バカでもわかる学ぶことの大切さ。

33歳の大学生として学びの素晴らしさを書きたいと思います。

最初に断っときたいんですけどね。33歳にもなって大学に通うって言うのはね、とても辛いことなんですよ。

まずね、先がないの。なんでかって言うとね、僕は卒業しても就職しないからさ。ほとんどの大学生は卒業後にさ、就職したいから通うわけじゃん。でも俺にはそれがないの。

そもそも僕は会社経営してるの。ちっさい会社。でもね、それも景気悪いのよ。だってさ、コロナだもの。更にね、経営者の僕が大学にだいぶ時間取られてるからさ。もう、なかなか大変なのよ。でもその大学に行ったことが仕事のプラスになればいいよね。結果的にはさ。

ところがそれが無意味なの。だって僕は文学部文学科に通ってるからさ。仕事と一切関係ないの。さらに言えば大学の4年間の学費がざっと500万。その他の学校に通う生活費が1500万くらいかかるの。つまり2000万も金かけてさ、その間の仕事を棚に上げてさ、全く仕事のプラスにならない勉強してるのよ。狂気の沙汰だよね。

世の中の奴らはさ、親のスネかじってさ、小さい頃から塾だ、習い事だ、スイミングだって通ってさ、最短ルートで大学入ってさ、卒業して一流企業はいるのよね。それは凄い良いことだと思うよ。だって一流企業はいるとさ、高卒の地元就職に比べて生涯年収なんか倍以上だもんね。下手すりゃ2億は違うよね。親が子供に2000万かけて教育したら、10倍の差で返ってくるんだぜ?そりゃ、親は教育に金かけるわけだよ。

かたや俺なんかさ。習い事したことないのよ。塾入ったのは中学の2年間だけ、それも近所の激安塾。さらに親は余裕の破産で18歳からドカタやってんの。それでコツコツ生きてさ、30歳でなんのキャリアの足しにもならん大学に実費でいってるの。無駄だな〜って思いながら通ってるの。

もちろん33歳だから結婚とかの道もあるのよ。でも大学生が結婚とか無理じゃん?だからそれも棚に上げてさ、良い歳こいて自分の服を自分で洗濯して、1日2食の外食で、不健康に生きてるのよ。変人扱いされながらね。

大学内ではおっさん呼ばわり、社会では仕事そっちのけで大学いってる変わり者、女から見れば将来性ゼロの乞食。全く持って大学行く利点なんてないの。本当に皆無。

でもね。それでもね。俺が大学で学ぶのには理由があるんだよね。

みんなはさ、社会の底辺で生きた経験とかある?俺はね、18歳から浮浪者の溜まり場でドカタやってたの。あと22歳の頃にお巡りにパクられたり、スカウトの仕事で売女の斡旋したり、25歳で東南アジアのスラムを放浪したり、26歳で所持金ゼロから起業したり、風俗嬢のヒモしたり、キャバ嬢と暮らしたり、沢山の女とセックスしたり、まぁとても褒められたもんじゃないけど色々あったのよ。

いわゆるステイタスと言われる学歴とか、育ちの良さとか、親のコネとか、単純に金とか、そういったものを一つも持たずに社会の底辺を、自分の力で生きてきたのよ。それである時に気づいたんだよね。

結局、人間ってさ。死ぬまでに全てを失うんだよね。だから何かを持つことっては、失うことに怯えるってことなの。わかるかな?だから何かを得るために躍起になると、何かを得た後に人は変わっていってしまうんだよね。

あと、もう少し突っ込んで言うと、人間は得られる快感より、失う喪失感のが大きいのよ。だから人は歳をとって得るほどに臆病になり、老いて失うほどに憔悴していくの。

でもそんな時に更に深いことに気付いたの。自分の中の知識と経験だけは死ぬまでに自分のものなんだなってこと。まぁもちろん呆けたら知識はなくなるんだけど、そうなったら無くなることすら分からないから、それはそれで良いんだよね。あっ話が逸れたから戻すね。

つまり知識と経験はお金じゃ買えないし、ボーッとしてても得られないの。

人間は自分一人で考えれることなんて、たかが知れてるの。でもそこに知識と経験があれば、より深い思考が得られるのよ。学ぶほどに思考は先に行けるの。思考は進むの。

だから俺はね。誰もしたことのない経験をして、だれも学んだことのない知識を学んで、だれも考えたことのない物にたどり着きたいの。それまでは何とか死なないで頑張りたいのよ。

もちろん誰もしたことない経験なんて中々ないし、学んだことない知識も滅多にないのはわかってるの。だから普通じゃない道をいくのよ。普通の人が考えたら合理的じゃない道にさ。

冒頭で書いたけど、33歳で通う文学部なんて今の世の中的には無意味なの。でもそこで得られる知識と経験は無意味じゃないのよ。だから、それを自分の中で意味ある思考に変えていくんだよね。

今の世の中ってさ、なぜか知らんけど共通認識の模範があるじゃん?人はそれぞれだし、考えだって色々なはずなのに、なぜか知らんけど明文化されてない正しさがあるじゃん?それに逸れると、すぐに普通じゃないとか、異常だとか、不謹慎だって怒られるのよね。理由は分からんけどさ。

でも俺は随分前からその模範とかけ離れてるんだよね。笑

だから、この際とことん社会的道徳から逸れた人間としてやっていこうと思うんだよね。33歳で学ぶ考古学、33歳で学ぶシェイクスピア、33歳で学ぶ国語学、国際関係、ペストの歴史、などなど。そういった普通じゃないことを学びたいのよ。だってそれは決して異常でもないわけだからさ。

生まれが悪くて、環境も悪くて、地獄を何度も見て、別れた女からはゴミ扱いされて、親とも縁が切れてる俺だけどさ。そんな社会的乞食階級の俺でも、知識と経験だけは平等だからね。

それは素晴らしいことだよね。自分の中に入る知識と経験は無限なんだよな。まだまだ俺は沢山のことを知れるし、沢山の経験を得られるし、それを使って沢山のことを考えれるんだよ。すごくない?これってすごくない?

だからさ、周りから見ればどんなに無意味なことでも、俺は多分やめずに大学に行くのだと思う。昨日まで知らなかったことを知って、昨日とは違う経験を積むためにね。

今日は山ほど課題をやって、この時間まで起きてたから若干頭がラリってて、このnoteも書いてるうちにサッパリ意味がわからなくなってきたけど、最後にまとめよう。

知らないことを知ると、世界は少しだけ広がる。初めての経験をするたびに、世界は少しだけ自分のものになる。知ったことと経験を踏まえて考えると、まだ見ぬ世界の形が見えてくる。

どんなに歳をとっても学ぶことは永遠に楽しい。有限の自分と無限の知識の壁を壊したい。

そんなことを考えながら今日はもう寝ますかな。読んでくれてありがとうございます。おやすみなさい。

おわり

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