SciCom in Action: DXとは何か① - 複雑系への適応としてのDX -
マガジンを始めるに当たって,このマガジンに掲載する記事に出てくる概念に関する記事を投稿していきたいと思います.これらの記事は,デジタル化を進めるに当たって弊社の経営陣向けに作成した勉強会資料をベースにしたものです.ビジネスの現場で科学コミュニケーションがいかに機能しているかを知る資料としても参考になるものと思います.
早速ですが,デジタル技術の価値とは何でしょうか.多くの日本のメディアでは,デジタル技術は生産性向上や効率化の手段として報じられているのではないでしょうか.
「オードリー・タンが語るデジタル民主主義」[1]という書籍の本文はこの一文から始まります.筆者も,デジタル技術の価値は人と人を繋ぐことにあると幾度となく指摘してきました.この本の冒頭にそれが記載されていることに驚きました.
人と人が繋がると何が起きるのでしょうか.ここで重要になってくるのが,社会全体を複雑系として見る世界観です.「サイバー文明論 持ち寄り経済圏のガバナンス」[2]には以下の記載があります.
ちなみに,著者の慶應義塾大学教授の國領二郎先生は,筆者の発言を参考になさって下さっているとのことで,著書をご恵贈下さいました.國領先生は,デジタル社会構想会議の委員もされています.
複雑系はいろいろなところで見られ,社会全体が複雑系の様相を強めている21世紀では特に重要な概念になってきていると考えています.
2021年のノーベル物理学賞のテーマはこの複雑系であり,かなり物議をかもしました.
受賞理由となった研究のうちの1つは二酸化炭素濃度の上昇が地球温暖化に与える影響に関するものであり,地球環境はまさに複雑系の代表格と言えます.もう1つの研究は,多数のスピンが互いに相互作用することで準安定状態を無数に有するスピングラスと呼ばれる系に関するものです.スピングラスは非常に普遍性の高いモデルで,こちらも代表的な複雑系と言えます.
余談ですが,スピングラスに類似した甘利・ホップフィールド模型は,人間の記憶の機構を説明するモデルとして研究され,ボルツマシンなどの深層学習の原始的なモデルへとつながっていきます[3].深層学習モデル自体も複雑系と言え,その基礎となるスピングラスの理解は人工知能技術の発展にも深く関わってきます.深層学習モデル内部には準安定状態が無数に存在し,それがカオスの淵[4]と呼ばれるような秩序と無秩序の境界付近にシステムを留めることに成功しているように見えます[5].このカオスの淵という概念が,DXにおいても重要になってきます.詳しくは,続く投稿で説明します.
複雑系においては,長い時間スケールでの予測が非常に難しく,多くの場合,予測は役に立ちません.それではどうすればよいのでしょうか.複雑系をなす環境の中で非常に長い年月にわたって存在し続けてきたシステムが地球上には存在します.生物システムです.複雑系の代表格である地球環境を生き抜いてきた生物に目を向けるのは自然なことです.ひとことで言えば,複雑系を生き抜くためには,予測から適応へと発想を変えていく必要があります.
適応というのは,上記の④に近いものです.筆者が進めているビジネスプロセスの自動化に係るプロジェクトでも,可塑性(変化のし易さ)と安定性とを両立させることで外部環境に対して適応的なシステムを提供することを目的にしています.
誤解され易いのですが,変化しない安定なシステムは一見よさそうなのですが,生物では死を意味します.生物は,変化しながら安定を維持しています.この変化しながらというのが,複雑系に適応して生き抜くためには本質的に重要です.それでは,変化と安定を両立させて適応力を高めるためにはどうすればよいのでしょうか.
「DXとは何か②」に続きます.
大野和基, "オードリー・タンが語るデジタル民主主義", NHK出版新書 (2022).
國領二郎, "サイバー文明論 持ち寄り経済圏のガバナンス", 日本経済新聞出版 (2022).
田中章詞, 富谷昭夫, 橋本幸士, "ディープラーニングと物理学 原理がわかる、応用ができる", 講談社 (2019).
Stuart Alan Kauffman, "自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則", 筑摩書房 (2008).
甘利 俊一 (2017), "もうちょっとだよなー,ディープラーニング", 人工知能 (32), 827-835.
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