古参ヅラ

高校生最後の早春。
部活帰り、昼に残したおにぎりを食べていた私の前で多忙を極めていた友人はあるヒントをこぼした。

「〇〇△△の原稿が終わらない!」

〇〇△△の...“原稿”......?
駅からぼーっと歩いても、帰路につきお風呂に入っても、布団に入って眠ろうとしても、その言葉は頭を駆け回り続けた。

我慢ならなくなり、暗がりの中ブルーライトを浴びながら“原稿”の正体を突き止めようと特定の手を必死に動かした。
そして、一つの二次創作漫画が検索にひっかかる。

私は絵柄に強い既視感を覚え、呟いた。
「あの子の絵じゃん」
友人は同人誌を描いていたのである。

美術の授業で、廊下に掲示された修学旅行パンフレット優秀賞欄で、身内向けのSNSアカウントで、私は何度も彼女の作品を見てきた。
ただぼんやり見ていただけじゃない。
全体の構成も、細部の色味だとかこだわりも、穴が開くくらいに見てきた。
だからこそ、同人誌の既視感の強い絵柄を見てすぐに彼女の作品だと気がついた。

新作を眺めたのち、私は
「参った!」と思った。

何度目の降参だろうか。
分からなくなるほど、私は今まで幾度となく彼女の絵、彼女の才能に白旗を上げてきた。

私もそれなりに絵を描くことに執着してきた人間だったし、
「もう少しマシな感想を言えないものか」と考えたこともあったが、彼女の作品を前にするとそんな些細な思案は吹っ飛ばされてしまっていた。

大きな才能を目の前にして、私はある種失念というか、諦めを覚えてしまったのかもしれない。

(仲が悪くなったわけではないが)しばらくの間何となく彼女と疎遠になっていた時期があり、私はその気持ちをすっかり忘れていた。
というよりも、どこか心の隅に押し込んで蓋をしていたのかもしれない。

そんな硬く閉めた蓋もその晩に決壊し、私は彼女の絵描きアカウントの投稿を遡った。
中にはいいねが5桁に達した、いわゆる万バズの作品もあった。
見覚えのある、それでいて絵柄の洗練が見られる作品群に胸が熱くなった。

窓が明るくなり、作品全てを見尽くした時、寝不足で重たい身体とは裏腹に心が軽くなっていることに気がついた。

彼女の作品を見て抱いていた降参の意に付随していた
「もっと彼女の才能が周りに認められたらいいのに!!」
というおこがましい願望が叶って、私は不思議な安堵と幸福感に包まれてしまったのである。
自らの薄汚い古参ヅラが発覚した悲しい瞬間でもあった。

それからしばらく経ち友人の投稿はぱたりと止んでしまった。
その界隈で絵を描き続けるモチベーションが衰えてしまったのか、単に忙しいか、理由は分からない。
本人に直接問うのも野暮な気がするので、また別の界隈でその才能を発揮していることを願って密かに応援し続けようと思う。

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