観測の歴史に触れることができる。
 船内に入ってすぐのところには解説員の方がおり、声を書ければ南極観測船の航路の変化や、食堂について説明をしていただける。

2.南極観測船の航路

 ここからは、解説員の方のお話で印象に残ったことをまとめる。歴代の南極観測船は、初代「宗谷」、2代「ふじ」、3代「しらせ(初代)」、4代「しらせ(2代目)」の4つある。それぞれの航路などに特徴がある。
 初代「宗谷」は、東南アジア、アフリカの南端を通って南極へ向かった。「宗谷」の頃は戦後まもない時期で、オーストラリアと友好関係が結ぶことができていなかったため、このような遠回りな航路となっていた。
 2代「ふじ」の時代以降は、航路はオーストラリアを経由することになる。「宗谷」よりも大型で、砕氷機能も上回って割っていた。
 3代・4代「しらせ」は、2024年現在も2代目が活躍している。名前の由来は、日本初の南極探検隊隊長の「白瀬矗」からきている。現代では、観測員はオーストラリアまで飛行機で向かい、オーストラリアから搭乗するようになっているらしい。オーストラリア以南にならないと観測隊としての仕事がないため、日本から乗る必要がないとか。また、帰りはシドニーに寄り、「白瀬矗」が記念品を贈呈した施設へ向かうことが恒例となっているらしい。

3.食堂の様子

 南極観測船では、搭乗人数に上限があるため、観測員自らが食堂担当となり、全員の食事を作っていた。食堂担当になるのは、学校の科目で資格を取得したものだけであった。限られた人数で約240名分の食事を作る必要があったため、フードカッター、万能調理機、洗米機が導入されていた。日本では1970(昭和45)年の万博開催を機に、ファーストフード、ファミレスの文化が浸透したため、「ふじ」はそれらに先駆けて「機械を使って効率よく調理をする仕組み」を導入していたといえる。
 また、「ふじ」は砕氷船であり、大きく船が揺れるため、火気厳禁であった。そこで、蒸気式、電気式(IH)の)調理器具が使用された。


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