美とは何か


「美とは目と耳をよろこばせるもの」という有名な定義”があるが、は たしてそれだけであろうか? 山河の美しさ,芸術の美しさ, 人格の美 …美はさまざまな位相をとって人間の前に立ち現れ、 より高い価値へ とひとを導く、では、ひとはいかにして「美」を発見し, どのようにこ れを受け入れてきたのか. いろいろと疑問はつきない. これから「5. 社会美学」まで、 「美」一般についての意味,意義,歴史, 探求, 認識な どを考えてみる。
美学(aesthetics)は、ギリシャ語のaisthesis(感性感覚 感情)に由 来する用語で、理性的認識に対比する感情的認識の学としての美学を意 味する。美や美学に関係する研究分野として(特に神経美学では),美 の本質(美とは何か), 美の基準(何が美しいのか)、美の価値の理由 (美 は何のためにあるのか)美の認知過程(美はどのように感じられるか)。 そして美の表現と創造(美はどのように表現されるか)の5つに集約さ れる

いわゆる,「美の美学」(Aesthetics of Beauty)とか, 「美の力学」 (Dynamics of Beauty)の学問の根底にあるのは,簡単な一言, 「美しい ものには、力がある」.具体的に「美」を見ると,そこには, 人の美 物の美そして心の美がある。

20世紀初頭に詩人で哲学的エッセイストであるカーリル·ギブラン が「美は顔に宿しているのではなく, 心の中の光である」と述べた3.0. 神から授かった知性や知識を磨くのは個人に与えられた責任であるはず だが、残念ながら多くの人はこれを怠っている。心を磨くと, おのずか らその美が顔に出て,それも深みをもった美となるはずであるが,それ に気がついていない人が多い、 外見を気にする人は,そのぶん見えない 所が脆くなる。つまり、心の美はまさしく個人の美意識と感覚に直接関
係してくる。

一方,物の美には、形(安定性を).色 (感性を),そして調和(周囲と のバランス)を意味する三要素があり、すべて欠かせない要素っ明 「菜の花や月は東に日は西に」という俳何には、美しいという れに類する表現も一切ない。しかし,この規い可で,美しくも壮 然のパノラマが読む人の心に浮かびあがってくる。

この「美しさ」という感情は, どこから出てくるのであろうか? 世 の中には、「美しい花」「美しい風景」「美しい音楽「美しい女性」など、 美しいものは数限りなくある。今,「美しい」という言葉をこれらから 取り除くと、「花」「風景」「音楽」そして「女性」が残る。でも不思議なこ とに、花と風景と音楽と女性の間に共通するものを考えてみれば…た い!にもかかわらず、 われわれがそのいずれをも「美しい」と感じ同 じ形容詞を使って表現するのは, 何か「美そのもの」の存在を想定せさ るをえなくなる。よって、「美そのもの」とは,個々の美しいものや 美意識が生れる以前から存在している美である. そして, それはいまも 生きて働いている,美を作り出そうとする力と考えることができる

したがって,花や風景や音楽や女性の美の感覚,つまり「美意識が 出現するよりも先に換言すれば, 感覚(行動)と言語(意味)の二重構 造をなす言葉より先に「美」があった, ということになる. 「美」は常に すでに存在しているのでなければならない, したがって, 美は絶対的な ものであって,相対的なものではない.一方,今道は「美は人間の希 望である」と述べ、,さらに「真と善と美とは人間の文化活動を保証し、 かつ,刺戦してやまない価値理念である」とした、真が存在の意味で あり、善が存在の機能であるとすれば,美は,存在の恵みないし愛で は、とも言及している、

美が主語の場合は絶対的な領域であるが、いったんそれが目的語と なると、相対的な領域となってくる.でも、 「この人は、あの人より美 しい」という相対的な美への認識は、 世の中にいやというほど存在する。 しかし一方、「静の美 (精確な美)」と「動の美(崩しの美)」という考えがあり、「美」を人に、特に人の身体の一部である)顔に適用すると, 個 性をもつ美となり、もはや、絶対的な美の城ではなくなるであろう、 そ して、個性美も経年的に常変しそれに伴う内面変化との競合も問題視 されてくる。

このように、 「美」という言葉が用いられる状況を数えあげてみると。 絵画や音楽などの複数のモダリティにおける芸術表現や,機能美自然 美、そして言語表現や倫理観に至るまで, さまざまな状況で使用される ことがわかる「美しい」という形容詞は絵,音楽という具体的な名詞 にかかることもあれば, 言葉の内容や心のような抽象的な名詞にも適用 されるのである美とは多くの意味を内包する概念であり、 視覚的聴 覚的な快さを指す場合もあれば, 社会的倫理的に優れているという評 価を指す場合もある。

「美」とは? 美学の対象に, 哲学, 文学, 芸術,音楽などの無機質を 対象としたり、人間, 特に顔を対象とする「美」もあるが、「美の力学」 でいわれているように,美しいものには「力」が共存する。 「美の美学」 と「美の力学」ともいわれるゆえんが, ここにある。 「花が花の本性を現 じたる時最も美なるが如く人間が人間の本性を現じたる時は美の頂上 に達するのである」との西田幾多郎の名言”があるが、花は愛されて花 になり、人は愛されて人になるということであろう。

人はなぜ、美しさに惹かれるのか?美を感じる心は,人間にのみ備 わっているのだろうか?もしそうだとしたら、鳥や魚まで,なぜこ んなに美しいのだろうか?美は, 生命にとって本質的な何かではない のか? 心理学では, 人は単純すぎるものには快を感じず、 複雑すぎる ものには不快を感じ,その中間で, 快感を最大にする「覚醒ポテンシャ ル」があるという理論がある.ここに, 感性(美しさや好みなどの総 合的な評価やそれに対する感受性にとどまらず, 低次の感覚印象や快な どの感情から,高次の美的評価あるいは知的創造性までを含む意味をも つ)概念が入ってくる 0.D).快·不快に関する変数としては, 複雑性以 外にも、新奇性,不明瞭性,曖昧性などの刺激特性などが提起されており、それらの刺激特性が 「ほどほど」のときには快は最大化されるとい われている。 美の創造については、どうであろうか? デイヴィドヒューム日く.「美とは物自体が持つ質ではない、ただそれを見つめる人の心の に存在する。人の心はそれぞれに違う美しさを感じ取るのである」。 あるいは、アリストテレスは「美の主要な形相,要因は秩序と対称性と 明確さである」とも言っている。 このような高次で高質な美が創造され たら、美を創造する人が創造した美によってさらに創りだされるという 哲学者西田幾多郎の文, 「作られたものは作るものを作るべく作られた のであり、作られたものという事そのことが、 否定せられるべきである ことを含んでいるのである。もし作られたものでなくして作るものとい うものがあるのではなく,作るものはまた作られたものとして作るもの を作って行く」が想起される。

このように,「美」には絶対性と相対性の両面の性質があり, これは、 美の認知あるいは創造においてもしかりである。また, 「美は心に宿っ てなく,むしろ顔と脳の要素の発展や進化のなかにある」、つまり, 美 は流動的である。美の人間的概念に対する進化理由の研究結果では, 左 右対称性,色と顔の毛といった特徴が認識される魅力度に関係する. 美 は物質的,精神的に輝くものを包含する言葉であり, 物質的といえども 最終的には精神が感じた事象であるので, 美とは人間が精神的に感じる 輝きであると言える。

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