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片思いのリミット――『オリンポスの果実』小論

(写真)バー・ルパンでグラスを傾ける田中英光

この記事では、すっかり忘れられた佳作である田中英光『オリンポスの果実』についての小論を書きました。かなりメモ程度のラフスケッチではありますが、作品のメインモチーフである片思いの形象について、読書行為論の観点から語りと小説の構造分析をおこない、考察を加えました。ストーリーを多めに引きながら書いたので、『オリンポスの果実』を未読の方でも小説の魅力が伝わるような紹介記事として書いたつもりです。

秋ちん。
と呼ぶのも、もう可笑しいようになりました。熊本秋子さん。あなたも、たしか、三十に間近い筈だ。ぼくも同じく、二十八歳。すでに女房を貰い、子供も一人できた。あなたは、九州で、女学校の体操教師をしていると、近頃風の便りにききました。
 時間というのは、変なものです。十年近い歳月が、当時あれほど、あなたの事というと興奮して、こうした追憶をするのでさえ、苦しかったぼくを、今では冷静におししずめ、ああした愛情は一体なんであったろうかと、考えてみるようにさせました。
 恋というには、あまりにも素朴な愛情、ろくろく話さえしなかった仲でしたから、あなたはもう忘れているかもしれない。しかし、ぼくは今日、ロスアンゼルスで買った記念の財布のなかから、あのとき大洋丸で、あなたに貰った、杏の実を、とりだし、ここ京城の陋屋の陽もささぬ裏庭に棄てました。そのとき、急にこうしたものが書きたくなったのです。
 これはむろん恋情からではありません。ただ、昔の愛情の思い出と、あなたに、お聞きしたかったことが、聞けなかった心残りからです。
 思わせぶりではありますがその言葉は、この手記の最後まで、とっておかして下さい。(一)『オリンポスの果実』(『田中英光傑作選』角川文庫)

†片思いする作家

田中英光という作家はいまや忘れられて久しい作家である。なにせ「文スト」や「文アル」にも登場していないのだから(これはまじめにいっている。そもそも英光はその作家人生の短さのわりに作品もかなり残しているし、太宰や安吾といった作家たちとの文壇的関係のエピソードに事欠かない。それが現在もっとも膾炙していて有力な文学史である「文スト」や「文アル」に登場していないのはなぜなのか、その現実と虚構の間の力学を、英光研究者はまじめに問うべきである)。

英光は、片思いすることに深くコミットした作家である。たとえば彼は病的なまでに太宰の弟子だったことはよく知られている。彼の生涯の最後は、太宰の墓の前で太宰の全集をもち、太宰と同じように自殺という方法で人生を閉じることだった。それはいうまでもなく片思いのような形に見える。好意におもう相手の墓の前で死ぬほど恋するものにとって本望なことはないだろうからである。無頼派というネーミングは文壇やジャーナリズムによって名付けられた根拠のないネーミングだが、彼と太宰には多くの共通点を持っている。それはいささか偏執的といっていいほどの相手に対する恋愛感情であり、それが堂々巡りのようになって妄想する言葉が炸裂する小説を書き続けたことである。

ならば、彼の小説を片思いするものが悩み書きぬいた小説と読むなら、どのような姿になるのだろうか。

「オリンポスの果実」(『文学界』九月号、一九四〇年)は、新人作家英光の書いた文壇出世作であり、自身もボート選手として出場していたロサンゼルス・オリンピックの前後の出来事を回想しながら綴った小説である。

まず、「オリンポスの果実」のあらすじを簡易的に紹介しておこう。

この小説は以前恋していた女性に向けて書かれた男性の手記という体裁をとっている。手記の書き手である「ぼく」と片思いしていた相手である熊本秋子は、かつて1932年のロサンゼルス・オリンピックの日本代表選手であり、二人はボートとハイジャンプの選手だった。ロサンゼルス生きの船上で「ぼく」は一目惚れに近い形で秋子に恋をするが、「ぼく」は孤独癖と気弱な性格であり、またクルーの横槍や船上での男女交際の禁止令も出され、秋子に思いを伝えることはなかなかできない。そしてそのまま無為にオリンピックも敗退し、とうとう帰国してからも思いを伝えることはできなかった。それから八年の月日が経ち、日中戦争に従軍した「ぼく」は秋子に聞けなかったことを手記にして書くことを思いつく。

この手記を貫く問いは、最後のページに書かれている「いったい、あなたは、ぼくのことが好きだったのでしょうか」という秋子に対する告白的な問いかけである。この謎を推進力として、手記の語り手である「ぼく」は言葉を発し続ける。ならば、この「ぼく」の語りは自らのどのような志向によって導かれているのか。そしてどのような構造をもっているのだろうか。ここではその問いを、大きくこの作品のメインモチーフである、片思いする男のフィギュールに沿いながら、小説の読解を試みたい。

†帝国のセンチメンタリスト

手記の語り手である「ぼく」はオリンピック選手だと述べた。ではこの小説は純然たるオリンピック小説として分類されるかといえば、それはそうでもない。なぜなら、手記に綴られた出来事の大半はオリンピックの競技大会ではなく、「ぼく」の心情やクルーとのアメリカの生き帰りの船上生活に充てられているからである。とくに、手記の後半はただのアメリカ観光日記とでも見間違うような記述に満ちている。つまり、「オリンピック小説」や「スポーツ小説」としてカテゴライズされて読者が期待するような競技大会の様子だとか選手の葛藤などはほとんど書かれてはいない。

よってその期待の地平が十分に満たされていないことを指して、小説のストーリーや二項対立構造における「ぼく」の位置がいかにも「異常」に中途半端なものに仕上がっているのだとする論もあるが(疋田雅昭「スポーツしない文学者——祭典の熱狂から抜け落ちる「オリンポスの果実」疋田雅昭ほか編『スポーツする文学』青弓社、二〇〇九年)、ここでは、もう少し別の観点からこの小説の構造についてこだわってみたい。それは少し先取りしていうなら、この手記の語り手である「ぼく」の戦略を問うものであり、小説を「小説を読むこと」という体験から問いたいのが、ここでの趣旨である。

「ぼく」がいかなる趣向を持つ人物なのかをまず確認しておこう。

ぼくみたいな男でも、かりにも日本の Delegation として戦うのだ。自分の全力の砕けるまで闘わなければ済まない。恋なぞ、という個人的な感情は、揚棄(アウフヘエベン)せよ。それが、義務だという声もきこえる。それより、ぼくも棄てたいと望んでいる。が、そう考えているときのぼくに、はや、あのひと(秋子——引用者注)の面影がつきそっている。あのひとが、そう一緒に望んでくれる、と思うのだ。(十)
総ゆる人種からなる、十三万人の観衆に包まれた開会式(オオプニングセレモニイ)は、南カルホルニアの晴れ渡った群青の空に、数百羽の白鳩をはなち、その白い影が点々と、碧玻璃のような空に消えて行く頃、炎々と燃えあがった塔上の聖火に、おなじく塔上の聖火に立った七人の喇叭手が、厳そかに吹奏する嚠喨たる喇叭の音、その余韻も未だ消えない中、荘重に聖歌を合唱し始めた、スタンドに立ち並ならぶ三千人の白衣の合唱団、その歌声に始まって行ったのでした。
ぼくは、その風景を、男子の本懐だと、感動して、眺めていた。殊に、あの日、塔上に仰いだ万国旗のなかの、日の丸の、きわだった美しさは、幼いマルキストではあったぼくですが、にじむような美しさで、瞳にのこりました。身体がふるえる程ほど、それは強烈な印象でした。(十六)

日本を出港するときには、「文字通りの熱狂的な歓送のなか」、「ことに、京浜間に多い工場という工場の、窓から、柵から、或いは屋根にまで登って、日の丸の旗を振ってくれていた職工さんや女工さんの、目白押しの純真な姿を、汽車の窓からみたときには、思わず涙がでそうにな」るし、アメリカに渡れば、劇場で日米の国旗を手にした歌手の歌う君が代を聞いては、「なお耳底にのこる、深刻なものがありました」と感動を隠さない。

1932年のロサンゼルスオリンピックは、初めてオリンピックに日本の国家振興として期待がかけられ利用されたスポーツ・イベントであり(橋本一夫『幻の東京オリンピック』講談社学術文庫、二〇一四年)、その分の国民の期待をオリンピック出場選手は受けることになった。「ぼく」は帝国日本の委任代表「Delegation」として、海の向こうの帝国アメリカにわたり、ボートというスポーツ種目のもとで規律した身体パフォーマンスを披露、帝国の国民の身体を表象することになる。そのなかで、マルキストであるにも関わらず、「ぼく」は日本国旗に描かれた日の丸の美と崇高に打たれ、身体の確かな手ごたえとともに、感動に打ち震えている。

このように国家振興の一大イベントであるオリンピックにおいて、帝国日本の崇高な感動に打ち震え、そのことを手記のなかで隠そうともせずはっきりと告白する「ぼく」は、思い切りセンチメンタリストである。まず「ぼく」は感動を消費する人物としてオリンピックの舞台に上がっているのである。このいささか俗情といってもいい意志のもとに手記は執筆されているのだ。

†小説になること

このようないささか正直すぎるといってもよいセンチメンタリズムに裏打ちされている「ぼく」は、では果たして自らの性格に関してどのような意識を持ち合わせているのだろうか。このセンチメンタリズムはどんな趣味によって生じているのか。次にそのことを確認しておきたいのである。

ロサンゼルス・オリンピックへの旅の軌跡を「青春の酩酊」と語り、その前後の日々を「ひどい神経衰弱にかかっていたよう」だと診断する「ぼく」の手記の回想は、日本を発つ前々夜の出来事から始まっていた。「青春」、「神経衰弱」と「ぼく」はいう。すでにこの、「ぼく」のまるで病にかかったような言葉からは、この小説の物語内容の現在時である昭和八年という季節における、あるモードに関するはっきりとした言明をすでに読み取ることができるが、それはすぐ後で言及しよう。

「ぼく」はこの前々夜、餞別の二百円という大金を使って芸者を買い遊興を尽くそうと計画していた。酒宴の終わりで「頭はうつろ、瞳はかすみ、瞼はおもく時々痙攣してい」たにもかかわらず、その後の享楽のことを考えると妄想も止まらなくなる。しかし、外出用であるチームのユニフォームの背広を紛失したことに気づくと、途端にそれを慌て探す羽目に陥る。合宿所と実家を自動車で何度も往復するが、一向に見つからないことに絶望してしまい、ついに自殺を仄めかすまでに至る。

遥か、浅草の装飾燈が赤く輝いています。時折、言問橋を自動車のヘッドライトが明滅して、行き過ぎます。すでに一艘の船もいない隅田川がくろく、膨らんで流れてゆく。チャップチャップ、船台を洗う波の音がきこえる、ぼくは小説(ロマンス)めいた気持でしょう、死にたくなりました。死んだ方が楽だと、感じたからです。(二)
そんな簡単に、自殺をしようと考えるのには、多分、耽読した小説の悪影響もあったのでしょう。ぼくは冷たい風が髪をなぶるのに、やッと気がつきかけたが、もうなんとしても、背広は出てこないという点に、考えがぶつかると、やはり死の容易さに、惹かれてゆきます。(…)合宿横にある交番に、さしかかると、「オイ」と巡査に呼び咎められました。それ迄は、これから、向島の待合に行って、芸者と遊んだ末、無理心中でもしようかという虫の良い了見も起しかけていたのですが、ハッと冷水をかけられた気が致しました。(二)

ここからはいくつものことが読み取れる。

まず一つは、ここで「ぼく」がボート生活を送ったり自殺を仄めかした場所が向島だということである。下町エリアにある向島は浅草を挟んで隅田川の目前に位置しているが、東京では吉原に次ぐ私娼街でもある。「ぼく」がここの待合で芸者遊びをしようとした理由はその点に求められる。向島は永井荷風が「ラビリント」と呼んだように入り組んだ路地とカフェなどの建造物でなりたっている。ここには文士も多く通っていた。英光も、師匠の太宰もそうであった。向島という場所はこのように文士や文学青年といった、文学的記憶が濃厚に立ち込める場所なのである。

二つ目は、「ぼく」が自殺を思いつくに至った理由のことである。「ぼく」はそれを「耽読した小説の悪影響もあったのでしょう」と語る。どうやら「ぼく」は文学に通じている人物らしい。ここで文学史を参照してみよう。昭和十年代はシェストフ的不安といった語が流行したように、時代に閉塞感が覆い知識人による自殺や心中未遂の季節であり、それを記した小説群の流行した時代であった(安藤宏『自意識過剰の昭和文学』至文堂、一九九四年)。そして同時に、そのモードは青年たちの間にも波及し流行が形作られていたのである(松本和也『昭和十年前後の太宰治』ひつじ書房、二〇〇九年)。つまり、「ぼく」の脳裏に自殺行為がよぎった理由には、物語内の因果関係において背広をなくしたことがまず挙げられるが、それにはまたしても小説の外の文学的環境を影響のひとつとして数えることができる(矢島道弘「田中英光・初期の問題 全集未収録作品をめぐって、「オリンポスの果実」まで」『国文学』一九七六年)。「ぼく」が自殺行為に導かれるのは、時代のモードでもあるのだ。

そして三つ目に、「ぼく」が自殺に誘われた気分のことである。死に誘惑される「ぼく」は、その感触を「容易」なものとして捉えている。思考の行き詰まりに「ぼく」が陥るこうした死についての志向は、煎じ詰めても確たる本質的結論は出ないようなものである。死が誰にとっても自分の意識としては経験できない出来事である以上、明確な輪郭はないからだ。こうした明確な対象を持たない「何か」についての感情を気分と呼ぶなら(ボルノウ『気分の本質』藤縄千艸訳、筑摩書房、一九七三年)、「ぼく」がひかれているのは死という気分である。ここで重要なのは、その死の気分が何によって充填されているかということである。つまりそれは「小説」のせいなのだとはっきり名指されているのだ。「ぼく」にとって「小説」とは「耽読」するまでに親しんでいたものであったし、また影響を受けるものでもあった。「ぼく」の気分は「小説」によって左右されている。だとするなら、「ぼく」はここで「小説」めいた人物として自らを語って見せているのである。

いま挙げたこれらは、「オリンポスの果実」が発表された当時の読者——多くは「ぼく」のような文学を志望した青年だろう——にとってはおそらく自明のことだったろう。しかしだからこそ、自殺行為に先走ったり、そのような不安を呼び起こす小説を耽読するような「ぼく」の行為や語りを読んだ読者は、なるほどこれは文学と呼ぶに足る作品なのだと思ったのではないだろうか。もちろん現実的に読まれているのは田中英光という新人小説家が執筆し発表した「オリンポスの果実」という小説であり、読者も当然そう思って読むはずである。何もその現実的事実を無視しているわけではない。思い返してほしいのは、「オリンポスの果実」という作品は「ぼく」の書いた手記の体裁を取っている小説だということだ。つまりここで言いたいのは、「オリンポスの果実」に内包された「ぼく」の手記という作品は、こうした小説の外の文学的環境や文学史の記憶だったり、小説に関する自己意識を書き込むことによって、小説らしくなるのだということである。小説は模倣を通して小説に変身するのである(清水良典『あらゆる小説は模倣である』幻冬舎新書、二〇一二年)。

「ぼく」の手記はこうした記述によってまず何よりも小説として読んでほしいと、暗に主張している。「小説め」くという記述からはそうした語り手の意識を読者に突き付けるマーカーとして存在している。ここではその要求を飲んで小説を「小説」としてきちんと読んでみたい。それは、小説の仕組みやそれに基づいた語りをそれとしてはっきり自覚することである。小説はやおら小説の雰囲気を纏い始めている。ここからは、こうした「ぼく」の語りや感情の機敏が小説らしく変化し始めるその手がかりを捉えるという観点から、読解のコードを設定し、この小説に了解の合図を送っておきたい。

†語りのレッスン

「ぼく」はセンチメンタルな青年として表象されていた。彼のその文学趣味的性格を取り巻くように、「ぼく」をめぐる他者の語りは、「ぼく」の身体やコミュニケーションに大きな影響を残している。そのことを次に見ておこう。

もともと「文学少年」だった「ぼく」は、ただ自分の身体の大きさによってのみボート選手に選ばれ、「昨日も、今日も、ただ水の上に、陽が暮れて行った」とボート練習を無為に日記に綴るような毎日を送っていた。その「ありがちな孤独癖」によってクルーには「生意気だとか、図々しいとか見られていたの」だと語る。出帆してからも「練習以外の時間は、ただ甲板を散歩したり、船室で、啄木」を読んだり」する「ぼく」は、何より内省や紙の上で言葉とのコミュニケーションを楽しんでいる。

その「ぼく」の前に秋子が現れる。「ぼく」は秋子に一目惚れに近いような形で片思いすることになるが、その好意を抱く理由として挙げられるのは秋子の語りに対する態度である。

 ぼくの番になったら、美辞麗句を連ね、あなたに認められようと思っていたのに、恥ずかしがり屋のぼくは、口のなかで、もぐもぐ、性と名前を言ったら、もうお終いでした。
 あなたの番になると、あなたは、怖じず臆せず明快に、「高飛びの熊本秋子です」と名乗って着席しました。ぼくには、その人怖じしない態度が好きだった。(五)

「ぼく」の語りは「美辞麗句」のような修辞の利いたなめらかなコミュニケーションを内省の上で志向するが、うまく話すことはできない。「恥ずかしがり屋」である「ぼく」の言葉と身体は上手く釣り合っていないのである。あるいは、「ぼく」の身体は「ぼく」の言葉を拒んでいる。いずれにせよ、「ぼく」の行為は自己表象に失敗している。それに対して、「人怖じしない態度」の秋子の語りは、言葉と身体が釣り合った透明なコミュニケーションを志向している。「ぼく」は秋子のそうした語りの態度を欲望し始めるのである。

だから、「ぼく」の恋はまずは言葉への欲望として始まっていた。こうして「ぼく」にとって、目の前に現れた秋子は言葉への欲望を賦活させ、深化させるにふさわしい人物としてそこに立っている。

月光に輝いた、実に真ッ蒼な海がみえました。と、その間から、ひょいと、あなたの顔が、覗いてひっこんだのです。ぼくは我を忘れ駆けて行ってみました。すると、手摺に頬杖ついた、あなたが、一人で月を眺めていました。月は、横浜を発ってから大きくなるばかりで、その夜はちょうど十六夜あたりでしたろうか。太平洋上の月の壮大さは、玉兎、銀波に映じ、といった古風な形容がぴったりする程です。満々たる月、満々たる水といいましょうか。澄みきった天心に、皎々たる銀盤が一つ、ぽかッと浮かび、水波渺茫と霞んでいる辺から、すぐ眼の前までの一帯の海が、限りない縮緬皺をよせ、洋上一面に、金光が、ちろッちろッと走っているさまは、誠に、もの凄まじいばかりの景色でした。
 ぼくは一瞬、度胆を抜かれましたが、こんな景色とて、これが、あの背広を失った晩に見たらどんなにつまらなく見えたでしょうか。いわばあなたとの最初の邂逅が、こんなにも、海を、月を、夜を、香わしくさせたとしか思われません。(五)

それにしてもずいぶんと雄弁な語りだ。「ぼく」の手記のほとんどが入り組んだ内省で占められていることを思えば、この思い切り「古風」といってもいい、「ぼく」の外部にある風景描写の書き込みぶりが異様に際立って見える。「ぼく」にとって秋子を欲望することは、孤独な内省によって進められるプロセスというよりも、まず小説にとってはこのように描写と語りの欲望が生まれ育ち可視化されることなのである。こういってよければ、秋子は「ぼく」を、いや小説をレッスンしている。あなたの語りは小説になれますか、と。

だから「ぼく」の身体もまた、秋子によって教育されることになる。デッキで運動する秋子を見れば、「ぼく」は「以前は、嫌いだった駆足も、駆けている間中、あなたが見えるといった愉しさ」に変るし、ふだんは運動神経の無さのためにクルーから叱られることになっていた船上でのボート操法の練習も、「すばらしい好調」で「いつの間にかチャッチャッとリズムが出てくる」ようになる。

ここで「ぼく」の身体は秋子への視線を意識するにしたがってそのバランスが調和し、それが「ぼく」の意識にまた活力を与えているという具合なのだ。「リズミカル」な秋子の身体はそのパフォーマンスを発揮するにつれ、「ぼく」の身体を暗に教育している。「ぼく」の語りや身体の表象の強度はここで秋子を関数として決定されていく。それが「ぼく」には「幸福」であったし、密かに秋子への「愛情を育てて」いく機会にもなっているのである。

†心の本当らしさ

「ぼく」は過度に内省的な人物のようである。だからこそ「ぼく」は明朗な秋子に自己を開くような感覚を与えてくれる欲望を抱くのだともいえそうだが、しかしそもそも「ぼく」のその内省的思考はどのような構造を持ち、どのように他者に向けられているのだろうか。それを「ぼく」の語りに含まれる志向から考えてみよう。

片思いしながら秋子に接近し始めた「ぼく」は、クルーからの悪意を一手に集めることになる。もともと大きな身体を「持てあましてい」る「ぼく」は、「不器用」さや運動神経の無さが災いして、不評を買っていた。秋子に近づこうとする「ぼく」は、女性を招き入れることでホモソーシャル共同体としてのクルーを崩壊させる人物として狙われ、彼らの悪意を文字通りその身体としても受ける格好になっているのである。その言葉は「ぼく」にとっては「侮蔑的」な意味に受け取られている。周囲の「ぼく」への言葉は、すべて「罵声」や「陰口」、「皮肉」となって自らを攻撃しているように「ぼく」には見える。

「ぼく」の語りはクルーの悪意をこう考えている。

(…)クルウの先輩連が、ぼくに浴びせる罵詈讒謗には、嫉妬以上の悪意があって、当時、ぼくはこれを、気が変になるまで、憎んだのです。(七)

この手記が「ぼく」の心情のみに焦点化されている以上、こうした周囲の中傷は、本当に悪意があってなされたものかどうかは証明することはできない。それゆえに「ぼく」の語りはいくぶんか割引いて受け取る必要はある。極端なことをいえば、これは「ぼく」のただの被害妄想かもしれないのだ。一人称の語りは原理的に、このような事実の不確定性を記述に持ち込まざるをえない。しかしそれゆえに、ここで見誤ってはならないのは、事実のレベルで彼らが本当は何を考えていたかを確定することではなく、こうした「ぼく」の語りがどのような前提で成り立っているかを確認することである。

そこでここの記述から確認できることは、手記における「ぼく」の語りは、自己と他者を峻別し、他者の心に本当の気持ちを設定することで、それは他者の内発的な真の欲望を語っているのだと前提し位置づけているということである。そしてもちろん、他者の心をそのような奥行きを備えたものとして位置付けることは、反射的に自らの心をも同様に確たる輪郭を備えたものとして設定することにもなる。それは「ぼく」が孤独に内省を続ける理由にもなっている。

「嫉妬以上の悪意」という語りの言葉は「ぼく」による感情の受け取り方の程度以前に、こうした他者の内発的な心のありかを指示している。この手記が、秋子に向かって「あなたは、いったい、ぼくのことが好きだったのでしょうか」という言葉で閉じられていたことを思い出してほしい。「ぼく」の語りは不可視な心の容器として他者の身体を還元しているのだ。「ぼく」の恋はそのように「ぼく」の期待にまとわりついている。

より事態を複数的に見ておこう。この「ぼく」の心に関する志向がたとえば「女給」に向けられた場合、それは次のようになる。

その頃、ぼくは、銀座のシャ・ノアルというカフェのN子という女給から、誘惑されていました。そして、それが、ぼくが好きだというより、ぼくの童貞だという点に、迷信じみた興味をもち、かつ、その色白で、瞳の涼しい彼女が、先輩Kさんの愛人である、とも、聞かされていました。(二)

カフェの「女給」が男を「誘惑」するという「事実」は、明らかに時代の文脈を背負っている記述である。「女給」という職業は性的なサービスを供給することを仕事のうちにしていたからだ。それは、彼女たちが文化のなかで記号化されていたことを意味する。しかし、そうした時代のコノテーションを差し引いたとしても、ここでも「ぼく」は「誘惑」されるという事態のうちに、他者の心をその欲望が隠された内発的なものとして受け取っている。「ぼく」はここで人が誘惑するという行為を、単なる好意ではなくて「童貞」という記号がもたらすものとして理解しているからだ。つまり、「ぼく」は純粋な好意のみで人が人を恋するという事態を信じてはいないのである。その感情が向けられるには必ず内心に隠された理由があり、その欲望は何か徴付きの属性に還元できるのものなのだと、「ぼく」は志向しているのだ。他者の心に真の動機や欲望といった奥行きを執拗に想定すること。それが「ぼく」の語りから解釈できる「ぼく」の内省的な態度のもつ意味である。

恋することがその相手から愛されたいという欲望を程度のこそあれ保持し、そしてまた、愛は心の底からなされるものであるという信念が陰に陽に前提として含まれている以上、恋するものは相手の行為以上に、相手の内発的な真の心の動態に苦しむことになる。なぜなら、たとえ外面の行動に食い違いをどんなに認めてしまっても、本当のところは自分のことを愛しているのではないか、という期待からはどうしても逃れることはできないからである。もしそのような期待を抱いてしまったなら、それは片思いとして人を縛ることになる。愛されたいと願い、その恋に内発的な心を想定すること、それは恋の源泉ともなり、またリミットともなるのだ(小谷野敦『定本〈男の恋〉の文学史』勉誠出版、二〇一七年)。

秋子に向かって「あなたは、いったい、ぼくのことが好きだったのでしょうか」と彼女の本心に向かって問いかけざるをえない「ぼく」もまた、そうした男の恋の前提を共有している。秋子に行為以上の心のありかを問い、また女給の接近に裏側にある「誘惑」の素振りを感じてしまう「ぼく」は、だからまさしく片思いをしてしまうにふさわしい志向の人物なのだ。「ぼく」はこうした片思いのリミットを突き付けられている。

†ゴシップ・リーダー

秋子への密かな片思いを育てるような「ぼく」の心が、内省のなかで他者の本当の心を不可避的に志向するものとして働くことを見ておいた。それは記号的な「文学少年」にとっての病の位置をも示しているが、ではそうした内省の働きが小説のプロットに現れるとき、この小説はどのような姿に見えてくるのだろうか。

クルーの間で「惚け話」や「色話」が盛んに噂される船内では、たとえば男女の密会などはすぐさまニュースとして駆け巡り、格好の話題の種となる。船内における会話や噂は否応なく性的なニュアンスを纏っているのだ。そもそも手記の最初から、語りの推進力は「ぼく」の秋子への思いの機敏や秋子の本当の気持ちを解明すべき謎と位置付けることから生まれていたのだし、手記の目的はそれを語ることにあった。この小説における期待の地平のセンは、一つにはこうした真実を求める「俗な」視線から構成されるのだ。だからこの小説はほとんど週刊誌のゴシップ記事と見まがうようなスキャンダル小説でもある。この小説をたとえばナイーブに「青春小説」と呼んでしまったとき抜け落ちてしまうのは、そうした俗情的なニュアンスである。

「ぼく」もまた、そうした周囲の好奇から逃れることはできない。そもそも「大坂」や「童貞」など、徴付きの人物として「ぼく」は他者からしきりに噂される存在だった。当然、秋子とのかかわりもそうした視線のもとで理解されることになる。

少しの間ストーリーを追っておこう。ある日、男女が密会していたという噂が立ち、それが原因で船上での男女の接近が禁止されることになった。会話することさえも禁じられ、「ぼく」はもどかしい思いを抱えることになる。そのなかで、クルーからは「俺たちのなかで、困るのは、まあ大坂一人位のものだな」と、すでに秋子との関係が話題となっていた「ぼく」は皮肉をいわれる羽目になってしまった。それをきっかけに「ぼく」についてのゴシップ的な話題は飛躍的に増大することとなった。立ち寄ったハワイで出会った少女とアドレス交換をすれば、その「ロオマンス」はたちまち「素ッ破抜」かれてしまうのだ。「ぼく」は終始、周囲の性的な文脈を含んだ欲望の視線を受け続ける。

そんななか、「紅のセエム革表紙のノオト」をハワイでぼくは「あなたとの、日記帳」にするつもりで購入する。日記には秋子への思いがこう綴られていた。「ぼくはあのひとが好きでたまらない。この頃のぼくはひとりでいるときでも、なんでも、あのひとと一緒にいる気がしてならない。(…)
どこが好きかときかれたら、ぼくは困るだろう。それほど、ぼくはあのひとが好きだ。(…)」。

そして決定的な瞬間が訪れる。この「感傷的」な形容が続く日記を船室に放置していたところ、それがクルーに読まれてしまう。日記の一節を繰り返し復唱するクルー。このスキャンダルが原因となり、「ぼく」は小説の終わりに至るまでクルーから嘲笑されて苦悩し、秋子にも決定的な告白ができずに帰国してしまう。

「ぼく」の気持ちは秋子に向けられるはずが、周囲が焚き付けるスキャンダルによって妨害され、「ぼく」は告白するチャンスを逃してしまう。ここで、「ぼく」がたとえばジラールのいうような「欲望の三角形」の構図にぴったり収まるのは確かだろう。「ぼく」の苦悩はクルーに嘲笑されるほど高まり、またそれに応じて秋子への思いも増進していく。しかしここで気を促しておきたいのは、そもそも嘲笑やスキャンダルの原因となったのは「ぼく」が書き付けた日記であり、それによって一連の恋愛感情と苦悩の行進のサイクルが生じているということである。「ぼく」の秋子への感傷的な内省はそのまま日記の書字となり、「ぼく」を苦しめる。こういってよければ、「ぼく」はこの構図のなかで、自らの感傷的なフレーズとのインターコースを楽しんでいるのである。「ぼく」はスキャンダルの原因として、「ぼく達が、他の人達に注目されるほど、仲良くなって行ったこと」と挙げる。しかしそれは小説の上では転倒している。自らが内省的に書き込む言葉こそ二人の絆を強固にするものであり、その相手とはほかならない「ぼく」自身なのである。この回路はいくぶんナルシシズム的であり、そのなかで「ぼく」の片思いはナルシシズムを抱えてしまうことになるのだ。

ところが大慌てで付け加えなくてはならないのは、確かに事実として、こうした「ぼく」の片思いの回路は他者との間の恋の成就を妨害するナルシシズムをリミットとして抱え込んでいるが、小説としてはもう少し複雑な事態を招いてもいるということである。次の記述を読んでみよう。「ぼく」へのクルーの嘲笑はこんな形を取っていた。

松山さんは、なおも、手近にあった通俗雑誌を手にとり、ぼくの横にわざと、ごろりと寝て、いかにも精力的らしい体臭をぷんぷんさせながら、雑誌をめくり、適当な恋愛小説をみつけると、その一節を、こんな風に読みかえて、ぼくを嘲弄しようとしました。
「そう言うと、熊本秋子は、坂本の胸に深く顔をうずめた。その白いうなじに、坂本は接吻したい誘惑を烈しく感じたが、二人の純潔のために、それをも差し控えて、右の手を伸ばし、豊穣な彼女の肉体を初めて抱きしめたのである」。(十四)

ここで小説の一節を読み替えて意地汚く朗読し「ぼく」と秋子の関係を弄ずるクルーは、「オリンポスの果実」を読みながら「ぼく」と秋子の恋愛事件を期待している読者の存在と響き合い、その陰画となっていることは明らかだろう。このクルーは読者の分身としてその欲望を高らかに代弁しているのである。なぜなら、その淫靡な視線でいままでページをめくり「ぼく」の欲望をつぶさに覗き込んで読者にとっては、「ぼく」の心などとっくに筒抜けであり、その構造において、「ぼく」の日記を盗み見てスキャンダルに喜ぶクルーと位置関係は何ら変わりないからである。この一節からはそうしたことがクルーの形象から象徴的に読み取れるはずだ。手記の「ぼく」の秋子への片思いを期待の地平のセンとして読み込み小説を解釈する読者を想定するなら、読者と小説の人物との間にこのような解釈を導ける。少なくともそのような解釈を許す象徴的な記述が小説のなかに書き込まれているというのは事実である。

こういってよければ、ここで「ぼく」は自らが書き付ける感傷的な言葉との戯れのうちに、読者が読み込むゴシップ的な興味と密かに結託し、対話していたのではないか。つまり、「ぼく」の内省的で感傷的な言葉の切れ端は、「ぼく」が読者の読書行為を予示しそれと示し合わせながら書き連ねていたのではないかということである。それは非常に細いセンではあるが、自らの言葉を他者に向けて開くことでもある。確かにいくぶんか小説のなかの物語と読書行為を混同してもいるし、推論的に過ぎる解釈かもしれない。しかし、小説を読むということは、こうした小説の世界と読書行為の境界が書字に即すればほとんど混迷してくるような間を読むことであるし、それはなにより言葉の使用が具体的にそれを解釈する行為と切り離せない以上、このような解釈を原理的に含んでいる。ここまで述べるのは確実に論証的なことではないが(「ぼく」をそこまで統括した小説の語り手として捉え主張することは可能だが、解釈の一つという域を出るものではない)、しかし小説的な出来事として現実である。

ここまでくると、「ぼく」の内省や恋をただのナルシシズムと判断してよいかわからなくなってくる。ならば、「ぼく」の片思いのリミットは小説自身がほんのわずかに乗り越えていたというべきではないだろうか。小説を読むことはいつもなにがしかのタブーやリミットを踏み越えることを含んでいる。これが「オリンポスの果実」を小説として読んでみることのここでの一応の結論でもある。

†語り手の女性嫌悪

しかし、もう少し小説のなかの物語について言及しておかなくてはならないことがある。それはこの小説のストーリー全体と「ぼく」に通底している女性嫌悪のことである。いうまでもなく船内全体やクルーにはホモソーシャルの空気が濃密に垂れこめているし、それが原因となり秋子と関係をもった「ぼく」は異分子として嘲笑やスキャンダルの的となるし、船内の間では男女の接触禁止令が出されてもいたのである。

そして「ぼく」はといえば、秋子への思いを綴った日記にはこう書き付けていた。

それでいて、ぼくはあのひとの指先にさえ触ったことはないのだ。むろん触りたくはない。触るとおもっただけで、体中の血が、凍るほど、厭らしい。なぜだか、はっきり言えないが。(十)

また、船で秋子を見たときは「ぼく」はこう感じる。

と、自分の靴先きをみるともなく見詰めていたぼくの瞳に、あなたの脚が写ってきました。海風が、あなたのスカアトをそよと吹く、静かな一瞬です。短かい靴下を穿いていたあなたの脚に生毛がいっぱいに生えているのがみえまし。そのときほど、毛の生えた脚をしているあなたが厭らしく見えたことはありません。(二十一)

「ぼく」にとっては秋子への片思いは、「少女」との「童話の恋物語めいた」ものであり、また彼女を周囲が「汚れた眼鏡」で見ることに憤慨していた。秋子の身体は少女のようにいまだ性的成熟がなされていないものとして扱われる。それは、秋子の「毛の生えた脚」に見られるような成熟性の否定であり、彼女の身体への「ぼく」の性的嫌悪を露骨に語っている。

こうした女性嫌悪はしかし、「ぼく」にとっては少し違った意味に見えるときがある。アメリカのベニスで日本選手が観光をしていたとき、前方のバスに乗った秋子が窓からこちらを見やる場面である。

 硝子窓に潰され、凹んだ鼻をしているその顔がまるで、泣きだしそうな羞恥に歪んでおり、それを堪えて、友達と笑い合っては、道化人形を踊らせ、あなたは、こちらの注意を惹こうとしていました。恐らくぼくを笑わそうとして、無理におどけてみせてくれるのだと、ぼくは考えあなたの故意とらしさが悲しく、あなたに似合わない大胆さが苦々しくて、ぼくにはそのとき、あなたが大変、醜くみえた。
(…)ぼくは一体、人目を憚かったのか、それともそうしたあなたが嫌いだったのか、それも判らぬ複雑奇怪な気持で、どうでもなれとバスに揺られていました。気の弱い、我儘なぼくも厭だったし、あなたも厭だった。(十九)

「ぼく」には、いつもは明朗ではっきりした態度を取っていた秋子の顔が、このときばかりはわざとらしさを残した道化のように見える。「ぼく」はそれに失望して「醜く」見えた。それはもちろん「ぼく」がかつて好意に思っていた秋子の顔とは似ては似つかぬものだったからである。しかし、ここでまた同時に感じている自らの気の弱さや我儘は「ぼく」にとっても「厭」なものとして意識されていた。それは当然、孤独癖を抱え内省に耽る「ぼく」の姿である。ここで、「ぼく」と秋子は鏡のように向かい合っている。「ぼく」にとっては秋子の姿が嫌悪する自分の姿に見えたのである。ここには、女性嫌悪の裏側に張り付いた「ぼく」の自己嫌悪が透けて見える。ここで示唆されているのは、「ぼく」が秋子に感じていた女性嫌悪の正体は、「ぼく」の自己嫌悪だったかもしれない、ということである。

また、秋子の行為や心情を判別できない「ぼく」の「複雑奇怪な気持」は、手記の最後に書かれていた「あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか」という言葉とも遠く響き合っている。ここで「ぼく」が突き当たっているのはどちらも秋子にかかわる謎だからである。「ぼく」は秋子の本当の気持ちを推し量ろうとする。しかし、それがいままでの内省的身振りと異なるのは、その謎のありかが本当は自分自身にあるのかもしれないと「ぼく」自身が気づいていることである。この自己嫌悪に出口はたぶんないだろう。しかし、それでも女性嫌悪をわずかに相対化してみせる意識に「ぼく」は思い当たっているのである。

†作家になること

もちろん、こうした自己反省の意識が示されていたからといって、それで直ちに「ぼく」の感傷や堂々巡りの内省が消えることはない。センチメンタリストであり文学少年であった「ぼく」のこうした身振りは、感傷的な自己と、それを無条件で救ってくれる他者としての女性とを身勝手に結びつける最悪の文学趣味という批判もあるだろう。そしてその批判は正当なものであり、この小説がそれを逃れることは許されないだろう。

しかし、それでもこうした「ぼく」の自己嫌悪を安全な内省だけでなく、それを通して自己を異化してみせる、世間に対する「告発」なのだとする解釈が一定の強度をもつのも事実なのである(高見順「心情の論理——文芸時評」『文藝春秋』昭和十五年・十月一日)。ではその解釈は果たしてこの小説に対してどのような意味を持っているのか。

ここで「ぼく」がこの手記でたびたび、書こうとして書けなかった言葉の存在にいくつも言及していたことを思い起こしておきたい。たとえばそれは同郷の「文化学院のお嬢さん」へのラブレターだったりするし、秋子とデッキゴルフで遊んだときの「愉しさ」だったりする。それらは気恥ずかしさだったり、「書けば書くほど嘘になる気」がして記述するのを取りやめたのだった。なぜ「ぼく」は書けなかったのだろうか。それは記述する対象が、自分のなかにある相手への恋心や「本当」の「愉しさ」に関係することによっているのではないだろうか。「ぼく」は心の奥に内発的な「本当」の気持ちを志向するような思考の人物だった。しかし原理的にいって、いくら心のうちに「本当」のことを探し求めてもそれを同定することはできはしないし、それを言葉にすることもできない。ラブレターや「愉しさ」を「ぼく」が書けないのはそれが理由だったのではないだろうか。それは「ぼく」のような人物にとっては、いずれも嘘をついて記述することが困難な対象だからである。

そしてそもそもこの手記の原稿用紙さえも、一度破り捨てられたものだった。しかし、いまそれは完成品として最後まで書かれていた。ならば、この小説に隠された最後の物語は、小説が書けない作家が小説を書けるようになるまでの物語だったのではないだろうか。小説を書くこととは、虚構を通して自己を他者にほんの少し開く試みだといえる。なぜなら、小説にはそれを期待する読者がいるからである。そして確かにこの小説は読者との関係をとても入り組んだ形で取り込んでいた。「オリンポスの果実」のなかには確かに差別的な思想や語る自己に都合のいいような記述が多く紛れている。しかし、それを批判しつつ小説の可能性を開く試みが、読者には託されている。それが「ぼく」がこの小説のなかで賭けた「告発」の仕事だったのである。

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