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組組胙図形 2024/07/30

 16時起床。この時間まで細かに起きてはいたが起きるたび暑さにうんざりしてそれらを感じたくなく無理やり眠った。

 適当にシャワー浴びて適当に化粧して場所。
 作品を梱包した。予想していた5倍くらい時間がかかった。
 明らかに私のことが嫌いなんだろうなあとわかる方々と同じ場所で制作していてたまにこっそり傷つくけど、別に、私も、全然好きじゃないしな……と思ってお互い様だと思うようになった。

 全ての自販機をチェックしたり通るコンビニ全て訪問したりしつつ帰宅。
 ファミマでねるねるねるねゼリードリンクと生カヌレなんとかを買い帰宅。

 図形の食べ物は良い。
 しかし最近色々なものを食べすぎている。しかも人と食べる時以外は大抵菓子類しか食べないのでだいぶやばい、食べているのに体が動かない。当たり前か。
 食生活ってどうやって戻すんだろう。

 帰宅後1時間くらいで寝る。2時間後に起きる。コンタクトしたまま2日連続で寝た。目が痛い。もう少し気を使ったほうがいいな。
 目を瞑ったまま日記を書きたいのに、目を瞑ったまま日記を書くことはできないから悔しい。
 絵も同じ。目を瞑ったまま絵を描きたいわ。目を瞑ったままでもその時進行形で描いている線が見えて、目を瞑ったままそれを見て続きを描きたい。頭だけ繋げてほしい。

 大事だと分かったことを、やっと分かった感覚を、わざわざどこかに共有する必要はないらしい。だけどねー書きたいから書くね。
 高校生の頃は、美術(作品)が他者との関わりの中で初めて美術になるなんて理解してやらねーよ!と思っていた。自分が描いて描き終わったらそれでもう作品じゃないのかと思っていたけど、ちゃんと違うわ、と今は思っている。
 片反(くっつけて読んで!)は、自分が何を思って描くかということ以上に、自分が描いた線や要素がどのように出るか考えながら描くことのほうが大切で、それを考えることが結果的に自分が何を思って描いたかがより伝わりやすくなると分かり始めている。工程上、どうしても画面が整理されていくから、感じたことだけで出来上がる画面のことを考えずに描いていると、予想とは違った画面に仕上がる。描く瞬間より後の画面を考えることは、他人が見たらどう感じるかを考えることとほぼ同じだ。
 私はできるだけ何かに見えないように描く。何かに見え始めたらあえてそれを避けて線を引くし、描く時考えていたことが画面から分からないように仕上げるけど、今引いた線はどう出るかな〜ということはきちんと考えながら描いている。どちらかといえば質素な画面が好きだが、描画の際に質素にしてしまうと過程でさらに整理され、仕上がりは質素すぎる物足りない出来になってしまう。だから描画は少しやりすぎたかと思うくらいまでやった方がいい。でもそこの調節が難しくて、ミスる。たのしい。
 仕上がりの結果がわかるまでに時間がかかりすぎるのが金同片反の難点だ。描画した後、腐らせて、インクを詰めて、刷る。こう書いたらさっさと終わりそうだけど全然違うのよ。半日くらいかかる。ながーい!この長いのを経て大抵もう一回描画に戻る。けどさやっぱり、インク詰めている間も楽しいし、刷り上がる瞬間は静かな胸の高鳴りがあるし、どうしてもこれをやめたくないんだよな。金同、高いけど。
 他人がどう見るかということを気にすることができるようになったのは片反のいろんな特性を私が若干理解し始めたからだとなんとなく感じる。自分の引いた線がより生き生きと出るように紙も変えたし、バインダーみたいな液体も変えたし、描画方法も、色も変えた。絵画だと私はこの工夫を考えることが苦手だった。画面がどうこうより自分が何を考えて描くかの方が圧倒的に大切だった。この描画はこういう意味だからこのくらいじゃないとダメだーとか思っていたけどそれこそ他人がわからないと意味なかった、ということに全然気付かなかった。
 いろんな人が私の作品にコメントをつけてくれる機会があったが、何も考えず何にも見えないように描いた作品について、航海図みたいだというコメントがついていて、本当に嬉しかった。何かに見えないよう描いたものが他人の中で何かに見えたんだから本当に嬉しかったな。ここでやっと、描いたことや制作したこと自体に意味が生まれるんだと体感した。
 講評で、このような感覚を持ち始め制作した作品をの気に入っている昔のドローイングと共に出したが、そのドローイングを見た先生に「気に入ってるんだねこれ、でもこういうのをやっと片反でできるようになってきた」と言われて、分かってもらえて嬉しかった。分かってもらえるの、嬉しすぎだろ!
 大量ドローイングをやって以降絵のことを考える時間が圧倒的に増えた。ふとした時、気づいたら絵のことを考えている。半年前は絵のことを考えたくなかったし考えたとしてもそれ以上考えないようにしていたんだ。
 自分が好きな自分の絵ってこれ

くらいしかなくてこれ以外はほぼ全部嫌いで認められないくらいでもあったんだけど、最近の作品は割と、これに似てきたような気がする。
 以上、分かりかけている現在のこと。変わる可能性大、変われ。変わるなら。
 ここまで書いたけど、文章として人に伝わるように感覚とかを言葉に置き換えて書いていくことって本当に難しいな。自分の頭の中にあった感覚の方が書き変わっていくような感じがするわ。怖い。

 昨日の昼間、異性と2人で昼食を食べに行ったんだけど、明らか友達希望ではなかったな。友人にも距離近すぎるタイプかなと思ったけど、そもそも友人になりつつあるという未だ途中の関係の人だし、そのような関係の人の日傘に入ったり急に手首を掴んだり服を触ったり、しないな多分。なんかもう20歳超えたら普通に友人ってできない感じでしょうか。今日もなんかすでに電話をかけてきていた痕跡があり、マジで?と思った。寝たすぎて通知だけ見て即寝てしまったけど。
 「*期終わった記念でご飯いきませんか?」「仲良くなりたいです!」というようなメッセージで誘われたんだけど、これを断ったら仲良くなりたくないですと言い切ってしまうようで、それはできないので行った、が、これってもう友人として仲良く……とかの気持ちではなかったのかもしれない。
 これに行って明確に分かったけど、私今全く「より親しい関係の人」が欲しくないんだ……。自分でも少し驚く。いやわからない、訳わからない距離感で脳がダメージを負っただけかな。でもなんか 多分絵の方が好きだな、今。

 展示を家族が見にきてくれる日に一緒にビュッフェに行ってから一緒に展示に行く予定なんだけど、すでに緊張している。無理、ビュッフェの味より豊かな刺激を与えられる気がしない。綺麗って思ってないのに綺麗って言わなくていいから綺麗って言えないからってすごいねとか言わなくていいから普通に何もコメントしなくて大丈夫だからって50回くらい言ってから展示に行きたいがこんなこと言うのは人の感性や何かに対して失礼かな。

 絵のことが若干整ってきているから自分自身もそうなるのかと思ったらまた別で、自分自身は最悪だ。

 今4時46分なんだけど、蝉鳴き出したよ。

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