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Sensei

もう長くなさそう。病院に来て。

早口で2秒くらいの連絡。母から。


20分ほどで病院についたときにはもう
じいちゃんはこの世にはいなかった。

祖母や母が臨終後の手続きや葬儀の連絡をバタバタとしているのを空っぽの頭で眺めながら
10分ほどじいちゃんと話をした。

人間の五感の中で耳は最期まで聞こえてるんだとか誰かに教えてもらったことがある。
目の前で眠っているじいちゃんだったっけ。

握った手がまだ温かかったから、涙は出なかった。


じいちゃんは理科の先生だった。
話し上手で聞き上手。

今まで担任をした問題児の話や
理科の実験で火事になりかけた話など
エピソードトークがとにかく強かった。

専門は化学。趣味は園芸と俳句。
夜空に咲く花火の成分を炎色反応で割り出したり
台所の頑固な油汚れを実験用の塩酸で溶かしたり
「これはキンモクセイだよ」とか
「これはリンドウの花だよ」とか教えてくれた。

夏休みの自由研究では顕微鏡やガスバーナーを使用したガチ実験をするもんだから当然のように県のコンクールで入賞した。
こちとら先生がついてんだ。
合法のチート行為。
貰った賞状を見て、学園長とヘムヘムみたいに2人で笑った。

よく一緒にラーメンを食べに行った。
免許を取ったときにもじいちゃんを助手席にのせてラーメンを食べに行った。

大河ドラマと西村京太郎のミステリー小説が好きで
好物は牡蠣フライと海老とキャラメルだったね。


壁に向かって1人でボールを投げるように
眠っている耳にずっと話しかけ続けた。
気持ちの整理なんか到底できてない僕は
話すのを止めるのが怖かった。
感謝も労いも、その時はまだ言えなかった。



自分が苦手なことが1つある。

"人に頼る"ことだ。

自分ひとりで抱えきれないことも
複数人でやればすぐ済むことも
誰かに頼ることが昔からできない。
ホウレンソウの草の部分が枯れている。

家族や友達に悩みを相談したことがない。
他人に作業をお願いすることができない。
無理して我慢して言い訳して咀嚼して
ダメになったら1人でこっそりと爆発する。

自分の弱い部分を見られたり
好感度バロメーター的なやつの針が動くのが
怖いんだろう。

常に前提として「自分で全部やってみる」がある。
自他ともに認める器用貧乏なので大体のことは1人でこなせてしまうが、我慢と言い訳に限界が来る。
そして大きな瓦礫の前でウロチョロして
「手伝おっか?」という言葉を待っている。

そんな自分の最後の切り札として
「じいちゃんに相談する」があった。


9年前。社会人1年目。
1人で関西の大企業に飛び込んだ。
心身共にボロボロになって夜になると涙が出た。
また1から自分を騙さなきゃいけなくなるから
朝が辛かった。

毎月、じいちゃんとばあちゃんに手紙を書いた。
最初は祖父母のボケ防止のつもりだった。
ロフトで買った便箋にぶっつけ本番で書き出す。

仕事の内容、先輩や同期のこと
日々の楽しかったことや辛かったこと
奈良の鹿が臭かったこと
初めて自分の目で琵琶湖をみたこと
次、じいちゃんに会える日のこと


3日ほどすると返事が届いた。
通院しているリハビリの話や、時々のニュースの話が綺麗な字でつらつらと書いてあった。
いつも手紙の最期は「ゆうくんがんばれ」
と書いてあった。

このまま死にたいと思いながら眠りにつく夜に
枕元の壁に貼られたじいちゃんからの手紙を読むと
明日は瓦礫が少しだけ動かせるような気がした。


国家資格の試験に落ちた時も
転職を決めた時も
じいちゃんは絶対に僕のことを否定しなかった。

誰にも相談できず、1人で何もできず
叩いた石橋の自己採点するだけの僕に
じいちゃんはいつも特大のはなまるをくれた。

「がんばれゆうくん」

という声を何度も脳内でリピート再生して
立ち上がった。




お通夜にはコロナ禍で会っていなかった親戚がたくさん来た。

お悔みに来たご近所さん(全員後期高齢者)に
ばあちゃんは段ボールからペットボトルを配る。
「なんで特茶なんだよ!みんなヨボヨボのガリガリなんだから、代謝を促して脂肪の分解助けちゃダメだよ!!」とちゃんとツッコんだ。

「家におくりびとのDVDあったじゃん、あれ、父さんがパチンコの景品で取ってきたんだよ」
と兄から初出しのコソコソ裏話を聞いた時も
「あれ『CRおくりびと』だったのかよ!涙返せよ!」とツッコめるくらいには通夜の僕は気丈だった。



葬式では人生で一番泣いた。

自分の弱い部分だの好感度バロメーターだの
知るもんかと。なりふり構わず泣いた。

壊れそうな弱い弱い僕の心を
いつも守ってくれていたじいちゃん。

がんばれゆうくん
という言葉で僕がどれだけ頑張れたか。
じいちゃんの手紙にどれほど毎日が救われたか。

感謝と労いと涙と鼻水で
棺桶を満杯にする。


凛とした顔でばあちゃんが
「58年間。連れ添ってくれてありがとう。」
と涙一つ流さずに棺桶に手を置くのを見て
ようやく涙は止まった。

ばあちゃんは強かった。
危篤状態のじいちゃんの療養中も
もう電池が切れかけている夫に
カルピスを凍らせた氷を少しずつ食べさせて
愛おしそうに眺めていた。

自分には絶対にできない。
妻がいつか動けなくなる日が来たら
せーので一緒に死にたい。
理由のわからない場所へは手を繋いで逝きたい。

顔に触れたり一緒に歌を歌ったり指を握ったり
ばあちゃんは24時間フルタイムで
じいちゃんの隣で笑顔を絶やさなかった。

この光景が救われなくてなにが便利な世の中だよ、
と視界以外の全てに苛立ちを覚えるくらいには
何もかもが救われなくて、とにかく哀しかった。



あれから4ヶ月が経った。
火葬されるのも線香の火が燃えるのも
O2やらCO2で表せられるんだろうか。

リンドウの花に
ラーメンの湯気に
誰もいない助手席に

今日もじいちゃんの姿を見る。
多分あの世もそこそこ退屈だろうから
用がなくてもじゃんじゃん呼び出す。

近況報告や悩みの相談がいつでもできる。
残された者の特権だ。

誰かに相談するのがヘタクソな僕の話を全肯定して
はなまるをくれる先生。
最期は「がんばれゆうくん」と背中を押す。
そんな空想ルーティンをお守りにして
明日からもずっと生きていく。




拝啓じいちゃん

将棋では棒銀と振り飛車が得意だったね。
お泊りの時にいつもVHSをレンタルしてたこと、
懐かしいです。
高専の入学祝いに買ってくれた腕時計はまだ大切に使っています。
僕の奥さんにいつも優しくしてくれてありがとう。


今日は猫が2階の屋根にいたよ。
あいつ、どうやって降りるか気になります。

少しずつ朝晩が涼しくなってきたね。

ブリ大根が食べたくて鰤と大根を買いました。
上手に作れるか不安です。
多分大根は半分以上余らせると思う。

週末は梨狩りに行くよ。
たくさん採っておばあちゃんと食べるね。

みんな元気にしてるよ。

じいちゃん 僕もがんばるね。


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