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6 シンプリスト生活

「またミニマリスト系?」と思われるかもしれませんが、そうです。
今回は「シンプリスト生活」です。

以前に紹介した本は、ミニマリストしぶさんの著書「手放す練習」。

私はこの本の中から‘余白をつくることの大切さ’に焦点を当て、サッカー選手としての余白とは何か?を書きました。

今回は、普段動画を見させてもらっているTommyさんの初著書。

Tommyさんはデザイナーということもあって、照明の置き方、光と陰の作り方、またインテリアへのこだわりなど、デザインのセンスがとても素敵だなと、いつも動画を参考にしようとしてはできない、というサイクルを繰り返しています。

そして「北欧雑貨はおしゃれ」というざっくりとした認識しか私は持っていませんでしたが、Tommyさんが使っているデンマークの椅子のストーリーを聞いて、せっかく自分はスウェーデンに居るのだから、触れられるデザインにはたくさん触れなきゃ!と思わせてもらったきっかけも頂きました。


そもそも、なぜこんなにもミニマリストやシンプリストに私は興味をそそられるのか?

それは様々なモノやコトの量が過剰になり、それらがどんどん更新され入れ替わる現代のスピードに自分のキャパシティが追いついていない。でも自分の時間、スペース、パワーは有限だから、‘色々なものが溢れるこの世の中で自分は何を大切にしたくて、何に囲まれたいのか’を考えることに向きあいたい、と感じているからだと思います。

皆さんはこのカオス的な時代を生きる中で、どのように取捨選択をしていますか?


私はこの本の中で、Tommyさんが書いていたこの表現がとても好きです。

「詰まってはいないけれど満たされていて、退屈だけど美しい、そんな時間です。」 - 『シンプリスト生活』Tommy

色々なものが溢れかえっている日本からスウェーデンへ移動すると、「足りない」と感じる程スウェーデンには何もないです。
嘘です。あるはあるんですけど、日本の都市で生まれ育った自分からすると、落差が激しすぎて何も無いように感じるということです。そして‘あるもの’がそもそも違います。

でもそんな国で生活をしていると「あれって自分の人生において本当に必要だったのかな?」という視点で自分の生活を振り返ってみたり、自分の五感を使って自然を思いっ切り感じてみたりすることが多くなりました。

大体は無くても成り立つんですよね。
物質的なモノはもちろん、自分の思い込みや固定概念、常識も含め、無くても大丈夫なことがほとんどです。

どんどん手放していこうと思います。


そして、この本を読んでもらった新たなきっかけが「美とは」「アートとは」という視点。

「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える」 - 『陰翳礼賛』谷崎潤一郎

本の中でも引用されている谷崎潤一郎さんの『陰翳礼賛』の一文ですが、「美」と感じるものには光も陰もどちらも必要で、対極にあるものが生み出すものが「美」である、と。とても美しい考え方だなと思いました。

また、この「美」に対しての新たな視点に出会ったあとに、佐川美術館で開催されている『ピカソ展』に足を運んできました。

その展示では、ピカソが活動を始めてから亡くなる3年前までの作品が年代別に展示されていて、時代背景やピカソの人生の背景を同時に知りながら作品を見ることが出来ました。

その中で私がとても面白いなと思ったのが「キュビズム」という技法。

それまでは一つの物体を固定された一つの視点からしか描いていなかったものを、一つの物体を多角的に見て、それを一つのイメージに統合するという技法が「キュビズム」です。

つまり、見えていなかった、または光が当たっていなかった‘陰’の部分が‘光’の部分と並んで新たな形で描かれているのです。

正直、アートを見る目はまだまだ養われていないので、「なんでここがこうなってるんだろう」と?がたくさん浮かんだ状態で展示を見終えました。

しかし、自分が持っていなかった視点に触れて、その上でまた自分が触れていなかったものに触れて「なんで!」が増えるばかりなんですが、それが凄く楽しいです。

数年前までは、自分が芸術を楽しめるなんて思ってもみなかったな。

と、少し脱線をしてしまいましたが、今の時代に息苦しさを感じている人や、人間関係、モノ、コト、考え方など自分のキャパシティを越えて来ちゃっているなと感じている人、是非読んでみてください。

閉館のお時間です。
本日もご来館ありがとうございました。


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