東日本大震災からまもなく4年 その2
※この文章は、全文無料で公開しているものです。
第2回の今回は、「救援物資が食べられない人がいるなんて、送る側は考えていない」です。
「救援物資は、そのうち届く。でもそれは食べられないものだ」
今回の話は、のちにいろんなところで見聞きした話です。東日本大震災は、非常に広範囲に、そしてライフラインや道路を含め徹底して破壊された感があります。
それでも、津波の被害が壮絶だったところ以外は、3日ぐらいしたらぼちぼち個人商店やコンビニ・弁当屋が開いて、長時間並ぶものの食糧を買うことができました。また、津波の被害の大きいところでも、やはり3日ぐらい経つとどうにか救援物資が届けられるようになります。
基本的に、最初のうちの避難所は火を使っての加熱調理は難しいので、簡単に食べられるものが食糧として送られてきます。ということは、まずおにぎりか、パン・カップめんなどになります。
「パン、カップめんの主成分は小麦粉」
でも、ちょっと考えて下さい。あなたが「小麦アレルギー」だったらと。
そう、いくら山のように救援物資が送られてきても、そのなかにはなにひとつ食べられるものがない可能性すらあるのです。実際、小麦アレルギーを持つ子どものお母さん方は、一般的な救援物資にはそのようなもの含まれていないために、アレルギーをおこさない食材をまったくの独自のルートで開拓せざるを得なかったようです。
小麦に限らず、食品アレルギーを持つ人は常に気をつけているはずなんですが、震災のような災害が発生すると、通常調達で使っているルートが途絶えますので、まさに死活問題が唐突に出現してしまうのです。
「物流ってとても大切、でも誰も普段は意識しない」
コンビニに行くと、いつでも商品が欠品することなくあります。スーパーもそうです。変わったところでは、医薬品も、調剤薬局に行くとちゃんとあります。でも、それを支えているのは物流業者。だから、ヤマト運輸はわずか震災後1週間で配送を再開したのです。自身が被災者だったのに。
※本文は以上です。
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