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NewJeans〝にゅじ〟おじさんの独り言

Ditto MVはミュージックビデオなのでなんとなく歌や曲のイメージを豊かにする洒落た映像かと思ったら、ストーリー性のあるハンディタイプのビデオで撮った断片の記憶や記録のデータがパッチワークのようにつながれて編集されている。Dittoのリズムと歌詞に合わせ映画のようなストーリー仕立てだ。短編映画のようだ。それも SideA と SideB に分かれている。韻を踏んだ切ないハスキーボイスのリズムに映像の数々がこちらの記憶の小さな引き出しを開けながら走馬灯のように流れていく。

「歌は世につれ世は歌につれ」と名調子の司会をイントロに乗せて懐かしの名曲に過ぎ去った時間を重ね合わせてこの世とあの世を行き来する。世代間格差とはよく言ったものでアイドルの誕生やスターは仕掛けられた風潮に乗りつつも自然発生的にわき起こる。その世代の代表として世の中の期待を一身に背負ってスターはタレント性を武器にして時代が創り上げていく偶像となっていく。NewJeansもアイドルとして誕生し30年後には画期的なスターとして記憶に残っていく。

明治安田生命のCMの演出効果でも有名な表現手法だがどんな写真でもその1枚1枚があの歌やメロディーに相乗すると切ない思い出の雰囲気として条件反射的に想起される。曲や歌などが独立し確立している表現の効果にさらに別の要素を掛け合わせる化学反応の実験のようだ。見る側の記憶や思いがその触媒によって引き出されるのでプラモデルをパーツに分解するように、Ditto MVのSideA SideB 双方から時系列に特徴的な断片を「絵コンテの言語化」で辿ってみる。その断片をスロー再生したり一時停止をして立ち止まりながら辿ることで何かしらがうっすらと見えてくる。

SideA
・埃のかぶった段ボールから昔のVHSのビデオをとり出して再生
・高校生活の5人が過ごした断片の記録
・体育館でダンスの練習
・ギブスの左手を添えて撮影...男子学生がファインダーに映る
・水飲み場での一瞬の出来事
・校庭や屋上でダンスの練習 5人の練習を撮影する1人
  “ Ra-ta-ta-ta Ra-ta-ta-ta 울린 심장 (Ra-ta-ta-ta) 高鳴る心臓
のフレーズにのせる
・マニュキュアを小指に塗る
・左手のギブスに皆で添え書き、6人でソファーに寝る
・雪の草原、遠方に鹿
・瞳のクローズアップ、鹿の瞳のクローズアップとリンク
・まどろみのソファーから起きる、今までの出来事は白昼夢か、右手小指のマニュキュアがビデオの時間と現実の時間をつなぐ
・今まで撮影した記憶をはべて現実とのパラレルか
・傘を差さずに濡れたまま歩く
・黒板に絵を描く SideBへ

SideB
・スロー再生の粗い画像の夢の中のような高校生活の断片
・5人の被写体と撮影する1人
・意識的に意中の男子をカメラで追う
・5人のダンスの成長と仕上がり、撮影者はおいていかれる
・撮影を断ち切りビデオカメラを屋上から放棄する
・記録も記憶も途絶えたテレビ
・5人に背を向ける撮影者、放置されたガラケーの携帯電話の着信
・校舎の廊下の向こうの鹿がこちらをみている
・瞳のクローズアップ、鹿の瞳のクローズアップとリンク
・VHSビデオを再生、5人が部屋に入ってくるが自分の姿は相手には見えていない

通り過ぎる断片の映像は絶対的な当時の現実の真実の記録であるが、その一瞬のみ取り上げることで記憶として残っている残像が波に飲み込まれていくように洗い出されていく。自分で辿った時間や記憶でも他人のことのように思えてしまう脆弱性が露呈して、現実の時間と過去の膨大なその瞬間瞬間の記憶の断片の時間が重層化して地層のように積み重なっていく。喧噪の中の静寂を感じざるを得ない感覚が自分と他者を隔てる。たった一枚のアルバムの写真に往時の思い出や記憶を虚飾化して閉じ込めることはなくなり、反面膨大な記録がただ永遠に増え続ける。自分の中でも現在の自分と過去のその瞬間瞬間の自分が折り重なって脳の中に吸い込まれるように記憶のブラックホールに飲み込まれていく。90年代以降デジタル記録の洪水が現実の時間を相対的に飲み込んで、確かに生きているという実感が薄れていき年齢をも上手く重ねることができないという虚無感が蔓延している。寝ているのか起きているのか。ソファーに寝ていて起きてみてもその世界が夢の中のように感じられて万華鏡の中の迷路に迷い込んだように時間が過ぎていく。

1.スター、アイドルの誕生

自分の尺度から時代感覚を測ってしまうのでダラダラと文字にしてしまい申し訳ありません。『スター誕生』のテレビ番組が特徴的だった遥か昔はスターやアイドルは一人の個人が当たり前であった。グループであっても一人ひとりの個性が強烈だった。キャンディーズが一世を風靡した1970年代に3人のうち誰を推しているかで人とは違った見方や好みがあることに新鮮な驚きを感じた。力道山の街頭テレビの時代を経てテレビも一家に一台となるが否が応でも見るテレビ番組が強要される。それでも自分の好みを選んで表現できる幅を広げていい選択ができるという幾ばくかの自由が経済成長に後押しされた。自分ではスーちゃんがダントツかと思ったら、蘭ちゃん人気もすごくて、またミキちゃん推しもいた。3人のうち誰かという選択肢からスタートするので全員が参加できる土俵がまず用意されている。このカーストから外れることをしない限りは安住の椅子は用意されている。三種の神器や力道山の街頭テレビ、星飛雄馬の土曜日に放映の「たった1球の大リーグボール」の1週間を肌感覚で知る世代にはNewJeansのアイドル誕生の爆発的な潮流には今の時代に仕掛けられ仕組まれた路線、スマホやAIの時代が求めるアイドルやスター、ひいてはシャーマンを作り上げようとしている潮流があるように第六感がどうしても動いてしまう。

土地をはがしてその地層一枚一枚にしみ込んだ土地の記憶の歴史をたどるようにアイドルやスターは生まれるべくしてその時代時代に君臨して民衆の意識下の期待に応えて成長していく。スターやアイドルはどの時代でもどの世代にでも時代や人々の期待を背負って偶像化する。70年代は70年代の、また平成では平成のスターやアイドルは君臨する。学校のクラブ活動でも、学年が違うクラスでも、広告代理店の営業チームのメンバー構成でも、ある土地の繁華街の雰囲気でも、何かしらあのキャラクターは誰かに似ているという共通性を見ることができる。ボケとツッコミの役割分担のようでもある。どの時代を生きているかでそれぞれの立場や視点を一つのモノサシとして複眼的にとらえることができる。たとえば山口百恵はアイドルからスターにそして本人とは別の役割として昇華していき観音様とまで崇められるようになった。Hey!Say!JUMPはやはり時代の期待を背負って偶像化した。NewJeansもまたしかり。

5人のグループは彗星のごとくアジアから世界に羽ばたいている。スターやアイドルの誕生には結果としてすべてが必然的なステップを踏んでいる。このDittoのSideA SideBはミュージックビデオを超えた作品作りとしてのジャンルを築いた。ミュージックビデオは曲のイメージでカラオケのBGMの背景画から歌手の個性を映像化したり歌のイメージを膨らませる働きで今までは付録的付随的に制作されてきたが、今回の2編は意図的に作品として独立してNewJeansと相対させている。いわば緻密に丁寧に莫大な予算をかけて制作された映像作品である。当然NewJeansのプロモーションビデオだがNewJeansを5人の個性をさらに超越して偶像としてまたシャーマンとしての方向を向いて制作されている。これからは歌手であれ文筆家であれプロモーションビデオをしっかり作って自己紹介を代弁する作品として世の中に出回るだろう。新たなジャンルの扉が開かれた。アイドルやスターとファンの関係はライブ会場、テレビ、ラジオ、MV、プロモーションビデオ、Podcastなど様々な媒体で個人とつながっていく。ライブよりも優位にMVの世界の中でスターとファンが相対する。

NewJeans「Ditto」MVは神話を作り出す土俵を二編に込めてファンのMV考察にもかがり火をともし話題が拡がって神話が次々に生まれてくる。modelpress編集部の批評が詳しい。「主人公の少女の名が“バン・ヒス”で、NewJeansファンクラブ名“Bunnies”から「Ditto」は“ファンのための楽曲”、MVの主人公はNewJeansのファン“Bunnies”を表現している」またMV「sideB」では「時間が経ってもビデオの中で鮮明に生き続けるNewJeansはアイドルとファンの関係」「韓国で爆発的な人気を誇った岩井俊二監督の映画『Love Letter』や、人気ホラー映画シリーズ『女校怪談』等を彷彿とさせる場面があることから『NewJeansはこの世を去った存在として描かれているのでは…』など意味深な考察も見受けられる」

ミュージックビデオの映像作品が音楽とコラボレーションして世の中に送り出される手法がファンの琴線に触れて、参加型エンターテインメントのひな形として世の中の偶像が肥大化していく。山口百恵が人々の記憶の中で「観音様」として昇華していった記憶がよみがえる。

2.Ra-ta-ta-ta Ra-ta-ta-ta 울린 심장 (Ra-ta-ta-ta) 高鳴る心臓  ※注1
のフレーズにのせた気持ちの変化 自分も映像の中の1人

歌や曲に乗せた断片的な映像効果は見ている側の実体験を想起させて追体験をしながら映像を追う。高校生活の場面場面は自分の経験や思い出の引き出しを開け、また水飲み場での甘く切ない映像は敢えてわかりやすくどんくさく描くことで見る側を意図的に作品のストーリーに引きずりこんでいく。ミュージックビデオの特性を生かして “Ra-ta-ta-ta Ra-ta-ta-ta 울린 심장 (Ra-ta-ta-ta) 高鳴る心臓 ” のフレーズにはその気持ちを代弁する場面が編集されて映し出される。映画や映像が絶え間なく進行するので見る側が立ち止まろうとも、またついていけなくても構わずにストーリーが進行する。ダンスの練習を重ねながら上達していく成長過程を追いながら、また怪我をして踊れない傍観者としての撮影者と見るものが相乗して、自分も5人のスター誕生の応援者として演じることになっていく。

ダニエル Woo woo woo woo ooh Woo woo woo woo

ハニ     Stay in the middle     迷っているの Like you a little 君のようにDon’t want no riddle なぞなぞはいらないよ まれじゅぉ say it back 말해줘 say it back 言い返せばいいのに Oh say it ditto ああ また同じことを言うのね あちむん のむ もろ 아침은 너무 멀어 朝が遠すぎて So say it ditto また同じことを言うの

ヘリン 
ふるっちょく こぼりょっそ 훌쩍 커버렸어 ぐっと大きくなった はむっけはん きおくちょろむ 함께한 기억처럼 一緒に過ごした記憶のように のる ぼぬん ね まうむん 널 보는 내 마음은 君を見る私の心は おぬせ よるむ ちな かうる 어느새 여름 지나 가을 いつのまにか夏を通り過ぎて秋 きだりょっち  all this time 기다렸지  all this time 待っていたよ ずっと 

ダニエル 
Do you want somebody 誰かを求めているの? Like I want somebody 私が誰かを求めるように なる ぼご うそっちまん 날 보고 웃었지만 私を見て微笑んだけど Do you think about me now yeah 今 私のことを考えているの? All the time yeah いつも All the time ずっと 

ヘイン I got no time to lose 無駄な時間はないよ ね きろっとん はる 내 길었던 하루 私の長かった一日 なん ぼご しぽ 난 보고 싶어 あなたに会いたいよ Ra-ta-ta-ta うるりん しむじゃん Ra-ta-ta-ta Ra-ta-ta-ta 울린 심장 (Ra-ta-ta-ta) 高鳴る心臓 

ハニ I got nothing to lose 失うものは何もない のる ちょあはんだご wooah wooah wooah 널 좋아한다고 wooah wooah wooah 君が好きだって Ra-ta-ta-ta うるりん しむじゃん Ra-ta-ta-ta Ra-ta-ta-ta 울린 심장 (Ra-ta-ta-ta) 高鳴る心臓 But I don’t want to でも 嫌なの 

ヘイン Stay in the middle 迷っているの Like you a little 君のように Don’t want no riddle なぞなぞはいらないよ まれじゅぉ say it back 말해줘 say it back 言い返せばいいのに Oh say it ditto ああ また同じことを言うのね あちむん のむ もろ 아침은 너무 멀어 朝が遠すぎて So say it ditto また同じことを言うの I don’t want to もう嫌なの 

ミンジ Walk in thisみろ Walk in this 미로 この迷路を歩くのは た あぬん こん あにおど 다 아는 건 아니어도 全部知ってるわけじゃないけど ぱらどん てろ 바라던 대로 思いのままに まれじゅぉ Say it back 말해줘 Say it back 言い返せばいいのに Oh say it ditto ああ また同じことを言うのね I want you so, want you 君が欲しいよ So say it ditto 同じだって言えばいいのに 

ダニエル Not just anybody 誰でもいいわけじゃないよ のるる さんさんへっち 너를 상상했지 君を想像して はんさん たあいっとん 항상 닿아있던 いつも触れていた ちょうむ ぬっきむ くでろ なん 처음 느낌 그대로 난 最初の感じのまま 私は きだりょっち all this time 기다렸지 all this time ずっと待っているの

ヘイン I got nothing to lose 失うものは何もないわ のる ちょあはんだご wooah wooah wooah 널 좋아한다고 wooah wooah wooah 君が好きだと 

ヘリン Ra-ta-ta-ta うるりん しむじゃん Ra-ta-ta-ta Ra-ta-ta-ta 울린 심장 (Ra-ta-ta-ta) 高鳴る心臓 But I don’t want to でも私は嫌なの 

ハニ Stay in the middle 迷っているの Like you a little 君のように don’t want no riddle なぞなぞはいらないよ まれじゅぉ say it back 말해줘 say it back 言い返せばいいのに Oh say it ditto ああ また同じことを言うのね 
あちむん のむ もろ 아침은 너무 멀어 朝が遠すぎて So say it ditto また同じことを言うの I don’t want to もう嫌なの 

ミンジ Walk in this みろ Walk in this 미로 この迷路を歩くのは た あぬん こん あにおど 다 아는 건 아니어도 全部知ってるわけじゃないけど ぱらどん てろ 바라던 대로 思いのままに まれじゅぉ Say it back 말해줘 Say it back 言い返せばいいのに Oh say it ditto ああ また同じことを言うのね I want you so, want you 君が欲しいよ So say it ditto 同じだって言えばいいのに 

ダニエル Woo woo woo woo ooh Woo woo woo woo


3.鹿の瞳

SideA SideBの締めくくりに鹿の瞳のカットが使われている。人間を動物の一種としての分類へと視点の軸をずらしていく。生物として動物として人間の記憶の深層を直感させ輪廻転生を想起させる。鹿はギリシャ神話では月の女神アルテミスの水浴びを見たアクタイオーンが鹿に姿を変えられて登場したり、日本では春日大社や鹿島神宮では神の召使とされている。またファンタジー小説の万城目学『鹿男あおによし』でも有名でとくにこの2編の映像にはそれのテレビ版の一場面を敢えて全く同じく再生したようにも見える。意図があるようにほのめかす意味ありげな映像は視聴側に「答え」のない「応え」を投げかけている。自由に批評しあってくださいと話題を振っていること自体がティーンエイジャー5人の可能性に懸けた思いなのであろう。

なぜこの2編にはわかりやすい映像と謎めいた場面があるのか。そのことが演出効果で偶像を作り上げる手法でもありスターがスターとして手の届かないところに向かう一過程の触媒である。偶像崇拝の域に達すると一挙手一投足がすべて話題になるので髪型を変えるとかどんな服装をしているかなど次々のプロモーションビデオには話題の種がふりまかれる。祭りの高揚感とも似ている。どのような潮流になろうとも話題の焦点を提供し続けて享受し参加することで自分の存在、アイデンティーを確立したいという欲求をみたして新たな潮流が渦巻いていく。

生き物として人間を捉えると衣食住の根源に参画しなくても生活できるのが今の時代の我々で、個人が尊重されない、また尊重する相手も見えづらいという切なさが蔓延している。生と死が現実から遠ざかっている。死が身近にないと生も淡々としてくる。助産婦さんに見守られてタライにお湯を沸かして自宅で出産するなんて今では到底ありえない。余命わずかで自宅でおろおろしながら最期を看取るなんて田舎でも一部しか経験しない。自分の住処を自分の手で作るなんて時間も体力も気力も発想もない。食べ物もお金で買う以外は手段がない。身近に緊張感のある受け入れなくてはならない細かな出来事が余りにも少ない。

このように生きることの根源が断ち切られ、自分からも遠ざかる日々の生活の中では自分自身の存在価値が薄らいでいく。個人がこれほど尊重されにくく尊重できない構造的な落とし穴にはまっている現状を冷静に捉えるとNewJeansへの期待が逆に見えてくる。現在も過去も未来も確かな足取りで歩んでいく時間が持てなくなるのを防ぐ生理的な防衛反応がそうさせている。アバターやゲームにのめり込むような感覚だ。

そうした中で等身大に過去の自分と照らし合わせ、5人のうち誰かと自分を結び付け、歌って踊って生きていることを実感しながらユニットに個人としてアバターとして意識の上で参加できる仕掛けがある。ダニエル、ハニ、ヘリン、へイン、ミンジ。髪型を変えて一人ひとり個性豊かに演じたり、5人とも見分けがつかないようにユニットとして融合したり変幻自在のスターをその場で撮影するファン個人といつでも対峙している。アバターとして参加できる四次元の世界でファンの一人として同時代を生きていく。VHSでしか再生できないビデオカメラは粉々に砕けたが、また今では誰一人手にしないガラケーは別の世界で着信音だけが鳴り続ける。心の中のファインダーで5人を同じ場所で撮影するファンの一人としてその場にいようが居まいがフォロワーとして力をもらって果てしない一歩を踏み出していく。

注1 歌詞の文字起こしは検索してヒットしたものから、ハングル日本英語の各言語と追記を引用しました