ダンテスダイジ考察

ダイジの録音を仕入れたので聞いてみた、いくつかしか聞いてないが、そんなに他人の話に興味もないので。でもダイジがいっちゃってる人だということがわかった、それは自我がぶっ飛んでるという意味である、ラリっているのとは違うが、自分も自我が薄いときがあったので同類のことは少し話を聞くだけで解るのである。同類を探して歩いている奥野である。自我が薄い人の話はとても貴重である。

ダイジは自我が薄いだけではなく、自我を必要に応じて出し入れできるのかもしれない。自我が濃いときというのは逆に引っ込めることが出来ない、奥野の自我が薄い状態というのはだいたい0.2%~3%までであるが、ダイジはもっとそれ以上無い。話聞いてるとダイジのものと思えないような知識や話がポンポン出てくるが、これは奥野も経験したが自我が薄いから集合意識が自分の知ってる単語を使って勝手に話を作って見繕ってくれるのだ。非常にラクな説法である、ダイジもこれと似たような状態であると見た。

自我を出し入れできるという点では奥野とは違う、奥野は積極的に道具になっているので霊がそれを使って話している、そこに自我は挟んでいない。自我を挟んで、あとは霊が勝手に喋ってくれるといいが、そう簡単な話ではないのである。ダイジはそこをクリアしちゃってるみたいなんで、偉いのである。

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