ゲゲゲと遭遇⑤

ふと思い立って、今日は全ての仕事をキャンセルしてしまった。社会に出てもう15年。今はそれなりに立場もあるのに、、全く困ったもんですね。

でも気の乗らない時ってありますよね。なんか全てに靄がかかったように感じてしまう日。これから進む道が霞んで、振り返って歩いてきた道を確かめても朧げな時、人は人生に迷うものですよね。

なんでここにいるの?俺は誰?みたいに考えだすと、全てが不確かで、全てが曖昧で、全てが幻のような気がして、、IKKOさんばりに「まぼろしー」とか言ってみたりしてね。言わないけど。

そんな時は、ちょっと昔を思い出して、そのことについて書いてみると、忘れていた人生の意味がまた見つかったり、落とした気持ちをまた拾ったりできるので、、SNSは当分やる気ないけど、世界のどこかに読んでくれる人もいるかもしれないので、、久々に水木先生にお会いした話の続きを書きますかね。

タイトルは今決めたの「ゲゲゲと遭遇」

よくないですか?なんとなく語感というか、リズムというか、ふいに出会ってしまった感じと、ミステリアスな先生のお人柄と、優しい奥さんの感じの全てが「ゲゲゲ」ってとこに凝縮されてる気がしますよね。それに、たまたま運良く遭遇できた僕の狼狽した感じも「ゲゲゲ」って感じだし、だから前のブログからコピーしてきた前の4つの話も含めて「ゲゲゲと遭遇」って題名にしました。

まぁ前置きはこれくらいで、早速続きです。ここから先は前の4つの記事を読んでから読んで頂けるとありがたいです。

全くの想定外だった。それは東京にいれば有名人と会うことだってあるとは思っていたけど、まさかこんな形で小さい頃から大好きだったゲゲゲの鬼太郎の作者様に会えるとは、、、一週間前に新宿駅の南口のエスカレーターで「なかやまきんに君」とすれ違って以来の有名人に僕は舞い上がっていた。

そして、僕は何を考えたか、会話の文脈をまるで無視して思わず「あの、、ずっとファンでした」と意味不明なことを言ってしまった。

いや、実際に小さい頃からゲゲゲの鬼太郎はずっと見ていたし、なにより保育園の時に婆ちゃんに買ってもらった妖怪大百科を擦り切れるくらいに読み込んでいたのでファンであることは確かだった。だが、そもそも僕は牛乳の注文を取りに来てるわけで、いきなりそんなこと言われたってあっちも困るし、ましてや水木先生本人に言うならまだしも、僕は玄関で対応してくださってた奥様の布枝さんにそれを伝えてしまったのだ。

僕の唐突なファン宣言に布枝さんは少しだけ笑ってくれた。しかし、それとは裏腹に奥でコーンフレークらしきものに牛乳をかけて食べてた水木先生はこちらの状況もわからないので、「うちは要らないから、もういいよ」的なことを不機嫌そうに言っていた。いや、むしろ少し怒鳴っていた感じだった。。

気まずい雰囲気…

すると、それを察した布枝さんは僕を玄関の外に促して、玄関を閉めて自分も外に出てきてくださった。そして、「ごめんなさいね」と言ってもう少しだけ僕の話を聞いてくれる感じになった。どこまでも優しい人だった。

僕はそこで小さい頃にお婆ちゃんに買ってもらった妖怪大百科をずっと読んでいた話をして、何を思ったか、それを持ってくるからサインを書いてくれないかとねだってみた。今考えたら完全に失礼だし、頭のおかしい要求なんだけど、、笑

ただ布枝さんはどこまでも優しい人なので、そんな意味不明なお願いも苦笑いしながら、聞いてくださった。そして、僕はその場でサンプルの牛乳を布枝さんに渡した。布枝さんは「いや、だから注文は取れないから頂けないわ」と僕に言う。僕は「いや、サンプルの空きビン回収って口実がないとまた来れないんですよ。次に実家から妖怪大百科もってくるので、それまでに適当に飲んどいて下さい。あっ、注文は別に要らないので」と無理やりにサンプルを渡した。

その日の朝礼で読まされたマニュアルに「注文を取る気のない人にはサンプルを配らない」と書いてあった気もしたけど、そんなことはどうでも良かった。布枝さんは、じゃあ頂くわと渋々サンプルを受け取ってくれた。そして、僕は水木家をあとにした。

不思議とその後は足取りが軽かった。だってこんな偶然すごいじゃない。こんな幸運にいきなり出会える自分が特別なような気がした。なんだか自分が選ばれた人生を歩んでるような気がして高揚した。

その日のバイトが終わると次のシフトが待ち遠しかった。次のシフトは3日後だった。僕は早速実家の母に電話をした。東京生活が始まって2ヶ月か経とうとしていが、それが東京から親にかけた最初の電話だった。

そして、水木しげるに会った話をして、サインを書いてもらう約束したから、実家に置いてある俺の妖怪大百科を送ってくれと頼んだ。すると母親は暗い感じで「そんなものはもうない」と答えた。僕がなぜ?と聞くと、母の口から悲しい家の現状が語られた。

要約すると、叔父の会社が倒産して、うちも保証人の関係でほぼ破産すること、そして長年暮らした家も抵当に入っているので人手に渡ってしまうこと。そのために家の荷物は殆ど片付けてしまった。あんたの本棚とかは全部捨てたと言うことだった。。僕は一瞬イラっとしたが、何だかんだで一年以上実家と疎遠になっていたので、仕方ないことだなと理解した。

そして、長年暮らした家がなくなる寂しさと、実家の目も当てられない状況に耳を塞ぎたい気持ちになった。

そんな僕の気持ちを察したのか、母親は僕を気遣ってくれた。うちは大丈夫だから、あんたはやりたい事をやりなさいと、、その言葉が逆に痛かった。実家が大変な時に、そんなことも知らずに東京で遊んでる自分が情けなかった。やりたい事なんて本当にあるのか不安になった。ただ東京で俺は流されてるだけじゃないのかって、、、

グダグダと毎日を過ごして、彼女に毎日飯を奢ってもらって、小説なんて全く書けてない。小さなプライドだけ持っていて、ガムシャラに頑張ることもできてない。俺は何者にも成れてない。

俺は何しに東京に来たんだろう…

なんだか全てが揺らいで行くような感覚だった。そして、そんな情けない自分を棚に上げて、僕はそのイラつきを少しずつ彼女にぶつけてしまうようになっていた。いつの間にか僕らは些細なことで口論するようになっていた。長野にいるときは喧嘩なんかしたことも無かったのに、僕らはお互いが自分に満足できてなかった。そして、それを突かれると相手を批判せずにいられなくなっていた。そう、僕らは少しずつ終わりが近づいていたのだ…

…今日はここまで!

久しぶりに当時を思い出して書いてみたけど、本当にあの頃の僕ってバカですよね。でも、書いてて思います。変わらないなって、自分。

つまり、僕はずっとバカなままなんですよね。今までも、今も、そしてこれからも、ずっとバカなんでしょうね。笑

さてと続きは近々、書きます。僕はこのあと妖怪大百科を持って再び水木家を訪ねるわけですが、そこでも色々と葛藤があるんですよね。なんだか書いてるうちにどんどん長くなってる気もしますが、頑張って最後まで書きますね。

それでは、読んで下さってありがとうございました。

おわり。

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