東日本大震災からまもなく4年 その3

※この文章は、全文無料で公開しているものです。

第3回目の今回は、「連絡なんてまず取れない」です。

「規制がかかっているのに、なぜか電話で話している」

震災当日、私は仕事に出ていて、家族は自宅にいました。無事だって連絡をしたいと思いましたが、震災直後に停電になってしまったため、私のウィルコムのPHSはすぐ使用不可(圏外)になってしまいました。

なんとか車に乗せてもらって帰りましたが、帰り道の途中一度もアンテナは立つことがなく、メールを送ることすらできませんでした。

なんとか家にたどり着くと、妻は携帯電話で話をしていました。その通話先は四国の大学に進学していた甥でした。

通常、災害が発生すると通話がしにくくなることが知られています。でも、これは災害が発生したエリアの「発信規制」がかかるもので、そのエリアにいると発信ができなくなり、結果通信量が減るというものです。

ですから、発信規制エリアの外から、災害の発生したエリアに電話すると、ちゃんとつながったりします。

とはいえ、そんな形でつながっているのも地震発生後12時間程度が限度で、そのあとは公衆電話以外ではつながりませんでした。

「公衆電話は使えるのに、固定電話はなぜつながらない?」

同じ固定回線を使う公衆電話といわゆる家電。なぜ公衆電話はつながるのに家電はつながらないのか?これは簡単です。停電しているからです。

FAXや留守番電話の機能がある電話は、当然ですが電源が必要になります。本来固定電話は、電話線から電源を供給できるのでなんにも便利な機能がついていない電話であれば、実はそのままでつながるはずでした。でも、多機能電話が当たり前の時代、停電したら使えなくなるのは当然なのです。

さらに、固定電話だと思っていたら、それがひかり電話に代表されるIP電話系の場合もあります。これも、電話機と回線をつなぐルータに電源をつながなければならないので、停電=通話不可になります。これが2014年12月に、徳島で大雪のため停電したので、安否確認ができなかった理由でもあります。

「携帯電話は力尽きたらつながらない」

停電したあとも、しばらくはつながっていた携帯電話ですが、これも基地局のバッテリーがなくなった段階でつながらなくなります。こうなるともう大変で、電気が復旧してもまともに発信することができない時期が2週間程度ありました。

同じ部屋で、同じキャリアの携帯電話同士ですら、呼び出し音はすれど電話機はピクリとも反応しません。メールを送っても、送信はできても届くことはありませんでした。おそらく基地局が、自分の近くにある電話機の情報を上手に拾うこと、その情報を共有することができなくなっていたのであろうと思っています。

「でも、ネットはつながったんでしょ?」

震災直後から、通話はできないけどメールやSkypeはできたという話もけっこう聞きました。これは、メールなら通信量が少ないから、ということですが、これも大丈夫かどうかは実は微妙なところです。

というのも、携帯電話でも、山手線の遅延が原因で通信量が増大し、通信障害が発生した過去があるためです。

もし、首都圏で大地震が発生したら、確実に通信量過多でネットワークが落ちることでしょう。となると、まず通信する手段はなくなる前提で考えておくべきです。

「災害伝言ダイヤルは?」

非常時には、災害伝言ダイヤルというものが開設され、ここにメッセージを残すことで安否情報を残すことができます。でも、これもちょっとだけ注意事項があって、まず「災害伝言ダイヤルが開設」される必要があり(常時は開設されていない)、そのキャリアからの受付を開始してあり(まず固定電話、その後携帯電話という順だった)、つながるために通話できる必要があります。

ということは、公衆電話を探して、長い行列に並び、そして災害伝言ダイヤルにメッセージを残す、ということになります。公衆電話そのものが圧倒的に少なくなった今、災害伝言ダイヤルそのものも、実は使いにくい環境なのです。

「結局、とことんローテクな手段が一番有効だった」

結局、通常時に考えられていた通信手段は、電気にとことん依存していることが痛切にわかりました。津波の被害エリアのように、電線も通信線もすべてなぎ倒された場所では、まったく連絡は取れませんですし、広範囲に停電している限り、携帯電話などを使って連絡を取ろうというのは無理な相談になりそうです。

最後に残る手段は、公衆電話や、張り紙に行き先(避難先)を残す、自分がそこまでなんとかして出向くなどローテクな手段が一番の方法のようです。

※本文は以上です。

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