「互助」的な関係を見つめ直そう(今日どう?通信)

COVID-19の出現(あるいは発見)により、今年の夏は、花火も、お祭りも、スポーツ大会も、旅行もない静かな夏ですね。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

社会全体に大きな影響を与えているCOVID-19ですが、私が強く感じたのが公共や市場の脆さでした。

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市民活動、特に補助金などを使おうとすると必ず目にする「公共」あるいは「公益性」は、簡単に言えば「不特定多数に広く開かれているかどうか」です。公共施設もそうですね。ある一定の基準を満たせば誰もが使える、参加できる、受益者になれるのが公共です。

しかし「誰でも使える」公共の場は、COVID-19のような感染症を前にして「閉鎖」となれば、例外なく「誰にも使わせない」場に変わってしまいます。会議や賑わいイベントについて会場を使わせないのはともかく、「子ども食堂」や「障がい児の放課後等デイサービス」など、学校が休校になった時こそ必要と思われる取り組みも会場を借りられないためにやむなく自粛をしていました。

また、「市場」も「金銭を介せば誰もが平等に扱われる」場です。オープンで、誰でも参加していい場も感染症に対しては「閉じる」ことしかできませんでした。

そして、ステイホームの号令のもと、公共からも市場からも切り離された私たちは、それぞれの家庭に引きこもり、市民活動や地域活動の多くも自粛されてきました。

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そんな中、わたし自身の活動も方向転換を余儀なくされました。私は、新潟市西蒲区にある福井集落で、週末農業サークルの運営と、茅葺屋根の古民家の保存活動をしています。これまでは、地域外から人を集めるイベントをして、地域に関わりを持ってもらうきっかけづくりをしてきました。

しかし、COVID-19の影響で地域外から人を集めるイベントができなくなりました。打撃だったのは耕作放棄された田んぼを復活させて取り組んでいる稲作です。私たちは農家ではなく、素人が遊びでやっている田んぼのため「マンパワーがあれば何とかなる!」精神でこれまで何とかやってきました。今までは田植えや稲刈りなどはイベント化して、大人数を集めてやっていたのですが、そのマンパワーが集められない…。

今年は仕方なく「会員のみでやる」ことを決めました。会員といっても10名ほどの小さな会。大変なことになった…と思っていました。

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ところが、意外なことがおきました。「会員になりたい」という人が急増したのです。これまでは、イベントにいかに人を集めるかを考えていました。しかし、イベントに参加してくれる人はあくまでもお客様です。イベントは裾野を広げる活動で、その中から主体的に活動に加わってくれる人が出てこれば良いな…と考えていたのですが、ここ数年会員は固定メンバーだけでした。それなのに、イベントをやめた途端に会員が増えた!そして、日常的に農作業に加わってくれるようになったのです。

なぜ会員になってくれたのか、正直なところわかりません。今までイベント参加してくれいた人はもちろん、私たちの活動にこれまで全く参加したことがなかった人も会員に加わってくれました。不思議です。

ただ、今回の出来事を受けて、今までの自分たちの活動の方向性が少し違っていたのではないかと思いました。

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これまでは、「公益性のある取り組みをしなければ」「たくさんお客さんを集めなければ」と当たり前に思っていました。けれど、会員になったメンバーと無理せずにゆっくりと内輪で活動している方が、何だか「豊か」に感じられたのです。そして地域のためにも、自分の生活のためにもなっているのではないか…と思いました。そんな経験から市民活動には

●メンバーとの心地よい関係性を深めていくこと
●その輪を無理のない範囲で広げていくこと
●輪を広げすぎて「お客さん」をつくらないこと

が大切ではないのかと思うようになりました。

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限られたメンバーのみが得られる利益を「互助益」、特定の個人が得られる利益を「私益」と言います。それに対して「公益」は、「広く社会全体(不特定多数)にとっての利益」のことです。

私たちの週末農業サークルは、耕作放棄地解消という面では公益的なのかもしれませんが、普段農作業やおしゃべりを楽しむのは、私たちが楽しみたいからという動機の「互助益」です。そして、本音のところでは私たちが楽しみたいから耕作放棄地を借りているに過ぎません。

COVID-19の影響で公共の場が閉ざされ、市場も一部機能しなくなりました。けれど、公共施設ではなく「私有地」を拠点に身内だけでひっそりと行う私たちの活動は、規模は小さくとも止まりませんでした。子ども食堂のような活動も、私有地で、公的資金を受けずに、オープンではなくクローズに行っていれば、COVID-19の中でも止まらずに続けられたのかもしれません。

互助に対しては、行政の補助金などは基本的に出ません。しかし、私たちの生活に欠けているのは、「互助」の関係性なのではないでしょうか。公共的な空間でも、市場的な空間でもない、「互助的」な空間。互助的な、クローズな助け合い、関わり合いの場をどう作り、増やしていくのか?これが、市民活動の役割だと感じる出来事でした。

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私は2人の子どもがいます。週末農業サークルに子どもを連れて行くのですが、妻と私は子どもをほったらかして農作業に夢中になってしまうことがよくあります。そんな時に、いつも子どもの相手をしてくれるメンバーがいます。毎回のように子どもを押し付けてしまっているので、申し訳ないな…と思ってそのことを告げると「いいですよ。子どもひとり育てるには、村がひとつ必要ってアフリカのことわざがありますし」と、言ってくれたのです。もう感動して、「じゃあ、あなたが子どもを連れてくるようになったら、ちゃんと面倒を見ますから。うちの息子が」と約束しました。妻に友人の言葉を伝えると「嬉しい。私はもう赤ちゃんを産むことはないと思うけど、メンバーが連れてくる赤ちゃんを抱っこできるのが本当に楽しみ」と言っていました。

「子どもひとり育てるには、村がひとつ必要」。この「村」というのは、行政サービスのことでしょうか?行政サービスが充実すれば満たされるものでしょうか?そうではなく、公共や市場の外側にある人との支え合いの関係性=互助的な関係性なのだと思います。

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