ゲゲゲと遭遇⑥

溜まっている仕事を放置しておくと、不思議なことにその仕事はどんどん増えていく。雪だるま式とはよく言ったもので、初動が遅れると物事は飛躍的に肥大していってしまうらしい。

時すでに遅し、と諦めたくもなるのだけれど、そうは問屋が卸さないってなもんで、雪だるま式に膨れて、もみの木に激突した雪(仕事)は、さらにもみの木からも落ちてきた雪(仕事)と合わさって膨大な量となる。それを僕はコツコツと片付けなくてはいけないのだ。

…こんな日常を俯瞰してみてみると、やはり生きていくってことは苦行だなと、僕は改めて理解しますね。お釈迦様はやっぱり正しいのですな。ってね。

まぁ蛇足はこの辺で、続きを書きますね。


水木先生の奥様こと布枝さんにサインをもらえる約束をした僕は、肝心の妖怪辞典を買うために新宿の紀伊国屋書店へと向かっていた。

なんかの特番で見た紀伊国屋書店は僕の憧れとなっていた。膨大な量の本が並べられた店内に入るのは僕の小さな夢だった。そして、そこにいつか自分の本が置かれるってことが、僕の大きな夢だった。

新宿に着くといつも向かう歌舞伎町ではない道を僕は進んだ。そして、憧れの店へと入っていった。

僕はここで感動と絶望を同時に味わった。どんな本でもあるんじゃないかという、膨大な量の書物は読み手側としの僕のテンションが上げた。それと同時にこんなにたくさんの本があるのに、どれもこれも自分のレベルでは到底追いつけなさそうなものばかりに見えて、自分の夢は一生叶わないんではないかと悲しくなった。

世の中にはこんなに本が溢れているのに、、昨日の夜、パソコンに向かって書いた俺のあの駄文はなんだ…。あんなクソにクソを塗り固めたような物が果たして本になるのか、、いや無理だろう。

この紀伊国屋書店に並ぶ本は、例えるなら全てが「カリントウ」だ。俺の書くクソは、いくら見てくれをカリントウに似せた所で、所詮はクソだ。カリントウの中にクソを混ぜたって誰もそれを食べてはくれない。どんなに取り繕ってもクソはクソのままだ。体裁を似せてもダメだ。俺は元の元から自分を変えないと、、どんなに小手先を学んでも、素材がクソならカリントウは作れない。素材を揃えないと、本を書けるような人間としての中身がないと、、永遠に俺は作家になんてなれない。

僕は紀伊国屋書店に大量に並ぶ本を見て、そんなことを強く感じていた。そして、水木しげるの妖怪辞典とラバウル戦記と、遠藤周作の深い河を買って帰った。

家に帰って僕は水木しげる先生のラバウル戦記を読んだ。結果的に僕はこの本に出会って、より落ち込むこととなった。

ラバウル戦記は水木先生が太平洋戦争の時にラバウルに初年兵として配属され、そこで片腕を失い、命かながら生き延びた事が淡々と書かれた戦記だ。とても素晴らしい本だ。僕は今でもたまに読む。でもこの本は事実がただ淡々と書かれている。そして、そこには水木しげる先生の情熱と、人間性と、ひたむきさと、努力できる姿勢と、類稀な経験が羅列されている。

こんな人だからこそ、素晴らしい本や漫画が描けたんだ。そして、こういう人はなるべくしてなっている。俺みたいな何もない人間とは次元がまるで違う。

そんなネガティブな思考が、僕の中にこびり付いた。そして、それはいくら振り払っても取れなかった。事実は揺るがないから。僕は全てにおいて足りてなかったことを痛感した。

そんな突きつけられた無能に打ちひしがれて、ネガティブな気持ちになっても、時間は変わらずに流れる。そして、再びバイトの日を迎えた。

なんだか色々と冷静になってみると、僕は急に水木先生の家に行くのが恥ずかしくなった。勘違い野郎が一体どのツラ下げて、、でも、空きビンの回収は行かなくてはいけない…。どうしたものか、、うーん。

そんな感じで考えてるうちに、いつのまにか仕事は捗り、ついに水木先生のお宅に空ビン回収に行く番になった。気が重たい。だけどサインは欲しい。。意を決して僕はピンポンを押した。

程なくして奥様の布枝さんが出て来てくれた。「あら、こないだのあなたね?」みたいな感じで笑顔で僕を迎えてくれた。相変わらず、とっても優しい。

そして、僕は恐る恐る妖怪辞典を出して渡した。すると布枝さんは「ごめんなさいね。今、水木は仕事に出かけてるの」と言った。僕は内心ホッとした。そして、なんだか偶然にも水木先生が不在だったからサインは諦めようと思えた。よくよく考えたら今の僕は無礼極まりない。そう思って、話もそぞろに帰ろうとすると僕は布枝さんから思いがけないことを言われた。

「今日はたまたま留守だから、私がその本を預かってサイン頼んどくわね」

…どこまでも優しい人だった。僕は、会ったこともない人にこんな優しくできる布枝さんになんだかすごい親近感を感じてしまった。

そして、思わず僕は自分のことを色々と話してしまった。

小さい頃に頭がデカくて妖怪子泣き爺みたいだと友達にからかわれた話。小学校を風邪で休んだ時に、いつも「ゲゲゲの鬼太郎 大怪獣」のビデオを見ていたこと。長野から上京して小説家を目指してること。などなど、僕はなんだか矢継ぎ早に話してしまった。

布枝さんはそんな僕の話を嫌な顔一つせずに聞いてくださった。そして、夏の暑い日だったので麦茶まで出してくれた。本当に優しさの塊みたいな人だった。

そんな話がひと段落すると、僕は我に帰った。今は勤務中。僕はまだ今日中に周らなきゃいけない家がいくつも残っているのだ。我に帰った僕はお礼を言って、帰り支度を始めた。そして、最後に何を思ったのか、僕はまた厚かましいお願いをしてしまった。

僕は子泣き爺みたいなビジュアルのくせに、妖怪の中ではなぜか一反木綿(いったんもめん)が一番好きだった。なので、もし可能だったらでいいのでサインの横に一反木綿も描いてもらえないですか?と僕は頼んでみた。

ここまで来ると、もはやあの頃の俺の厚かましさは異常だ。頭がおかしい。完全に「あたおか」だ。

すると初めて布枝さんが困った顔をした。本当に初めて。

どうやら水木先生はご高齢ってこともあって、今は頼まれてもイラストとかは描かないらしい。そりゃそうだ。だって相手はあの大作家で大漫画家の水木しげる先生だ。国から紫綬褒章までもらってる。そんな大先生が長野から出てきた田舎もんにいちいちイラストなんか描くわけがないのだ。それが当たり前だし。考えたら誰でもわかる常識だ。

最後にとんだ無礼をしてしまったことに、当時の僕もハッと気付いた。そして「あっ、やっぱりイラストはいいです。サインの横に僕の名前だけお願いします」と名前だけ告げて、帰ることにした。

布枝さんはまた2.3日したら、いらっしゃいね。と僕を温かく送り出してくれた。僕は、そんな優しい布枝さんのことが、とっても好きになっていた。なんだかすごい魅力のある人だった。のちに「ゲゲゲの女房」として朝ドラになる訳だ…。


ふぅ〜。今日はここまで!何だかんだで話は進みましたね。あとは、サインを取りに行った箇所を書けばこの「ゲゲゲと遭遇」も終わりです。僕の相変わらずの拙い文章力と、表現の乏しさでだいぶ読みにくくて、わかりにくい感じになってしまって申し訳ないです。

ただ、こんな駄文でも世界のどこかに読んでくれる人がいるかと思うと、書かずには終われないですよね。

あと、今はもう少しだけ自分の中で物事を考えて、共感ではなく、思考と主張を書ける人間になりたいので当分の間はSNSはやらないつもりです。

なりたい自分になれなくても、そこに近づく努力はやり切りたいですからね。そんな気持ちを思い出す為にも、この話は最後まで書きます。

ツイッターで知り合った皆さんは元気かな?ってたまに思うこともあります。嘘です。しょっちゅう思ってますよ。何かの機会でまた会えて、酒でも飲みながら馬鹿話できたら、いいですね。会ったことはなくても、ネットを通じて出会って、言葉を交わして、現実世界以上に絆を感じてる人も何人かいましたよ。

皆さん、くれぐれもお身体を大事に健康でいてくださいね。それでは、近々続きを書きます。

おわり

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