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多様性という言葉の独り歩き

皆さんは今月6月がPride Month(プライド月間)だったということを知っていましたか?

欧米の様々なクラブや企業がPride Monthで行っている取り組みを見ると、圧倒的に日本は'多様性'に関して遅れているなと感じます。(記事の写真と、このInstagramは私のチームOL Reignの取り組みです。)
きっと、欧米ほどLGBTQIA+や、トランスジェンダーの問題が日本では大きくないし深刻では無いからという理由からだと思いますが、それが日本の大きな問題であり、まだ日本の多くの人はこの問題に対して向き合おうとしていないというのが現状だと思います。

私自身もアメリカに行ったから、色々な世界を見たからと知った気になるつもりは無く、まだまだ私も知らなければいけないこと、向き合わなければいけないことが沢山あるので、今回は皆さんと一緒に、まずは’多様性’について考えていけたらなと思います。

 

まず、タイトルに「多様性という言葉の独り歩き」と書きましたが、’一人歩き’と表現をするのか、’独り歩き’と表現をするのか、悩みました。
まだ私を含め日本の多くの皆さんが’多様性’に対して向き合うことが出来ていない、そして'一人'は人数を事実として表現をするときの言葉、’一人’でいることに感情を付け加えるとしたら’独り’と考えると、きっと’多様性’は一人でいることに対してどこか寂しさを感じているのでは無いかと勝手に想像をしたので’独り歩き’と表現をしてみました。

きっと、「多様性とは何か?」と問われると、ハッキリと’多様性’を表現する言葉を並べることが出来る人、多様性が何なのか、多様性をどうしていきたいのかを明確に、鮮明に答えることが出来る人は少ないのでは無いでしょうか?

私自身も答える事が出来ない人に分類をされると思いますが、それでも日本という国を飛び出して、今漠然と日本が目指している’多様性’の世界(アメリカ)を見て来ました。代表期間中には海外組の選手とこのテーマについて話をしましたが、「パートナーはいるの?」という聞き方であったり、同性カップルが子供を授かること、それに対する制度など、欧米の国々では’多様性’が受け入れられていると強く感じています。

そして、日本が’多様性’の問題点として議論しているところと、欧米が’多様性’に関して議論しているところは少し次元が違うように感じます。
(この記事に書かれているSHELLYさんの思い、とても素敵だなと思いました。)

私の所属するチームには、同性愛者、トランスジェンダー(FtM:女性から男性へ)の選手がいますが、チームの中で、そして日常の中でも、この性的指向や自分のありたい姿だけでは無く、肌の色や宗教、国をも超えて、全ての人が受け入れられているなと感じます。(もちろん、アメリカでは多様性が受け入れられている一面の裏側に、いまだ根深く残る差別の問題もあるので、私がいる環境がそうであったというだけかもしれません。)

なぜ受け入れられるような空気を感じることが出来るのだろう?
多様性とは相手を’理解すること’であると考えるとすると、ここにいるチームのみんなはお互いの事を理解し合っているのだろうか?
理解するって難しいな。

そう思っていました。

でも、どこかで、’多様性’とは相手を’理解しなければいけないこと’と思い込んでいたことに気付いたとき、「あ!理解しなくても良いんだな」と自分の中で’多様性’に対して腑に落ちたものがありました。

理解をするということは、相手のレンズで世界を見て、相手の世界を知ることであり、相手と同じような感情や経験が分かるということ。
しかし、これは簡単なことでは無いです。
例えば、同じチームでずっと育ってきた仲間(強烈な同期たち)と見える世界は、多少の違いはあれど、仲間のレンズを通して世界を見ることは出来るかもしれません。(細かく言うとレンズが似るため、見やすくなるような感覚)
でも、’多様性’を考えるときに相手となる(ほとんどの)人は、どのような人生を歩んできたか、どのような経験をしてきたのかなど、全く知らない人たちになると思います。もちろん、身近にいる場合もあるかもしれません。

例え身近にいる人でも、遠い存在の人でも、決して自分のレンズで見る景色が正解ではありませんし、不正解でもありません。

そんなことに気付き始めたとき、「多様性を受け入れる」という表現にどこか違和感を感じていました。なぜなら、そういったメッセージを発信する側が、常に自分達は’受け入れる側’だと言っているように聞こえたからでした。そして、自分もその一人だと、ハッと気付かされました。

’多様性’を受け入れる、理解するので無く、'多様性'を知る向き合う寄り添うと考えることが出来れば、自分が/他人がマジョリティ/マイノリティと考える必要が無くなったり、自分が/他人が受け入れる側/受け入れられる側という形が無くなるのでは?と期待を込めて、感じています。

 

まず、目の前にいる相手、家族、友人、チームメイト、同僚に向き合い、自分のレンズの正解/不正解を取り除き、相手を知ることから始めてみませんか?

Love is love. Happy Pride today and everyday 🏳️‍🌈🏳️‍⚧️
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