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いまの社会の病について

新型コロナウイルスで学校を閉鎖したとして、
身近なところで助け合える人間関係がどれくらいある社会なのかが問われている。
子どもを学校の代わりにみてくれる、祖父母だったり、親戚だったり、友人だったり、地域だったり。

自分の村で考えると、例えば集落センターで、村の小中学生を受け入れ、親または集落の有志が順番で面倒見る。とかができるといいなぁ。
(今回我が家がそういう立場ではないのと、実際の住民のニーズがあるかわからないので、実行に向けて動いたりはしませんが。)
そういう関係性を、どれくらいの人が持っている社会なのか。

このような危機の際に、社会システムで人々の生活を支えようとすることには、無理がある。システムの弾力性を問うより、システムの外側に支えあえる具体的な人たちと関係性を育んでいるかどうかを考えたい。
それは、政権やシステムの設計に関係なく、一人一人が日頃からどう意識して行動しているかの問題でもある。「消費」だけをしていても、「行政サービス」を受益しているだけでも、そのような人間関係を築くことはできない。

「協働によるまちづくり」とか、「地域づくり」って本当は、このようなシステムの外部にある、人間関係を育むための取り組みであるべきだと思う。それは、単に行政サービスの代替を市民にしてもらおうとか、市民のアイデアで社会課題を解決しようといった、社会システムの改善とかコストダウンとか(つまり、行政の言う公益性)は、本質的に異なるはず。(副次的に公益的効果があることは否定しない)。
だから、市民活動とか地域活動の波及効果とか、なんとかインパクトとかに注目するのは実はポイントがずれているような気がする。
行政や市場の中では数値化できるものしか、評価できない。交流人口や関係人口などがよい例だ。しかし、本当に大事なのは人口の総数や関係性の広さではなく、関係性の深さや、信頼度のはず。そして、関係の深さは、数値化して比較できるものではない。だからこそ、システムの外側にあるのだ。

いま、普通にシステムの中で生活していると、そうした関係性が自然に失われていく気がする。それこそが、今の社会の病だと思う。

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