佐藤健寿氏に憧れて、ブルガリアの旧共産党ホール「Buzludzha monument」に行った話
Buzludzha monumentとは?
Buzludzha monumentは1981年のソ連の衛星国だった時代に、ブルガリア共産党によって建てられた旧共産党ホールです。シプカという小さな町の峠に建てられており、突如現れる UFOのようなコンクリートの塊は多くの人を魅了し、特に廃墟マニアの間で話題となっているようです。特に日本ではTBSのバラエティである「クレイジージャーニー」にて、写真家の佐藤健寿氏が取り上げたことで大きな話題となりました。私は彼の旅に魅了され、いつかここを訪れてみたいと思い、今回遂にこのBuzludzha monumentに行くことにしたのです。
なんでこんなところに?
上記の通り、Buzludzha monumentは標高1,432メートルあるシプカ峠の山頂に突如そびえ立つ建造物です。なぜそんな場所に巨大なコンクリートの塊、しかも共産党のアイコンのようなものを建てたのでしょう。余談ですが、このBuzludzha monumentがあるシプカという町は本当に小さな田舎町で、決して多くの人の目に触れるような場所ではありません。そんな田舎町かつアクセスの悪い峠の上に建てたのには2つの理由があります。
1つは、「共産党の力の象徴として、山頂に巨大な建造物を建てた」ということ。実際に行ってみると感じるのですが、Buzludzha monumentは本当に大きくて迫力があります。今は経年劣化や建材の盗掘により廃墟の中の廃墟のような見た目ですが、建造当初はこの大きさに加え銅などの装飾も多く、本当に美しい建造物だったようです。そのため、これだけ大きく装飾された建造物が山の上に建てられていること自体、大きな力の象徴となり得ました。
2つ目、シプカという小さな田舎町に建てられた理由はここがかつて「露土戦争最大の激戦地であり、オスマン帝国からの独立を果たすことができた要衝であるから」です。約500年にわたりブルガリアを支配していたオスマン帝国に対し、ロシアが「オスマン帝国に抑圧されているスラヴ民族の救済」を名目に宣戦布告。2000人のロシア兵士に加え、5500人のブルガリア義勇兵が参加し38万人のオスマン兵を相手に攻防し、見事要塞を死守。当時の戦いは悲惨を極めたと言います。そのような歴史的に重要な意味を持つシプカ峠にBuzludzha monumentを建てることは当時の共産党にとって大きな意味を持ったのでしょう。
いざBuzludzha monumentへ!
それではいざBuzludzha monumentへ行ってみます。車で15分ほど山道を進むと突如山頂にBuzludzha monumentが見えてきます。このシーンは例の「クレイジージャーニー」でもみたのですが、やはり実物が突如現れると本当に驚きます。
そして本当に風が強い。峠の上は非常に風が強く、冬は雪も積もっているため、できるだけ防寒をした上で靴はブーツを履いて行くことをおすすめします。夏のBuzludza Monumentは問題ないとのことですが、私が行った冬の時期(12~3月)は普段雪が積もっており、なかなか行くのが難しいこと。私が訪れた時は3日連続で晴れており、行くのにラッキーなタイミングとのことでした。
500mの雪山を越え、目の前へ
普段は目の前まで車道が続いているそうですが、今回は雪に覆われて行けないとのことで、500mほど徒歩で向かいました。
10分ほど歩くと、遂に目の前に到着!やはり目の前でみるとその大きさと力強さに圧倒されました。
横幅の広い階段を登り入口の前に立つと、吹き荒れていた強風が壁に遮られ、突然シン、、とした空気に。抜きが完璧すぎて少しびっくりしました。
入口の両サイドには、共産主義最高!のような内容が書かれているとのこと。入口は長い間封鎖されているため、侵入禁止になる前も入口としては機能していなかったみたいです。文字は歯抜けになっており、今でも落ちてくる可能性があるため少し離れた場所から見物した方がいいとガイドが言ってました。
数十年前はもっと綺麗な状態で保存されていたそうですが、入口にある建造物や天井などいたるところが銅で作られていたため、盗掘の対象になり、現在のようないかにも廃墟な姿になったそうです。現在、天井は全て落ち、窓ガラスは割れています。
入口が開かなくなってからの侵入口となっていた場所は塔の麓にあるこの場所。現在はコンクリートで封鎖されています。
封鎖時期は定かではありませんが、2022と壁に書かれていたため、そのタイミングなのではないかと思われます。かつて観光客のドイツ人女性がここの中に侵入しようとした時、足を怪我したらしく、地元の方が救助しにきたことがあるとのこと。それを機にここの封鎖が決定。現在は中に入ることは禁止されていますが、かつては地元の人もよく中に入っていたとのこと。また、Buzludza Monumentは地下7階まであるそうですが、そのほとんどが水に使っており、一部しか見ることができなかったそうです。
建物からは至る所で水が漏れており、氷柱ができていました。
十分風の強い場所だが、塔の上では地面の7倍ほどの強風が吹いているとのこと。かつては塔の上へ登ることができたそうです。私は高所恐怖症なので想像しただけで身震い。ガイド曰くこの塔の星の部分は特別な素材で作られているらしく、当時はルーマニアと交信ができたらしいです。
現在は地元警察が24時間体制で見張っています。基本的には一人常駐で、12時間交代でシフトが組まれており、待ち時間は特にタスクもないのでひたすら時間をつぶすらしいです。
また、トイレはなくそこら辺で用を足すそうです。
Buzludza Monumentの周りを歩いていると、人間の大きさではないフンをちょくちょく見かけたので恐る恐る真相を警察に聞いてみると、キツネがたまにやってくるらしいので、警察の野糞ではないみたいです。
ガイドの方が教えてくれましたが、ここの警備を開始したのはMonumentの建材である銅などの貴重な物が全て盗まれた後のことらしく、皮肉混じりになんのために行っているのか分からないと言っていました。
余談ですが、日本人もちょくちょくここに訪れるらしく、中に入れて欲しいと交渉しにきた人もいたと警官が教えてくれました。
Buzludzha monumentの現在
Buzludzha Monumentはシプカという小さな田舎町にあるため、なかなか人が来ないかと思いきや、観光客が世界各地から来るみたいで、Buzludzha Monumentはその目的の一つになっています。
夏にBuzludzha Monumentの麓で行われるフェスは4回開催されており、キャンプや音楽、プロジェクションマッピングも楽しめるエンタメ感万歳のイベントになっているとのこと。年々イベントは大きくなっており、世界各地から観光客やボランディアが集まり祭りを盛り上げているらしいです。
テレビで見てから実際に行ってみて
今回行ってみて、とても感動しました。映像や写真ではたくさんみてきたBuzludzha Monumentですが、やはり実物の迫力は全然違いました。また、峠の上で吹き荒れる強風や寒さをもろに受けながらMonumentを見ると、どうやってここにこんなデカいものを建てたのだろう?やこの環境の中数十年形を保っているのはなかなか凄いななど色々な考えが頭に浮かびました。英語がほとんど通じないブルガリアの田舎町で、ここまで行くのに結構大変だったので、そこまでの過程も相まって感動します。旅慣れしていない人にとっては少し行くのが難しい場所かとは思いますが、行く価値はあると思いますので、気になる人はぜひ行ってみてください!
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