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【幸せになるヒント】自由の定義とは

自由ってどんなイメージですか?

最近新たな自由の定義を知りました。すごく良かったので今回はファッションではなくそのことについて書きます。仏教やら資本主義やら言ってますが過激な思想も、勧誘や怪しい話もないので警戒せず安心してご覧ください。

自由の対義語は執着

「自由とは執着から解放されること」仏教の考え方です。
自由というと「なんでも買えて好きなことができること」というイメージがありますが、仏教の考え方では沢山のものを買うことは決して自由や幸福には繋がりません。
「なんでも買える」という心の余裕で「他人を羨む気持ちがなくなり物やお金の執着から解放されること」が本当の自由で幸せな状態とされます。
なのでお金持ちになること自体はあくまで自由と幸福を手に入れる一つの手段であり、理論上はお金がなくても執着を捨てられれば自由と幸福は手に入ります(実際は難しいですが。。。)
逆に執着を捨てない限りお金持ちになっても、稼いだお金で永遠に欲しいものを買い続けるいわゆる資本主義の奴隷状態になり、あまりはた目から見て幸せそうに見えないかもしれません。

昔から人間は執着に悩まされている

執着を捨てる方法は仏教の修業を参照すればいくつもあります。仏教の大きなテーマである「諸行無常」は「永続的なものはないので執着を捨てよ」という意味を含みます。
ネット、スマホが発達してSNS(インスタ、Tiktok等)で他人をうらやむ人が増えたと思いがちですが。仏教の歴史を見るとそのようなメディアが無い時代から人間は執着で悩んでおり(愛別離苦:死や愛する人との関係性等)、人間関係がある以上すべての人に付きまとう問題です。
現状は執着を捨てるテクノロジーからのアプローチはないので、哲学としての仏教が一番この悩みに向き合っている科学であると考えてます。

どうすれば執着から逃れられるか

「コントロールできる範囲である程度の欲を満たし満足する」
私はこれが極意かと思います。仏教の修業ではすべての財を捨てて修行をすることで欲から解放される宗派もありますが、私を含む現代を生きる普通の人では難しい。。
私は浄土真宗の開祖である親鸞上人の伝記(※内容の真偽はわかりません)を読んである程度欲を満たすことを肯定しています。
肉食、女性との接触、酒。。すべてを禁じられた修業を長く続ける中で、それらへの欲求はどんどん大きくなり耐えきれないこともあり、煩悩はどんな苦行をしても死ぬまで消えなかった。と晩年に発言したとされています。
私の読んだ本では、1度修行で煩悩が消えないことに絶望して、禁欲をやぶりそれらを体験したときに「この程度のものか」と感じ逆にすっきりした。というエピソードが強く印象に残っており、これが本質ではないかと感じました。
上を見るときりがないですが、意外と贅を尽くして欲を満たしているように見える人も実際に体験してみるといつかは飽きて「この程度のものか」と思うんだろうな、と感じるようになってからだいぶ気持ちが楽になりました。
この境地に至るには体験も重要で、全くどんな感じか分からない羨ましいものは、実態以上に良いものに思えてきてどんどん羨ましさが大きくなっていきます。さわりだけでも体験できれば「これがよくなってもこの程度かな」と想像できて意外と早く羨ましさが消えます。

資本主義を乗りこなし、消えない煩悩とうまく付き合う

とはいっても、やはり我慢できないのが人間です。そこで私は前段で述べた「ある程度の欲を満たす」という境地に至りました。
資本主義はお金で欲望を解消できる非常によくできたシステムです。狩猟採集時代や身分制度のある時代は力や権力がないとどうしても満たせない欲があったと思いますが、現代はお金があればある程度欲を満たすことが出来ます。
狩猟採集時代であればコミュニティや仲間がいないと娯楽を得る事にも苦労しそうですが。資本主義ではコミュ力ゼロ、仲間がいなくても好きなコンテンツを楽しむこと。コンビニやレストランで好きなものを買うこと、最新の電子機器、自動車を買うこと等、ある程度のものはお金があれば平等に享受できます。
欲望が出てきたら「良いものってこんな感じか」と良さを感じるギリギリのラインまで資本主義の力を借りて欲を満たすと精神が安定します。
例えば、ミシュランの店で食事、高級ワイン飲んでみる、ハイブランドの財布を買ってみる、など。単発で試してみて、好きなら仕事頑張って自分のできる範囲で課金するし、この程度かと思えばそれ以上は羨まない、という感じで完全に禁欲をするのではなく、年1で奮発するとか、経済力に合わせた適度な頻度で欲を満たす。というように、資本主義を乗りこなして制御できている人が一番自由で幸福な気がします。
これが「年収800万を超えると幸せの感じ方が頭打ちになる」みたいな1時期流行った噂の真相で、あながち間違ってないのではないかと思います。それぐらいの収入があると単発でも生活以外の欲に課金できる余裕が出てくるのではないでしょうか。
なのである程度生活に困らず、時々贅沢できる程度の収入があると人生楽しめる気がしてます、私自身も時々意識的に散財しますし、子供には自分の将来の平穏な生活のためにある程度お金を稼ぐと幸せだから勉強頑張れと伝えてます。あと将来欲に溺れない程度の自制心を養ってあげることが大事だと感じています。

とにかく依存しない。。

資本主義は執着心、依存心を利用してお金儲けをしようとしてきます。CMやSNSに操られるのではなく。自分をコントロールして興味のあるものを選択して適度な範囲で楽しむ(バズレシピを試すとか、生活の知恵をためすとか、新しいスイーツ食べに行くとか)。
もしくは、高級時計や豪邸などもっても自分はそこまで幸福ではないかな(宮迫さん総額5000万の腕時計持ってる、、)など。僻みではなく本気で贅沢の限りを尽くしてもそんな幸福度は上がらないかな、これにはお金かけたら幸せを感じそうだな、というのを見極めるためにSNSやCMを利用して体験や情報を得ることが重要かと思います。


これを羨ましいと思うか、でも時間分かるだけだし腕は一本だしな、、と思えるか。執着を捨てる第一歩な気がします。ちなみに私はこんなこと言ってますが、アップルウォッチで機能的に満足しているにもかかわらず新機種買ったり。ロレックスも我慢できず手に入れましたので自分の経済力の中で楽しんである程度満足したうえでまあ100万越えの時計は要らないかな、、という感じです。私には煩悩を消すには適度な散財は必須のような気がしており、そのために働いている面もあり、一種の依存状態ではあります。

それを得たら執着からの解放を目指す。

これは若いうちは難しいですし、若いうちは野心がありギラギラしていた方が活躍できる場合もあるので、コンプラは守りつつある程度欲にまみれて、年を取ってからの方がうまくいく気がします。

親鸞上人ですら死ぬまで煩悩はなくならなかったらしいので、修行もしてない我々は時々自分が煩悩に支配され良くない執着はないかチェックすべきと思います。
マインドフルネスや瞑想が最近だと流行ってるので、それらで時々内省して、自分の中の執着や依存をチェックする。
辞めたい依存や執着があるなら適度に禁欲して本当にそれは自分の人生をよくするために必要か。他に自分の欲するものは何か、手放したら楽になるものはないか。
など適度に自分を客観的に見直し、あまりよくない依存がありそうなら、別の習慣に変えてみるということを私は繰り返してます。

以上

自由の反対は執着という言葉に刺激を受けて書きました。私は家族に執着してますし、洋服は好きなものしか着たくないという執着もあります。
まじめな人にありがちですが、教育などにとことんこだわる→もうメンタル限界→もうどうでもいい!好きにしなさい、もう知らん。で執着から解放。
みたいなパターンありますが。
これは子育てや社会生活の上で、自分はスッキリするかもしれませんが、迷惑まではいかなくても人に影響与えてしまう可能性があるので私はスマートではないと思います。
中庸ということばがありますが、限界が来る前に適度に自分のご機嫌を取る程度に欲と付き合い、自分の経済力で身の丈にあった資本主義のシステム内で発散する。もしくは環境を変えるなど、うまく自分をメンテナンスしてあげるのも大事と思います。
また先ほど書いたように、時々執着や依存してないか内省して、自分の身の丈にあったなりたい自分に近づくように習慣を変えてみる。みたいなことを繰り返していくのが自由への道のように感じています。

これはその通りだと思います。しかしこの国に生まれてこのシステムで生きている以上、組み込まれつつも、うまく利用していると思えることが幸せなのではないかと思います。

そしてお金で得られない物のためにも力を注げれば

残念ながらハーバード大学の研究で、一番の幸福は経済力ではなく人間関係が豊かであること(人数ではなく良好な関係の人がいるかどうか)。という研究結果が出てしまいました。コミュニケーション欲求やコミュ力ない人、友達作るのが苦手な人は幸せになるのハードモードなのか、、と感じました。

社交的でない私にとって、この言説を信じたくないという気持ちもあり、ずっと半信半疑で「ハーバード大学」「大規模調査」といえばだれでも納得すると思うなよ、的なスタンスでしたが。自分がおじさんになり人間としての魅力が落ちてきており(容姿、体力、仕事への情熱、バイタリティ)、ただ存在するだけで肯定されることが少なくなってきたなと感じたときに、非常に孤独感を感じました。
小綺麗にして、明るく人にあいさつして人に良い影響を与えて社会に受け入れてもらうマインドをもたなくては孤独に慣れてしまう。。ネットやゲーム、ファッションは今は楽しいが興味がなくなった時にコミュスキルもなく誰からも受け入れられなくなったら真の孤独が訪れる。。と危機感を抱いてから、少しだけこの言説を信じて何か行動してみようかと思いました。
スキンケアをはじめたのもコミュニケーションの基礎として自分に自信をつけるための第一歩です(スキンケアを気にし始めると少し自分に自信がつき少しですが人の目を見て話せるようなってきました)。
ということでお金だけでは得られないものにも力を入れていきたいなと最近は思ってます。

ここからのスタートです。









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