贈詩

某親友の先生との触れ合い譚(?)を拝読し、
ある詩篇が思い起こされた。





薬缶だって、
空を飛ばないとはかぎらない。

水のいっぱい入った薬缶が
夜ごと、こっそり台所をぬけ出し、
町の上を、畑の上を、
また、つぎの町の上を
心もち身をかしげて、
一生けんめいに飛んで行く。

天の河の下、渡りの雁の列の下、
人工衛星の弧の下を、
息せき切って、飛んで、飛んで、
(でももちろん、そんなに速かないんだ)
そのあげく、
砂漠のまん中に一輪咲いた淋しい花、
大好きなその白い花に、
水をみんなやって戻って来る。



入沢康夫の「未確認飛行物体」だ。



真夜中にこっそりと家から抜け出す薬缶。
水を躰にたっぷり溜め込み、
遠く離れた砂漠に咲く花のもとへ
無我夢中で飛んでゆく。

彼らの間に
「遠くから来たんだよ」
「たいへんだったでしょう。ありがとうね。」
とか
「遅くなっちゃってごめんね」
「寂しかったよ」
なんて会話は存在しない。

ただ毎夜 水をやる、水をもらう、
それだけの交流なのである。



決して見返りを求めない。

そのようにも汲み取れる薬缶の姿勢は、
毎日子どもと向き合う親友の愛情と、
そして 自分によく似た教え子を
癒し、救い、時には悩ます先生の愛情と
重なった。

本当の「愛」とはこうも眩しいものか、と
思わず笑みを浮かべてしまった。



不即不離、形影相同。
二人の絶妙な距離感に
もどかしくなることも多いが、
これが彼らの「ベスト」であるならば
野暮な煩悶なのかもしれない。



何はともあれ、「愛」を以て
私の心に良質な甘味とスパイスを
与えてくれる彼らには、
「未確認飛行物体」を贈りたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?