Cafuné

見慣れないその姿は私の脳に電撃を走らせる。

待ち合わせの駅の改札口に立つ彼女は髪の毛を解いていた。

衣服の胸元の部分が全て隠れてしまうほどの丈と毛量。
激務から身を置きメンテナンスできたのだろうか、最後に会った時よりいくらか艶が増していた。

「お疲れ様です」「お久しぶりです」「またお会いできて嬉しいです」
事前に用意していた言葉はいくつもあったがそれらは全て頭から吹っ飛び
「髪の毛解いてる!!美しい!!!」
という本能むき出しのカッコ悪い第一声で寄り合いが始まってしまった。
そんな私のダサい第一声に彼女は少し照れ笑いし、居酒屋へと足を運び始めた。

何とも云えない好い匂の金色の蕊に惹かれる罪人のように、気がつくと手が伸びていた。
対面して五秒で私は彼女の髪の毛に指を通していた。
彼女は拒まなかった。

つやつや、さらさら、ふわふわ、いい香り。
五感を直に刺す魅力的な感覚に指はどんどん吸い込まれていった。

早くも気がおかしくなりそうだったが「これはまずい」という危機感のもと何とか理性を働かせ髪の梳く手を離すことができた。
助かった、と思った。

その直後「そろそろ結びたい...」と言いながら彼女は手首からヘアゴムを取り出し髪の毛を結んだ。

その姿を見て、ある記憶がふと私の脳をかすめた。



数ヶ月前、労働の帰りに彼女と総武線津田沼行きの電車を待っていた時、私はあるお願いをした。

「髪の毛、解いてみていただきませんか?」

職場の下っ端のそんな突飛なおねだりに

「いきなりなんで!?意味わかんない!」
と彼女は戸惑った。

労働後のアドレナリンに包まれていた私はそこで引き下がらず「いいから、見せてほしいんです」としつこく嘆願した。
私の謎の熱意に彼女は折れ、おもむろにヘアゴムに手をかけ、渋々その髪を解放した。

自由を取り戻し波のように広がりゆく髪の毛。
ただただ美しく、崇高であった。

「髪の毛の量が多くてさ...」など言う彼女の言葉すら耳に入ってこないほど私は解かれた髪の毛に釘付けになっていて、無意識に手を合わせていた。
その限界オタクっぷりを見て「意味わかんないし!」と赤面する彼女。
見た目は親子のようであるが、子と思しき人間が赤面する親らしき人に向かって合掌する、そんな混沌とした状況を見て誰が親子だと思えようか、いや、誰も思えない。(反語)

ひょっとして、彼女はこのことを覚えていてくれていたのだろうか?
もしかしたら、それのためだけに解いていてくれていたのか?
そう妄想した途端、幸福の嵐が私が襲った。
そこからの数分間は気が気でなかった。

一瞬のことであったが、いまだに私の思考の第一線を駆け巡る思い出である。

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