2024.6月 ② 貧乏のススメ
物価高が家計にひびく昨今。(痛すぎる)
手持ちの現金1000円以内でお買い物しようと、娘とドラッグストアへ。
あれこれ買い物かごに入れようとする娘に、「今日は1000円しかないから、こんなには買えないの」と説明し、一緒に計算しながら再度品定めする。
すると、いつもの調子で買い物が出来ないことに疑問を抱いた娘が、
「うちって、貧乏なの?」
と聴いてきた。
「うーん、どうかな。あなたはどう思ってたの?」
ときくと、「普通だと思ってた」と。
それが面白くて、夫にもそのやり取りを話した。
すると夫は娘に、
「そうだよ。うちは貧乏なんだよ。恵まれているだけで。」
とドヤ顔で伝えていた。
(ドヤ顔って死語?)
元々、「貧乏でなければ人はダメになる」と、ことあるごとに発言する夫。
はじめてこの言葉を聴いた時は、結婚後だったので、「あれ?私の人生詰んだ?」と嫌な想像が頭を駆け巡ったものだった。
思い返すに、私がはじめてお金の使い方を真剣に考えたのは、大学生の頃。
親元離れてはじめて、自分の今ある生活費でいかにして生きていくかを真面目に考えたのは学生の時という人も多いのではないだろうか。
アルバイトをはじめ、お給料をもらうようになったのも、はじめて働く経験をしたのも、学生の時。
生活費が尽きた月末とか。
欲しいもの買っちゃった給料日とか。
先輩やバイト先の上司にご飯をたかったり。
はたまた自炊で料理の腕をあげたり。
この頃の、お金を使うという経験(沢山の失敗の屍!!!)や、お金がない!ピンチ!という感覚が、今の生活にとっても活きていると思っている。
この資本主義社会において、お金がある人が力を持ちやすいっていう現象があると思っていて。
でも、力を持たないことによって得られる経験や、その時の感情が、自分の助けになってくれることって多い。
悲しい思いをしたとか、やるせないことがあったとか。
どうしてもやる気が出ないとか、周りばっかり頑張ってる気がして辛いとか。
貧乏ってみじめな気持ちになることも多いけども。
それをバネにして頑張って生きていくというのではなくて。
そういう色んな状況にある人の気持ちが分かる。
人にはそれぞれの事情ってもんがあるんだよ。と一線をおきつつ寄り添える。
そういう能力って大事なんじゃないかと思う。
夫は、貧乏という事と並べて、「恵まれているだけで」と言った。
これもまた、重要な視点。
自分が働けていること。
雨風しのげる家で住めていること。
周囲の人がよくしてくれること。
趣味があること。大切な人がいること。
こういう、有形無形の様々な恩恵にあずかりながら、生活出来ているという自覚があるということなんだろう。
だけど、それを変にへりくだる必要もなくて、ただ淡々と生きているだけで、そういう様々な恩恵を与え与えられ、影響しあって存在するのが人間ってことなんだと思う。
それをたまに思い出すと、意外と自分の支えになってくれることってある。
この本にも出てきたけど、所有しているお金の量と生活の質が、必ずしも比例しない時代になりつつある。
つまり、生活の均一化が起こって、お金持ちも貧乏も、意外と生活レベルが変わらないということ。
夫のように「貧乏がいい!」とは断言できないけれど、お金に踊らされすぎない生活は出来たらいいな。というのが今の考え。
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